Aspidiskeー16ー

  マケドニコーバシオの御用商人のツテで借り上げた宿は、やはりどこか東方の雰囲気の混じる建物だった。まあ、内装は俺達が使う上で支障は無さそうなので文句は言わないでおく――他にここよりも大きな宿が無いらしいという理由もある――が、良いとは言えない。正直、普通よりはやや悪いぐらいの印象だ。

 せめて、食事は普通だと嬉しいんだがな。


 商人に礼を言って別れた後――。

「どうします?」

 キルクスが、全員の意見を代表して俺に訊いてきた。

 軽く肩を竦めて俺は答える。

「まずは、メシだな。この寒い時期に船での煮炊きしない食事を続けたからか、いまいちやる気が出ない」

「いえ、そういう意味ではなく……」

 苦笑いのキルクスに、冗談だと、鼻で笑って俺は続けた。

「町の上層部への挨拶はドクシアディス達で上手くやれ。そう難しいことは無いだろ。ここへは普通の商人としての滞在なんだ。キルクスは、天気が保つ限り、水夫を交代させながらレームノス島へ向けて船を出せ。一隻でいい。ただし、漕ぎ手も兵士も完全に乗せた状態でな。基本的には、無理せずに大体の土地勘を掴んだら引き返すようにして少しずつ進めよう。ええと、地図はあるか?」

 船で天測や、太陽の位置からの方位の割り出しなんかを行っているやつが、これまでのものよりややみすぼらしい地図を近くのテーブルの上に広げた。

 地形をざっと把握し……。クソ、外港都市ダトゥとこの都市の間には、大きな半島があるのか。物流の障害はそこだな。船で突っ切れるような大きな河川もないし――陸路でも海路でも、かかる日数がそんなに変わらない。

 それに、向こうに拠点を移すには、情報も足り無過ぎる。キルクスのコネは、こんな辺境ではあてにならないだろうしな。

 いや、当初の予定でもここからの航路開拓だったんだ。それに、港湾都市イコラオスから俺達が離れすぎるのも拙い。なにかあった時に対応が遅れる。

「まずは、この三爪になっている半島の先端を目指す。ここからだと何日掛かる?」

 地図の上を海岸線を添う形で指でなぞりながら、周囲へと尋ねる。今回の調査隊を任せることになるキルクスが、自信のある様子で答えた。

「一日半から二日。ですけど、陸伝いなので難しくはないでしょうね」

 まあ、それもそうか。陸を見ながら進むだけだからな。浅瀬や岩礁にさえ注意すれば進路を見失うことも無い。

「レームノス島へは?」

「真っ直ぐ進めれば、同じ程度の時間みたいですけど……」

 一変して自身の無さそうな顔だ。陸から離れるので、潮の流れなんかの影響も考える必要があるということを、今の俺なら多少は理解している。陸を旅するのと違い、海によって流されるって面倒な影響がある。


 キルクス以外の連中の顔も窺うが、前向きな意見を出しそうなやつはいなかった。

「このひと月で偵察を兼ねた商売はなんとかしたいが……」

「ギリギリでしょうか? 三度目の挑戦で島を確認し、四度目で船を全て出せればそれも可能でしょうけど」

 ん、む、と腕組みして少し唸ってから俺は指示を出した。

「外港都市ダトゥの連中も捕まえられるなら、情報を聞き出してくれ。方法は任せる」

 エレオノーレと、あと、チビもこの場にいるので、めんどくさくならないように配慮した言葉を選んだが、キルクスは金を握らせても脅しても構わないという意を正確に汲んでくれたようだ。

 この辺がドクシアディスとの違いだよな、と、思う。尤も、そういう部分のせいで充分な信頼は寄せられないが。


 ちなみに、拠点に残してきたのはアヱギーナ人とトラブルを起こしそうにない、人質として優秀なアテーナイヱ人だけだ。消去法の結果として、今回の航海に同行させてる面子は……まあ、そういうことだよな。

 ああ、後、チビとエレオノーレがいつの間にか仲直りしていたので、自然と今回の航海に同行させていた。まあ、一応とはいえ兄貴達が一緒でチビもどこか元気になっているって側面もあるし、それでいいか、と思っていた。何より、チビを押さえておけば、アテーナイヱの版図に入ってからも亡命アテーナイヱ人の不穏な動きに対する保険になるだろうしな。


「後は、なにかあるか?」

 必要なことは言い終えていたし、会議の参加者も俺の最初の発言からか食事の方に意識が言っている顔だったので、まとめに掛かる俺だったが――。

「水夫はどうする?」

 と、ドクシアディスが訊いてきた。

 自然と、やや緊張した視線が俺に集まる。


 ……正直、俺は、ここで水夫を募集する気は無かったんだがな。このバカも、余計なところで気を回しあがって。

 確かに、船の運航に漕ぎ手も他の作業をする人間も足りていないのは分かっている。が、俺の狙いとしては、アテーナイヱの領有する島に入ってから人を雇うつもりだった。戦時下で、他国の奴隷という反乱の不安要素をうまくつつけば、安くこちらに引き入れられるだろうし、なによりもソイツが雇われていた島の情報も手に入る。上手くいけば、島を掻っ攫う上での大義名分――上層部の不正や、逆に、住民の公共法違反なんかの問題行動――に関するネタも入るだろう。


 しかし、そこまでを今言っておくべきか否か。少し迷う。

 エレオノーレもそうだが、どうも人間というヤツは、この船のようにしっかりとまとめているつもりでも予想外の行動を行うということを、充分に痛感していた。変に言質を与えたくは無い。実際問題として、アテーナイヱの領有する島でそうした動きが出来るか否かまだ分からない部分もあるんだから。

 そして、出来なかった際の不満は中々押さえがたいだろう。労働に関する部分もそうだが、アテーナイヱに今最も多く、かつ、教育が不十分と判断されている奴隷は、アヱギーナ人以外にはいないんだからな。

 仲間の解放への期待は、確かに行きの航海の活力剤になるだろうが、ダメだった場合の帰りの航海の不安要素もかなり大きくなる。


 考えた上で、俺は即断せずに言葉を濁した。

「……まずは、情報を集めてからだ」

 否定的な意見は出なかったが、肯定的な意見も出なかった。


 以上だ、と、ややすっきりしない空気ではあったが俺は会議を終わらせる。明日からの、航路の開拓と、水夫の問題を考えれば、食事のあとも休む時間は無さそうだな、なんて思いながら……。

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