Cujamー6ー
暗がりに目を凝らす。
訓練場の端の木箱に腰掛け、こちらを見ているのは、ペラに居るはずの王太子だった。
なぜ、ここに?
疑惑で少し心が醒めたが、よく考えるまでも無く、別段、不思議でもなんでもない事だとすぐに思い直した。向こうでの仕事は終わったって事なんだろう。戻りが夜になったので、明日に改めて皆に挨拶する。
そんな、ありふれた、いつも通りの事だ。だが……。
……今なら、否、今だけは、一対一で決闘が出来るかもな。
それを行えば、全てが終わってしまうと解っている。だが、だからこそ、心が惑わされる。
大体、確定ではないとはいえ、王位継承順位第一位の人間が、こんな夜更けに護衛も連れずに出歩いているのが悪いんだ。いくら、自分の町とは……いえ?
一歩踏み出したところで、影だと思っていた王太子の足元の闇が微かに動いた。目を凝らせば、それは――。
「どうした?」
王太子は、今まで一度も見たことの無いような表情で微笑みかけてきた。
穏やかだが、凄惨で、口の端を引き絞るような鋭い笑み。
いや、俺は、この顔を良く知っている。本能的に理解している。同類の、人斬りの笑みだと。
でも、なぜ?
俺に無いモノを持ち、全てが満たされているはずのこの男が、なぜこんな顔をする?
「お前さんが望むものさ」
そんな声と共に俺の方に向かって蹴転がされたのは、手かせ足かせで拘束されている……戦士だった。
まだ息はある。
目が合った――瞬間、背筋が泡立った。
目の色、髪の色、それにこの面構え、この辺りの人間じゃない。が、どこか見覚えがあるように感じた。いや、転がっている男に面識があると言う意味ではなく、纏う雰囲気や容姿、そして――比類無き殺気の鋭さが、懐かしさを感じさせるのだ。
拘束され、家畜のように扱われているのは、ラケルデモン人の……おそらく戦争捕虜だ。
いや、戦争捕虜を奴隷として売るのは、珍しくは無い。現在、ラケルデモンはアテーナイヱと戦争中なんだし。陸はともかく、海では何度も負けているはずだし。
ただ、反抗的過ぎるラケルデモン人は奴隷としての価値は無いと判断されていて、流通に乗っているとは思わなかった。
「そいつをどうしろと?」
声が震えそうになった。
どうしてなのかは、自分でも分からない。恐怖ではなく、歓喜でもない。多分、平坦であるために、相反する感情が相殺し合っている、そんな強い圧力による均衡の震えだと思う。
王太子は、全て分かっているような見透かした笑みで、蛇のように……唆すように囁いた。
「それを、お前さんに任せようと思ってね。……別に、お前さんの連れのように、自由の身にして逃がすと言い出しても構わんぞ」
飲み込んだ唾の音が、大きく耳に響いた。
一瞬で心が燃え上がり――、次の瞬間、真冬の泉のように頭の芯が冴え渡る。
「剣か槍はあるか?」
「どうするんだ?」
さしもの王太子も、俺が得物を出してくれと言うのは予想していなかったのか、一瞬、訝しむ顔になった。
「無抵抗の人間なんて、面白くないだろ?」
ふふん、と、王子が笑い、そして、自分の剣を放り投げてきた。一応、剣を検めてみるが、儀礼用ではなく、普段使いの実戦に即したクロスガードのある
自分の剣を一閃し、手かせと足かせを叩き割り、それに反応して飛び掛ってこようとしたラケルデモン人の腹を蹴り飛ばして間合いを開けさせた。
「ぐ」
怪我があるのか、蹴り飛ばされただけで軽く呻いた敵に、剣を放り投げる。
「無手でヤるのか? バカが。話ぐらい聞いてろよ。そして、とっとと抜け」
呆れた顔で挑発すれば、夜の暗がりでもはっきりとわかるほどに顔を赤くしてソイツは怒鳴り返してきた。
「お前は、仲間を売るのか⁉」
仲間? 売る?
……ああ、俺が寝返った兵士かなんかだと誤解しているのか。ここまでバカだと、怒る気にもなれんな。
「仲間? お前が? ハン、身の程を知れよ」
精々、鼻で笑う程度だ。目の前の相手が、無知過ぎて。
「俺こそがラケルデモンだ。疑いもせず、偽りの王家に忠誠を尽くすクズめ。本家正統のこの俺が手ずから殺してやるんだから、さっさと来いよ」
敵は、本当になにも分かっていない気の抜けた顔をしたが、一拍後、説得が無理だと判断したのか、この一戦に全てを賭ける、という、戦士の目に変わった。
迷いや、躊躇いの無い、殺意だけの表情。
嬉しいね。
それでこそラケルデモン人だ。
戦いの空気を前に、あくまで自然体でだらりと下段に長剣を構える。敵は、基本に忠実に、中段に剣を構えた。刃の後ろに身を隠すように、やや前傾して身体を縮めている。やんわりと曲げられた膝は、鋭く短い跳躍で間合いを調整し――あるいは、俺の隙目掛けて飛び掛かってくるためのものだろう。
一朝一夕に出来る構えじゃない。
が、それだけだ……。
ラケルデモンでの
普段と変わらない歩幅で大胆に距離を詰めれば、怪我と衰弱のために長期戦は不利だとでも判断したのか、三歩の間合いでソイツは突っ込んで来た。
地を這うような低い姿勢で、俺の臍の辺りを目掛けて切っ先を突き出してくる敵。加速が充分につき、右足で最後の踏み込みが行われたのを確認し――。
二歩、左に身体を傾げるように動いて切っ先をかわす。途端、必殺の間合いにも関わらず避けられたことに気付いた敵が、無理に右回りに身体を捻り、横薙ぎに剣の軌道を変える。
が、脇が甘い。肋骨があるとはいえ、心臓までの道が出来ている。
突進してくる敵に対し、左に避けるのは禁忌だが、逆に言えば、その必勝の型に嵌まった敵は動きが単調になる。型通りで、読み通り過ぎる動きだ。
心臓を突けば終わると分かっていた。その余裕は十分過ぎるほどにある。
だから敢えて、剣に先行する形で俺に向かって突き出された敵の右腕の肘、その少し先を斬り上げ、敵を跨ぎ越えて、刃圏の外へと逃れた。
勢い余って派手な音を立てながら地面に転がっていった敵と、間抜けなほどに間が空いてから、ドサッと落ちてきた肘から先だけの腕。
勝負は、もう決している。
が……。
右腕を蹴り飛ばして返してやると、再び闘志に火が点いたようで、大声でなにか喚きながら、左右に大きく揺れながら、敵は再び俺に向かってきた。
右利きの男だったらしく、左の剣の振りは異様なほどに遅い。躱したり受け流す必要も無く、今度は俺の間合いに入った時点で左腕も斬り落としてやった。
が、相打ちを狙ったのか、それでも敵の勢いが止まらなかったので、歯を剥いて迫る男の金的を爪先で蹴り上げた。
男に抱き付かれて喜ぶ趣味は、俺にはない。
目の前にあるのは、醜く歪んだ顔の、大きく開かれた口。
だが、なぜか悲鳴が聞こえなかった。
気付かないうちに耳に傷を負ったのか? と、一瞬訝しんだが、そういうわけでもなさそうだ。
……いや、まあ、なんでもいいか。
怪我なんて、しようがしまいが、どっちでもいい。
胸が騒ぐ。
楽しい。
意識したわけじゃなかったんだが、口元が緩んでいるのに今更ながら気付いた。いつから笑っていたんだろう?
ただ、別に笑みを引っ込める理由も無かったし、そのまま仰向けに転がった敵の方へとゆっくりと歩み寄る。
俺を近寄らせまいとでも言うのか、地面に転がったままの敵は、滅茶苦茶に足を動かし、文字通り最後の悪足掻きをしていた。
折角だから、と、足の動きを見切って膝の少し上を水平に薙いでみた。
配下の兵士に指導した通りに、刃が触れた瞬間に滑らせ、肉に深く食い込ませていき、骨に当たっても刃を止めずに引き続ける。
ほら、簡単に両足が地面に転がった。
俺の指導は、間違っちゃなんかいないだろう。
が、まだコイツは諦めていないのか、今度はうつ伏せに体を回転させ、蛇みたいに腹で這って王太子に向かって――助けを求めるつもりだったのか、俺が無理なら他のヤツを殺したかったのかは定かではないが――進み始めた。
背中を踏みつける。
肩越しに振り返った敵の大きく見開かれた目。死を前にした、怪しい煌めきが視線にある。
そう、これだ。これが見たかった。
右手だけで逆手に剣を構える。
たすけてくれ、と、敵の口が動いた。
ああ、助けるとも。充分に遊べたんだしな。これだけの傷を受けては、長くない。苦しみを一撃で終わらせてやるのも慈悲だ。
耳のすぐ下、顎の付け根の辺り目掛けて切っ先を振り下ろし、首の骨と頭蓋骨とを斬り別ける。
地面に縫いとめられた敵から、黒い染みが、夜の色の地面に広がっていく。
命が、消える瞬間が、はっきりと視えた。
夜空を仰ぎ――、俺は、戦いの熱がこもっていた息を、大きく吐いた。いや、いつの間にか吼えていた。
心の奥の凝りが、ようやく解れたような……身体にまとわりついていた鎖を断ち切れたような、そんな解放感で満たされていた。
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