夜の始まりー5ー
基本的に、工事の監督は野戦築城技術とそう大きく変わるものではない。結局、人の活動は水と密接に結びつくからだ。ただ、戦闘後に放棄されるものと違い、村や都市へ水を引くのは長い間利用できるように細心の注意を払わなければならない。堆積物の沈殿速度、水流による掘削効果、旱魃や洪水時の推量を考慮した遊びの部分。
まあ、それに関しては、南部の出の俺よりもこっちの人間の方が詳しいと思うんだけどな。
マケドニコーバシオやテレスアリアが特殊なんだ。山が雪を蓄えるし、長く大きな河川の影響で水は豊富にあるため、大麦や穀類の栽培がしやすく、また、ヘレネス南部では殆んど見られないような灌漑用水路の建造も東方の技術を参考に行なわれ始めている。んだが……。
「おい! 雑に掘んなよ。幅も深さもちゃんと決めただろうがよお。なんのための打ち合わせだぁ?」
明らかに掘る位置を決めた杭から外れてたわんだ水路を指差し、現場に出向こうとしたところ、王太子に肩を掴まれて止められた。
肩越しに振り返ると、やんわりと首を横に振られ――。
「ビロン、クレタス、お前達は見学か? 己の護衛を兼ねるアーベルを行かせていいのか? お前たち二人の強さはアーベル以上か?」
――その後、俺から視線を外し、俺達の後ろで護衛兵のように直立していた二人へと視線を移した。
護衛に専念していたのかもしれないが、危険が少ない場所で、しかも、個の強さとしては
若手に経験を詰ませたいってのは解るが、待つのは苦手なんだがな。
それに、階級差はあるとしても名目上は同僚である
……が、最初の一歩目は手を引いてやらなければ、育つ芽も伸びない、か。
軽く頭を掻いて、どちらかと言えばひょろっとして背の高いビロンに向き合う。
「用水路は人工の川だ。自然が作り出したものではない。環境に無理させている。川底の沈殿物対策のため、建築士の助言を得て幅と深さを割り出した。修繕回数が予定以上に増えれば予算は変わり、それは、有事の際の動員数や殖民都市の新造でも影響を及ぼす。分かるな?」
「はい」
次いで、若いが中年かと見紛うほどの髭の濃いクレタスに向かい、続けた。
「水は高地から低地へと流れる。水流は、狭い場所では早く、広がれば緩やかになる。当たり前の事だが――。そのごく僅かな傾斜の差、ほんの少しの幅の違いでも予想外の事は起こる。良く見ろ、違和感を無視するな。戦場ならもっと注意する、なんて言い訳は無用だ。日常的に出来ないことが急に出来るようになることは、決して、無い」
「はい」
この二人にしても同じで、おざなりという態度ではなく、しっかりとこちらの話を聞き、きちんと理解した上で間を置かずに現場へと向かっていった。
ただ、良い意味でも、悪い意味でも癖が無いのが多いんだよな。最近のは。
古参の連中は、年代ごとに特徴はあるものだし、たまたま今がそういう世代だ、と、達観しているようだが。
俺としては、それがどこか物足りなくも感じるんだよな。歯向かわれる方が、まだやりがいがある。
「最初はどうなることかとも思ったんだが」
二人の背中を見送った後、王太子が独り言のように呟き始めたので、肩越しに振り返って、うん? と、首を傾げて見せた。
いや、確かに、さっきまで心の中で愚痴っていた人間が思うことじゃないかもしれないが、この村争いだって事前に和睦の斡旋が可能だと調査してるし、あの二人の新人
さっきは確かに油断していたようだが、心配するほどの事は最初から無かったと思うんだが。
しかし、王太子は俺の顔から言いたい事を察したのか、軽く首を横に振って――真顔だったさっきとは違い、どこか面白がるような顔で――、俺に向かって続きを口にした。
「違う。新たに
ああ、と、ここに来て今朝の話題に戻ってきたことに露骨に肩を落としつつも、王太子の横に並ぶ。
人の営為を少しだけ高い位置から睥睨すると、微かな充足感を感じる。昔の俺が一番欲しかったものに限りなく近くて――、でも、立場そのものはあの頃に目指していた場所とは決定的に異なるせいだ。
「上手くいきそうじゃないか」
からかい顔で、肘で俺の脇腹をつつく王太子。
「そうなのかねぇ」
まあ、確かに、アデアと俺を見た周囲の人間がそう言われることは増えた。
ってか、後になって聞いた限り、アデアの王室内のでの評判は、中々に凄まじかった。気風が荒く、女らしくない。癇癪持ち。怒ると手がつけられない。
幼少期の可愛げの無さ過ぎる悪戯の話も、ひとつやふたつじゃなかった。
つか、その悪戯の矛先が今は俺だけに向いてるって判断して、厄介払いみたいな感覚で周囲はそう言ってるんじゃないかと邪推したくもなる。
……いや、まあ、厄介者同士って言うなら、それでもいいのかもだけどな。
当人達がそれでいいなら。
と、アデアを貶したいのか持ち上げたいのか、自分自身でもいまいち判断し難い感情に目を細めていると、不意に王太子の鋭利な言葉が切り込んできた。
「本気で惚れてるよ」
意味が分からなくて、ひとつ目の瞬き。
言葉だけが頭に届いて、ふたつ目の瞬き。
そして――、もう何度か目を瞬かせてから、俺は尋ね返した。
「誰が?」
アデアが俺に?
俺がアデアに?
珍しく主語の無い、そして、それでは上手く伝わらない王太子の言葉に本心から訊き返すと、王太子は俺の目を覗きこんだ後苦笑いを浮べた。
「まったく」
ガシガシ、と、王太子の手が俺の頭を乱暴に撫でる。
「とっとと結婚しろ。アデアと寝て、子のひとりでも出来ない限り、お前さんもアデアも今のままだぞ?」
別に今に不満があるわけではないが……、いや、言い負かされっぱなしなのは不満だったので「俺とアデアの性格が混ざった子供か。凄まじいのになりそうだな」と、自嘲半分に王太子に向かって嘯いた。
だが、俺と同じように手のつけられないような悪ガキを想像したモノだとばかり思っていた王太子が、ハッハッハァ! と、周囲の人足や護衛の視線を集めるほどの大声で、心底楽しそうに笑い出した。
戸惑う俺の目を見ながら、目尻に涙を浮べるほどに笑った王太子の横顔。その青い左の瞳が真っ直ぐに俺を捉えたと思った瞬間、耳元で囁かれた。
「願ったりだろ? それなら、次代の
嘘か本気か、それとも単なる冗談なのかは、王太子の微笑からは判断出来なかった。
ただ、もし仮に俺とアデアが正式に結婚して、子供が出来て――本当に王太子に指名されたのなら、その時の王太子は……。
いや、未来の話と仮定が多すぎて上手くまとまらない。
それに、今はそうした落ち着きを得たいわけじゃなくて、俺は王太子や皆と走っていたいって気持ちの方が本音だった。
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