Cujamー7ー

 あの死体に使わせていた剣は、打ち合いにならなかったので刃は綺麗なままだったが、鞘と柄が血で少し汚れている。俺の血じゃない。敵の血だ。久々だったので、少しはしゃいで斬り過ぎてしまったせいだ。

「悪かったな」

 素人や経験の浅い兵には分からないかもしれないが、一度でも実戦で用いられた剣というのは、独特の気配を持つ。拭おうが、研ごうが、決して消えない、死の気配だ。

 人前……というか、公の場での帯剣にはもう適さないだろうな。

 気付く人間は滅多にいないはずだ、という感覚は危険だ。負の心、心の獣を、誰にも気付かれないようにするためには。

「どうした?」

 剣を俺の手から受け取り様、らしくないな、とでも言いたそうな、からかいを含んだ笑みを向けられたので、俺は皮肉を口に乗せて答えた。

「本当は、アンタが殺そうと思って持ってきたんだろ? は」

 さっきのは、借りた剣に関してだけの謝罪の言葉じゃない。一度しか使えない玩具をただで譲ってもらったことに関する申し訳なさも込めた言葉だ。

 まさか、とわざとらしく大袈裟に肩を竦めて見せた王太子。

「己が怪我をすれば周囲は騒ぐ。もしもがあってはいけないからな。あまり遊べんのだ。教材に、と、高い金を出した買い物だったが。ふふん。見世物として充分に楽しめたぞ」

「本当は、自分でも殺りたい癖によく言うよ」

 軽く嘆息して見せてから腹の探り合いを止め、俺は素の声で返事をして、王太子の前に胡坐をかいて座った。

「それがお前さんと己の違いだな。まあ、後数年もすれば、お前もこうならざるを得ないさ」

 得意そうな顔と声に「さいで」と、気のない返事を返す俺。


 一拍の沈黙が流れ、どちらからとも無く乾いた笑い声を上げ……。一拍後に、再び降りてきた沈黙を破ったのは、王太子だった。

「先生と話したか?」

「ああ」

 隠すほどの話でもなかったので、俺は素直に頷き――話した内容に関しても、先生の行動を予想していた以上、推理していると判断し、正直に答えた。

「先生は、アンタの変遷を危惧している。ヘタイロイが、未来ではなく、目の前の戦いに固執するだけの刹那的な戦士となることを危惧している。……俺の影響を危険視している」

 軍人を軽んじる国は滅ぶ。歴史の必然だ。だが、軍人だけの――現在のラケルデモンのような――国家にも、また先はない。

 そもそも戦争には金がかかる、民衆への課税にしたって限度はあるし、戦士となるのは働き盛りの男だ。農業、それに商工業が立ち行かなくなれば、国は傾く。人死と戦費を賠償金や戦争奴隷で穴埋めする、なんて単純な勘定じゃないのだ。

 現在進行形で滅びに向かって進んでいるラケルデモンと同じ轍をこの国に歩ませまいとするのは、むしろ、当然の事だと思う。

 ……たとえそれが、俺を否定するニュアンスを含んでいたとしても。


 それに、さっきまでの俺を見られている以上、処遇に関して――王太子が、向けられた殺気に気付かなかったはずはない――異論を挟むつもりは無い。死刑を申し付けられて素直に従うような可愛げは持ち合わせていないが、出て行けと命じられれば素直に従うつもりだった。表層の違和感だと思っていた事の、問題の根の深さに気付いてしまった今は。

 どうする? と、視線で訊ねるが、はぐらかすように王太子は視線を足元に向け「変遷ね……」と、意味深に呟いた。

 うん? と、その言い草に首を捻る俺だったが、王太子はこっちをむかないまま携帯用の小型だが華美なオイルランプに火を点けようとしている。

 カチカチと火打石を打ち合わせる音が何度か響き……、あくまでついでと言った様子で、王太子は話し始めた。

「ああ、うん。まあ、己がここからいなくなれば、そういう話はするだろうとは思っていたさ。先生程の男なら、お前さんの性質を見抜いていないはずがない。……己という前例もあったんだしな」

 前例? と、またしても首を傾げるも、王太子は話を区切らなかったので、訊ねる機会を逃してしまった。

「先生には高貴に生きることを教わった。しかし、人の醜さを凝集したような……黒々とした血の泥の中にいた記憶は消えない。二つを併せて呑み込む術は、自分自身で見つけ出した。王太子という立場を使えば、暗い欲望を叶えることも、そう難しくは無かったのでな。……一時期は荒れたものさ、己もな」

 ポッと、不意に橙の火が辺りを照らした。

 小さな灯火ではあったが、さっきよりもはっきりと王太子の顔が見える。一瞬だけ見えた、言い終えてすぐの王太子の口元には、どこか苦そうな笑みが浮かんでいた。

「己が、お前さんを誘う本当の理由を話そうか?」

 火が点いてすぐに王太子は顔を上げ、今度は、いつも通りの表情で俺に訊ね掛けてきた。

 さっきまでの話の内容が、俺の理解を前提としていなかったのが――前例が、なにを指すのかは、はっきりとしていない。多分、新都ペラからミエザの学園へと王太子が移った際にひと悶着あったんじゃないかな、とは思うが、その推理が当たっているか否かも不明だ――気にはなったが、俺が人を斬って落ち着くのを待ってくれたことを思えば、王太子のペースで話されることは、苦でも何でもない。だから、特に迷いもせずに頷いた。

 最後まで聞けば、理解できるだろう、なんて安易な考えで。

 しかし……。


 王太子は、これまで見せた事の無いような――どこか卑屈で、疲れたような顔でくくっと嗤ってから、ぞくりとするほど濁った目を俺に向けてきた。

「お前さんの、その鬱屈とした闇の部分が、己は好きなんだ。噂には聞いていたが、会ったその日に予感を感じていた。、と。そして、今日の目を見て予感が確信に変わった。ミエザの学園でも尚、お前の闇は照らし尽くせてはいない。それが当然なんだと証明された。……良かった。己だけじゃなかったんだ」

 オイルランプの明かりによって訓練場の壁へと伸びた王太子の影が、異形の化け物のように膨らんで見えた気がした。

 だが、恐ろしくは無い。

 それは、いつも自分自身の傍らにあるもので、恐怖という名前だと分かっている。

 恐怖を持ち合わせない戦士はいない。そして、もし俺が恐怖に負ける程度の戦士なら、ここまで来れるわけがない。


 真っ直ぐに王太子の視線を迎え撃てば、大地と天空を併せ呑む蒼と黒の瞳に、俺の顔が写って見えた。

「お前さんは、だ」

 これまでになく弾んだ声だった。

 待ち人に、ようやく会えたような――。

「才覚だけでは足りないんだよ。本当の意味で頂点に至るには。人は陽の部分だけを強調して見たがる。勇猛果敢な王、豪放磊落な王、文武を兼ね備えた王……。だが、それがなんだ? 断言する。清廉なだけで継承出来るはずがないのだ、は」

 気持ちばかりが先行して、言葉にしなければならないことをもどかしく思っているような、そんな早口で話す王太子。

 短く息をついた後、立ち上がり、俺の左肩に右手を乗せてきた。

「才能の煌めきがあり、選ばれた正統性もあり、にもかかわらず不遇の身の上で苦渋と辛酸を嘗め続けた。恨みを忘れる事無く育て続けてきた」

 キラキラと瞳を輝かせながら、言葉に暗い影をしみこませて喋る王太子。

「分かるだろう? 己達なら、なんだって出来る。必ずしも正義を行う必要は無いんだ。同情される境遇があるなら、仕方が無いの一言で非道も許される。善悪の境界をはるかに超えた高み、その芸術を生み出せるんだ。この世界のなにもかもを手に入れれば、ようやく、この底の見通せないほど深く空いた心の穴の暗闇が埋まるんだ」


 勧誘されたとはいえ、俺は自分の意志でこの男についてきた。しかし、今にして思えば、俺はこの男の事を、なにひとつとして理解してはいなかったんだと思う。

 才能、強さ、そうした一部分しか目に入ってはいなかったんだと思う。全てを持っているからこその強さだと、誤解して――目を曇らせていたのかもしれない。


「アンタも、同じなのか?」

 半ば無意識に訊ねると、王太子は皮肉を口の端に乗せ、面白く無さそうに呟いた。

「親父殿は、非常に上手くやっている。国土は広いが人が少なく農業・畜産中心のこの貧乏国を短期間で上手く作り変えた」

 まあ、それは、事実だろう。

 ラケルデモンでの一般的な教育では、未だにマケドニコーバシオはヘレネスにおいて確たる勢力として認識されていない。利益に聡い商人連中は別だろうが、一般市民にとっては、マケドニコーバシオとは、かつてアカイネメシスに屈して攻め込んだ、わけのわからない国。取るに足りない連中という認識だ。

 実情が伝わっていないということは、改革を始め、成果が出始めてから十年前後ってところか。

「国内を安定させた後は――まあ、当たり前の結論だが、優秀な子を、父として求めていた。の跡取りをな。訓練試合で己に負け、自分になびかなかった軍馬を己が乗りこなしたその日に、あの男は父親を辞めた。為政者として、息子を恐れた。自分を超える才能を妬み、嫌った。改革者としての名声を選んだのさ。実の子供よりも。国の次代の繁栄よりも」

 分からない話ではない、と、思う。

 ただの暗殺者なら護衛が、王宮を警備している兵士が守ってくれるだろう。

 ……だが、それが王族だったらどうか?

 たった一撃で国を乗っ取ることが出来るはずだ。親を殺す適当な理由さえつければ、な。ヤった後は、ソイツの実力次第だが――まあ、この王太子なら王位継承への反対意見はほとんど出ないだろう。

「だが、既に、家臣は比較を始めている。己と親父のどちらが自らの利益になるかを、な。失策の度『王太子が即位されていたら、ならこんなことにはならなかったのでは?』といった具合にな」

 そして、親殺しの即位の道が整えられていく、か。

 結局、どこででも変わらないものだな。

 長子だからあっさりと即位出来る、なんて生易しいものではないのだ。そして、がっちりと掴んでいたはずの王権も、ほんの些細な緩みで水のように掌から零れ落ちていく。


 国王も将軍も、優秀であればある程、まともな最後は迎えられない。敗死する。親に殺される、子に殺される、兄弟に殺される。妻に毒を盛られる、臣下に暗殺される……。

 歴史がそれを証明している。


 だが、それでも尚、俺達は――。


「あの男に同情しないわけではない。己が言うのもなんだが、凡庸な王でもないからな。ただ、その上で侮蔑しているだけさ。父親としても、国王としても中途半端なあの男を」

 軽い調子で王太子は吐き捨てた。

 まあ、親子の絆なんてそんなものだろう。なにより俺も、ジジイや親父に関して、死んだ以上、無能だったんだろうとしか思っていないし。


 ――寝物語のような幸せな結末がありえないと学びながらも、それでも、俺達は王権を渇望している。

 そういう度し難い者にしか、掴めないのだ、その玉座は。


「正妻の子なんだぞ? 己は! なのに、新都ペラに居も構えさせられず、適当に口実をつけて辺境の学園都市へと追放した! 王宮にのさばっているのは、出来の悪い、庶子の異母兄だ……。御し易く、浅慮で、卑しい生まれのな!」

 ぎり、と、肩に乗せられていた王太子の手に力が入った。

 俺は、ヘタイロイの中では、既にトップクラスの実力を示している。が、王太子の指の力は尋常じゃなかった。人と思えない。熊か、獅子のような……薄い鎧なら握り潰さんばかりの力だった。


 そして、その左肩の痛みが――かつて、ラケルデモンを抜ける際の古傷が……様々な過去を、俺にも思い起こさせていた。

? ある日突然、周囲から向けられている目の色が変わった瞬間を。分かってくれるだろう? あの、親父殿が! 突き放すような、蔑むような、そんな……自分自身だけを守る……腐ったような保身の目で、己を見据えあがった! あの瞬間の屈辱と絶望を!」


 あの日の哄笑が、耳の奥で鮮やかに響き始めた。

 年次の挨拶でジジイの顔色を窺っていた親戚連中が、その鬱憤を晴らすように俺をなぶり、嘲っている。厳しかったが、暖かみもあった教師のレオの目が、家畜でも見るように――なんの感情も読み取れない程、淀み、冷めていた。

 捨てられた先の少年隊で、監督官が、青年隊が、同期が……。手前ではなにも出来ず、這い上がる気力さえない最下層の連中が、上から転げ落ちただけの俺を見下していた。


「肉親でも信じられない。信じていた家臣は、親父の一言で態度を変えた! 真っ当に生きてきた連中なんてが来れば、あっけなく掌を返すはずだ。誰も、なにも残らない」


 俺の家が襲撃された時、両王家の均衡を保つ中央監督官は、中立を表明しつつも進んであのクソ叔父に手を貸していた。目を掛けていたはずの家の奴隷は、嵐が過ぎるのを待つように塒で縮こまり――アギオス家と関係の深かった貴族は、誰も、に、俺を助けになんて来なかった。

 なにがあっても仲間だと誓い合った貴族の子息達とは、以降会っていない。俺が捨てられた場所を探す程度の事は出来たはずなのに、誰もそれをしなかった。

 そして、公式に俺は王家の記録から抹消された。


「貴族? 高貴な血統? 連中が重んじるのは、信義ではない! 家の存続だ! 血脈と領土を保つために、簒奪者の用意した詭弁に自ら進んで乗っかるだろう。鞍替えする合法な口実を与えられれば、古い君主などゴミのように捨てられる。暗愚な王との評判を流し、簒奪の正当性の担保に手を貸す。そうだ、情に流される貴族は滅ぶ。歴史がそれを証明している。打算の友情。王の友ならぬ、地獄の友なんだよ。みんな、な」


 ようやく手にした船の連中も……、結局、なにも俺に報いなかった。

 そう、なにも残らない。

 少しでもマシになるように、不幸が訪れにようにと奉仕した所でな。支配するということは、そんなに甘い事じゃなかった。


 ……でも、いや、だからこそ俺以外の誰がを成せるって言うんだ!


「だが! お前は、己と同じだ。別の場所に、少し遅れて生まれた己だ。お前だけは理解できるはずだ! この気持ちを。憤怒だけではない、絶望でもない。好悪だけでも、愛憎だけでもない。全ては表裏一体で、併せ持つモノだ。己達はしている。己にしか成しえない、事を。英雄の時代の再来を! 新しい国家の創世を! 不要と蔑まれた自らの証を歴史に立てることを!」


 生まれの影響を否定しない。

 それでも、俺……いや俺達は、自分を表現することをそこに求めた。国を獲り、戦い抜き、奪い尽くし――世界の果てまでも自分の色で染め上げると。

 ……そして、なにより、こんな言い表せない明暗相伴うような気持ちを抱いているのが、俺だけじゃないという事実に、少し、救われた気がした。

 このままでいいと、大丈夫だ、矛盾を孕んだままでも歩み続けられると、肯定され、更に王太子もそうであったという証明が、純粋に嬉しかった。


「どこまでも、一緒に、覇道を進もう――兄弟。己達が、このクソったれの世界の主だ」


 あの日、酒場でそうしたように、俺は再び強く王太子の手を握った。

 今度は、臣下の礼ではない。

 同じ奈落の果てまで突き進むと、生きる限り業を尽くすと誓い合うために。

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