夜の終わりー9ー

 港へと続く大通りで、昼用にと店外に品を並べて声を張り上げる奴隷の売り子を適当にあしらいながら、目に付いた串焼きの魚や、大麦のパンをネアルコスに買わせて齧りながら歩く。本当は魚よりも肉の気分なんだが、現在のレスボス島は重装騎兵のための軍馬や荷駄の生産に力を入れており、マケドニコーバシオ本国のように簡単に乳製品や獣肉は手に入らない。

 俺の横では、使い捨ての素焼きの器に入った豆と魚卵のスープを口に運びながら……すれ違った女の顔を見るために、道を戻ろうとしたネアルコスをふん捕まえて、再び歩き出す。

「屋台の器はともかくとして、保存用の瓶や陶器はなんとかしたいものだな」

 目下、最大の商業戦争の敵であるアテーナイヱの特産は、痩せた土地に向くオリーブの生産とその関連商品、そして陶器だ。収穫期が限られる農産物と違って、年中取引できる陶器の流通は頭痛の種でもある。

 代用しようにも、他の地域のものは質が劣る。

 しかし、メタセニア生産のワインを詰めるためにアテーナイヱの陶器を輸入すれば、利益率に響く。さて、どうしたものか。

「その注意力は女の子へは向かないんですか?」

 顎に手を当てる俺を、俺よりも背の低いネアルコスが下から覗き込んできた。

 はん、と、短く吐き捨て肩を竦める。

 そんな時間があれば、金を儲けて兵を鍛えるっつーの。

 いつも通りの俺にネアルコスは苦笑いしたものの、ふと思案げな顔になり――。

「アーベル兄さんは、ラケルデモンに居た頃はどうしてたんですか?」

「いきなり、なんの話だ?」

 話が飛んだな、と、思いつつ、昨日のアデアもメタセニア領とラケルデモン本国の違いについてあんまり理解してなかったのを思い出し、そうした話かと思ったんだが……。

「いえ、女の扱いという事ではたと気付いちゃったんですけど、アーベル兄さんはエレオノーレさんが奴隷だったから上手く扱えなかったという事だけなのかなと」

 言外に、港でのアデアとの遣り取りを茶化されている気もするが、着眼点そのものは確かに自分自身の中で盲点だったな、と、思う。当たり前過ぎて。だが――。

「いやー、……ラケルデモンは女との接点が少ないというか」

 冷静に過去を振り返れば、奴隷云々の問題でもないと直ぐに考えを改めた。

 色気づく前には、少年隊の詰め所に押し込まれて男だけの共同訓練だし、俺が特別女心が分からないってわけではないと思う。基本、興味のない話は聞き流してたから、同じ少年隊のガキ共がどうだったかは、ほとんど覚えていないんだが。

 まあ、でも、奴隷から食料だけを略奪するってのも考えにくいし、適当に女もさらって犯してたんだろうとは思うが……。俺、そういう目的でエレオノーレと戦ったわけじゃないしなぁ。

「ですけど、昔お話されていたように、家族から奪うぐらいの男じゃないと娘さんとの結婚を認められないというなら、アーベル兄さん強いんだし、そういう話もあってもおかしくないと――」

「いや、お前、王族とはいえ没落してて、少年隊の監督官にも目をつけられてて、乱暴で有名。そんなのに手をつけようって奇特なのがいるか?」

 前提条件からして間違っているネアルコスに、あまり面白い話でもないが、ラケルデモンでも純粋な実力だけではなく、縁故や権力による差別があることを伝えるが、やはり他国のことなのでいまひとつ理解が及ばないのか、更に追及されてしまった。

「ちなみに、ラケルデモンではどうやって女の子と知り合うんですか?」

 取り合えず、同じ少年隊の連中の事を思い出してみるが、心当たりは一件しかなかった。

 が、それを話した反応がすでに予想できるだけに、口を開く前から俺は額に手を当てる。

「ラケルデモンは、女も鍛えるので噂からその鍛錬場所を割り出して――」

「割り出して?」

「覗く」

 瞬間的に、ネアルコスの顔がにへっと緩んだ。

 ので、その予想通りの表情をしたネアルコスの額を叩いた。

「……痛い」

 恨みがましい視線をそのままに、めんどくさいので一気に話を進める。

「んで、ガキなので、誰某の娘は可愛いだとか、胸がでかいとか、尻がでかいとか、誰某の娘は父親似だから絶対に無理だとか、ぎゃあぎゃあ騒いで、最終的に実力順で好みの女を選ぶ」

 選んだ後は、少年隊内部でのいざこざさえなければ、青年に変わる頃には同じ少年隊の友人と協力して、その女の家を襲撃して浚い、家長に認められるって流れだ。

 周囲に実力を認められつつも好みの女が居ない場合なんかは、監督官連中から適当に指定されたり、逆に、自分の娘を浚いに来いと勧誘される場合もあるらしい。ま、その辺りはなんとなくで決まってる部分もあるんだよな。同性愛傾向が強い場合なんかは、兄弟で同じ妻を娶ったりとかもあるし。

「アーベル兄さんは? どんな女の子を覗いていたんですか?」

 きょとんとした、無害そうな顔で尋ねてくるネアルコス。多分、いやらしい気持ちよりは、純粋な興味が勝ったんだと思うことにするが……。

 無言で、親指を首筋に当てて喉を掻き切る真似をして見せる俺。

 女を捜して寝床から人気が無くなった際に気に入らないヤツ監督官を殺したり、女の元へ通う無防備な時を狙って格上のヤツとさしで勝負したりと、そんな事のために女の家の情報や色恋の話は仕入れていたが、自分自身が女を求めるって考えは無かった。

「なんでですか」

 苦笑いのネアルコスに、大麦のパンを全部口の中に放り込み、二~三度噛んで飲み込み、空いた手を頭の後ろで組んでから。

「殺られる前に殺れ、が基本だったからな。女っつってもなぁ……興味がないわけじゃなかったんだが。別に今じゃなくてもいいかってのもあったし、女はおろか男にも恐怖と嫌悪が混じった視線を向けられ続けてきたから。そんな俺が浚いに行っても、なぁ?」

 他の少年隊の男が押し入っても、木剣とか椅子とか、そんなので追い払われるだけかもしれないが、俺の場合は間違いなく訓練用ではなく本物の槍と剣を向けられるだろう。それでも負けるとは思わないが、そんな手間まで掛けて浚いたい女は居なかった。そもそも、浚った後も、相手が俺とあっては自害でもしかねない。

 アポローンとダプネーの再現だなんて、バカらし過ぎる。


 ……ああ、そうか。

 思えば、エレオノーレが初めてだったのかもしれないな。真っ直ぐに俺の目を見つめ返してきたのは。

 確かに、不安も緊張も恐怖も、色んな感情の混じったグリーンの瞳だった。

 でも、決して逸らさずに、まっすぐに俺を見据えていた。

 あの瞬間、本当に俺だけをエレオノーレは見詰めていた。


 は、お笑い種だな。

 たったそれだけの事で他の人間と違うって勘違いして、ここまで連れて来てしまっただなんて。

 恋愛を嗤っていた俺が、己の恋慕にこんなにも振り回されるとは。

「多分、その辺に誤解があるんだと思うんですけどね」

 勝手に自己解決していたが、ネアルコスの声で現実に帰る。

 だが、ネアルコスの言葉の意味する部分がどこなのかが分からない。

「なにがだ?」

「いえ、アーベル兄さんって変なところ卑屈なので」

「卑屈ってな」

 傲慢とはよく評されるが、それとは真逆の言葉を笑い飛ばそうとするが――。

「でも、旅している時にエレオノーレさんを結婚させはしなかったんでしょう? もう、いい歳だったのに」

「アレは、あーゆー性格なんだから、どんな変なのでも受け入れるだろ。だから、最低限不幸にならないように釘刺してただけだ。事実、今回の縁談に俺は賛成だろうが」

 浮かんだ笑みをネアルコスに消されてしまい、思いの外真面目に……というか、不満を自覚できるような声で返事をしてしまった。

 いや、縁談に賛成しているのは本当なんだが、軽い話ではなくなったという意味での声色の変化だ。多分。

「いや、そこも間違ってる気が……。アーベル兄さんに見せる態度を、他の誰にでもしてるって思うのは、きっと大間違いですよ?」

 は? と、問いかけようとして言葉を忘れた。

 目を瞬かせるが、ネアルコスも同じ様に目を瞬かせている。


 しばし見詰め合っていると、ネアルコスがわざとらしくしなを作ったので、再び拳を向ければ、今度は後ろに飛び退いたネアルコスが得意そうに笑った。

「違うのか?」

「全然。っていうか、そこは、もっと早くに気付いてあげておきましょうよ」

 呆れ顔のネアルコスに、からかっているのではなく、実際周囲はそう感じていたのだと理解した。が、いまひとつ、納得できない。

「どのように違う?」

「全部です!」

 本当に分からないので訊ねているんだが、なんで分からないのかが分からないといった顔でネアルコスに力強く答えられては――さっき指摘されたように卑屈にならざるを得ない。

「悪い意味でか?」

「いや、なんでそこで逆に解釈するんですか」

 俺の感覚で言うなら、俺に接する時よりもむしろ他人と接する時の方が優しいんじゃないかと思うんだが。

 実際問題として、これまでも船に居た頃はドクシアディスの方が親しそうだったし、キルクスに対する時の方が丁寧で、マケドニコーバシオに来てからも、王太子には怯えているようだったが、プトレマイオスやネアルコスとは仲良さそうにしている。

 考え込む俺を、きょとんとした顔でネアルコスが見上げてきたので――。

「言う事きかねえし、ぎゃんぎゃん喚くし、その割りにお願いする時以外に話の中身があった例がねえし」

「愛されてる証拠じゃないですか」

 嘆息する。

 そういうのが良く分からんし、そんな愛はいらん。態度に匂わすのではなく、はっきりと口で言えば早いだろうに。

 つか、女ってのは、嫌いなやつと好きなやつに対する態度は同じになるのか?

「愛に気付かない鈍感な俺が気に入らないなら、捨てればいいだけだろ? 他にも男なんて掃いて捨てるほど居る」

 ともかくも、素直に周囲の意見を聞くならそういう事であったらしいので、それを踏まえて現状の愛の証じゃない対立について皮肉ってみるが、ネアルコスは少し優しく、だが、困ったような顔で答えた。

「エレオノーレさんも、理詰めでは解ってるんですよ。でも、それでも歩みを止められない」

 多分、正解は無いんだろう。人と人との関係性だ。そもそもが、俺の知る一番簡単な、人間関係の決着というのは――。

「殺っちまえってか?」

 冗談半分にそう提案してみるが、ネアルコスに真顔で注意されてしまった。

「極端過ぎます。それに、そんな事したら、折角手間隙かけてメタセニアを戦わずに版図に組み入れる作戦が台無しじゃないですか」

「お前、色恋についてこれだけ講釈垂れたってのに、そういう所は冷徹なのな」

 あは、と、小さな失敗を誤魔化す様にネアルコスが笑うも、芯には冷徹さを備えた王の友ヘタイロイの表情へと変えて「でも、事実ですし。僕等が利用することとエレオノーレさんの幸せは矛盾しない。ですよね?」と、続けた。

 俺の仕事の遂行を強いているのは分かるが、最後、念を押すように――そして、なにかを確認するように付け加えられた疑問詞の意味を拾いかねてしまった。

「善処はする」


 腹ごしらえは、話しながら歩いた道で済んでしまっていた。

 ネアルコスも、言いたい事は全て言ったからなのか、そのまま港へと向かう俺を追わずに、左の路地に逸れ、軽く手を振って――おそらく、ネアルコスが率いている軍団の指導指揮の仕事へと戻っていった。

 ただ、そうしたきちんとした仕事をしている仲間の姿が、少し俺を焦らせてもいる。

 いつまで、結果の見えない作業を繰り返すんだかな。

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