Vindemiatrixー4ー
「これなんかどうだ?」
嬉々とした笑顔でアデアが俺の胸に押し当てた一枚は、確かに布地は艶やかなんだが……。
「色がな……青はあまり好きじゃない。もっと、敵にも味方にも印象付けられる色合いが良いな」
夏のエーゲ海で染め上げたようなむらの無い青色ではあるんだが、距離があればぼやけて見えてしまい、あまり俺の存在感を出せないように思う。敵が積極的に群がってくるような雰囲気じゃない。
触れてみる感じ、着心地と、大きさそのものは丁度良いんだけどな。
服を戻しながら返事すると、プトレマイオスが急に大きな声を出した。
「こ、この一品物の外套を、戦場に着て行くつもりか⁉」
「あ、いや、その……いつ、どこで戦うことになっても、いいように、だな」
言われて、あくまで都市内部で着る用の服なんだと気付き――プトレマイオスの声の調子に引っ張られ、俺だけが違った認識でいたことが恥ずかしくなり、少し慌ててしまった。
若干、微妙な空気でお互いの表情を探っていると、横からアデアがどこか王太子と似た鷹揚さで割って入ってきた。
「よいよい。服の一着二着、勝利と比べれば安いものであろう?」
が、アデアが手にした衣類の色を見て、俺は首を横に振る。
「黄色はもっと、ダメだ。王太子とかぶるだろ。つか、下手に俺が着るわけにはいかねえよ、この色は」
「夫の癖に、注文が細かいな」
と、呆れた顔をしつつ嫌な感じの笑みを浮かべたプトレマイオス。
多分、服はなんでも良いとか言っておきながら、いざ選ぶ段になると選り好みしている俺をからかっているんだろう。
ただ……。
「着慣れた服が一番良いんだ。が、どうせ新調するなら、気に入ったものが良いだろ?」
そもそもが自分が欲しいといったわけではない服なんだ、と、ふてた顔を向ける。
だが、さっきまでのからかいはどこへやら、プトレマイオスに「そうだな」と、まるで弟を見るような優しい目をされてしまい。そんな視線にどこかむずがゆさを覚え、手早く選んでしまおうと服を漁る。
「あ、これが良いだろ」
茜で――いや、もしかすると紅花、またはその両方かもしれないが――染めた亜麻布のクライナだが、腕の良い職業奴隷が染めたものなのか、暗過ぎず明る過ぎず、鮮やかな紅緋で染め上げられている。
軽く羽織り……?
「お? もしかして、クラミュスか、これ」
長さ的に、頭を覆うようには被れなかったので、肩に掛けて羽織ってみると、臍の少し上ぐらいに裾が来て丁度だった。
クラミュスも基本的にはクライナとは同じような装飾系の外套ではあるが、クライナよりも短く、身体に巻くというよりは肩に掛ける程度の簡単な防寒着だ。
俺としては、厚着するよりはこのほうが具合が良かったんだが、服を持ってきた奴隷が、萎縮してしまっていたので――。
「これがいい。気に入った。怖がるな、罰はない。肩で留めるためのブローチを持って来い」
と、命じると、驚くほどの速さで届いた銀のブローチで着付けを終えた。
プトレマイオスとアデアに向き直ってみる。
「いいではないか」
アデアが手放しで褒めたのと引き換えに、プトレマイオスはほぼ同時に苦笑いで……。
「お前は、また、そういう色の物を」
と、少し呆れた顔をした。
アデアが、気を悪くしたというよりも、どこか不思議そうにプトレマイオスに視線を向ける。が、プトレマイオスは答え難いのか、曖昧な笑みを浮かべるだけだったので、俺が説明することにした。
「俺の場合、返り血の印象が強いんだろ?」
「お前……分かっているなら」
どこか呆れたようなプトレマイオスの声だったが、俺は少しだけ笑って答えた。
「でも、こういう色がいいんだ」
そう、そんな自分を、今更変えられないんだ。
なら、芯から染め上げるのみだ。
「……そうか」
プトレマイオスは、少し複雑そうな顔をしていたが、最後にはそう言って笑った。
「派手だし、お前の体躯なら問題ないだろう? 良く似合っているぞ?」
若干、おいていかれた感のあるアデアが、俺の肩や胸をペタペタ触りながら、勝手にブローチの位置やクラミュスの向きを調整しながら、そんな事を言ったので、つい、手近な場所にあったその頭をなでてしまった。
ふと視線に気付くと、プトレマイオスがなぜか目を細めて俺達を見ていて――。
「ん? 朝飯を一緒しないのか?」
そのままさっと部屋を出て行こうとしたので、背中に向かって訊ねるが、プトレマイオスは軽く右手を上げてひらひらさせてみせただけだった。
どういう意味なんだ? と、撫でていた手が離れたことで顔を上げていたアデアに訊ねるが、ニヤニヤ笑いと同時に掛けられた言葉は。
「あの男は、気の使える良い男だということだ」
「はいはい、顔立ちが悪くて、悪かったな」
軽く肩を竦める俺。
プトレマイオスは背が高く手足も長く、丸顔で目鼻立ちもはっきりとしていて、極めて人気の高い、美男として有名なヘタイロイだ。そこと比較されれば、
まして、戦場に長くいたことで、目付きが怖いとか言われる俺なんて比較にすらならないだろう。
「お? 嫉妬しているのか? ん?」
しかし、アデアそんな風に楽しそうな顔でしつこくからかわれると、こう、むっとしてしまうのは避けられないわけで……。
「飯の方が重要な問題だ」
昔の俺なら、安易に怒鳴っていたのかもしれないが、なんとなく、怒鳴る方がバカらしいことには最近気付いたので、軽く受け流して、既に運ばれていた朝食のある寝椅子の方へと向かった。
つれなくされたことで、アデアもその話題を終えたんだと思っていたが、不意にクラミュスの裾をつかまれたので、肩越しに振り返る。
アデアは、いつもの気の強そう眼差しで俺を非難するように睨み、その顔はなんだと俺が訊ねる前に、一気に捲くし立ててきた。
「我が夫は、鈍感なので敢て解説してやるが、普段本心を見せないくせに、嫉妬するぐらいには想っていることが嬉しかったのだからな! それに、ワタシは、夫の容姿が嫌いではない。それで充分だろう!?」
言い終えたアデアの顔が、真っ赤になっている。
いや、その……色々と、驚いた。うん、嬉しいとか、そういう以前の部分として、なんか、こう、驚いた。
ので――。
「あ、ああ、分かった。ありがとう」
としか、答えることは出来なかった。
その後、お互いに無言のまま温めた牛乳と、干した果物と、無醗酵のパン程度の軽い朝食とったが、味なんて全く分からなくなっていた。
なんというか、こういうのは、難しくて、困る。
こういう時だけは、ネアルコスのそういう下世話な話をきちんと聞いていなかったことが後悔される。訊き難いと言えば訊き難いが、場合によってはプトレマイオスにでも相談した方が良いのかもしれない。
照れ隠しに、拗ねて怒りながら黙々と食事しているアデアの顔を見ながら、そんなことを考えていた。
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