Alphekka Meridianaー16ー

 改めて言う事でもないかもしれないが、軍を指揮すると言うのは世間で思われている程に簡単な事ではない。ラケルデモンのように、幼少期からの集団教育で命令服従を叩き込むか、マケドニコーバシオのように王または王太子との深い結び付きで連帯感を持たせる、または、アテーナイヱのように金で傭兵を雇う……まあ、最後のは確実とはいえないが、命令を出す上でやりやすいのはそうした職業としての常備軍を使う場合だ。

 ただ、殆んどの都市国家ポリスがそうであるように、多くは装備を自弁出来る自由市民が、自分の奴隷や雇っている無産階級を率いて参陣しているのが現状だ。

 だからこそ、要所要所で保身や利権争いが顔を出す。

 今回の定例の軍議も、それは同じで――。


「いったい、いつまで待機させるんだ! 兵の我慢も限界である。敵の後方が遮断できたのなら、今こそ決戦すべきだ! マケドニコーバシオが動かないのなら、我々だけでも戦わせてもらう!」

 以前にも決戦を主張したイコールコスの市民軍部隊の指揮官であるカロロスがそう語気を強めると、意外と――いや、意外でもないか。これでも、自由市民なのだから、最低限の根回し程度は心得ているようで、他にも何人かの指揮官が同調している。

 が、逆に最初はコイツの顔色をうかがっていた連中の中にも派閥はできてくるようで「なぜ、ここでわざわざ攻勢に出るのか」と、別の都市代表が言い返している。

「なにぃ?」

 顔を顰めるカロロスに、その穏健派の代表はあくまでしれっとした顔で答えた。

「貴公は、あくまで略奪がしたいのだろう? 十日前の、村が襲われていると言う情報で勝手に出撃した際にも、そのまま保護の名目で略奪を行なったではないか」

「戦費を取り立てたに過ぎん。それこそ、言い掛かりだ」

 尚も続く舌戦に、こっちが舌打ちしたい気分だ。

 どいつもこいつも考えているのは自分のことだけで、要は、他の者よりも多くの戦利品を求めているに過ぎなかった。なので、出る杭を引き抜こうと、誰も彼もが揚げ足取りに終始している。

 このままでは拙いと思うものの、残念ながら、当初予定したよりもかなり難しい立ち回りを要求されているせいで、軍の再編さえままならなかった。

「もう、二十日になるか」

 ポツリとつぶやいた言葉は、隣のパルメニオンにしか聞こえなかったようだが、ピクッと動いた彼の片眉に、溜息を鼻から逃がして、もう何度目かも分からない弁舌を振るうことになった。

「この膠着状態は、意図して行なわれているもので、作戦は順調である。マケドニコーバシオ軍は、南部防衛線を奪取した。今は攻勢準備と、敵拠点へと圧力をかけている段階であり――その間の、周辺の村々の保護は、各自に一任する。ただし、決して無理攻めされぬように」

 同じことの繰り返しなので、聞く方もおざなりで、今日の定例会議も各部隊の利害調整に終始するはめになってしまっていた。



 各自、勝手な主張だけをして本陣を後にする指揮官を見送り――とはいえ、その背中に視線を向けただけだが――、パルメニオンと二人になった途端、横から声が響いた。

「良くありませんな」

「どれががだ?」

 このテレスアリア軍の状況がか、それとも、ラケルデモンとの交渉の進捗か、はたまた南部防衛線の構築状況か。

「全てです」

 ふん、と、鼻で笑ってしまう。


 作戦は当初は順調に推移していた。王太子率いる本隊は、三日で南部山岳地帯を奪還したものの、防衛線の構築に手間取っている。後で聞いたところによれば、敵は全面衝突せずに兵を退き、陣地構築の段になってからの嫌がらせ攻撃に終始しているらしい。

 おかげで、兵糧の完全遮断には成功しているとはいえない。

 更にこれは俺の失策だが、待機に倦んでいるテレスアリア兵に対し、その情報を公開してしまっていた。なので、既に勝った気になったテレスアリア人指揮官は、戦後の利権争いに勤しんでいる。

 ……いや、指揮官だけでなく兵の士気の問題も大きかった。

 軍に命令を出すことは容易ではない。敵陣に突撃するような危険な命令もそうなんだが、待機を続けさせることも、自らの都市では労働の必要のない自由市民にとっては苦痛のようで、五日目から明らかに士気の低下と軍規の乱れが目立つようになってきた。そこで、苦肉の策として、人員を交代で都市へと帰らせるローテーションを組んだのだが、それが戦利品持ち帰り競争にも繋がっている。

 元々、戦地は敵だけではなく、味方の略奪にもさらされるものなのだが、これでは戦後の再建にかなりの手間を要することになるだろう。


 それだけでも頭が痛い所に、対外的な問題が更にふたつある。

 当初、こちらの提案に乗ってくると思われたラケルデモンだったが、メタセニアを失うも本土防衛には成功したため、同盟の条件に難癖をつけてきている。

 そして、とどめが、ヴィオティアから国王に届いた和平案である。

 マケドニコーバシオの飛び地で、ここよりも少し南にあるコリンティアコス湾周辺の海洋都市――元々は、ヴィオティアの保護国で、現国王が奪い取ったものらしい――を返還すれば、占領地を解放するとの和平条件が出された。

 マケドニコーバシオの海軍力の弱かった時代ならいざ知らず、現状、海上通商網を失うわけにはいかない、しかし、この和平案を蹴れば、テレスアリアのマケドニコーバシオへの感情が悪化する。

 しかも、ここにきて、テレスアリア兵の日和見が遺憾なく発揮されていた。マケドニコーバシオから、ヴィオティアに再度鞍替えを狙う勢力があり、後方の王の友ヘタイロイはその対応に追われていて、テレスアリア兵を兵種や体格で部隊を再編しようにも、指揮官が足りず、各都市で独立されたままでいるのだ。

 侵略されたと言う点では確かにこちらの落ち度もあるだろうが――とはいえ、それも、国境警備をしていたのはテレスアリア兵であり、侵攻を押し止め、現状、有利に傾いてきていると言うのに――風説で掻き乱しに掛かってくるエパメイノンダスの手腕は見事という他になく、俺は動くに動けずにいた。

「どうする?」

 と、パルメニオンに問い掛けても、状況は好転しないのはわかっているが……。

「私が直に新都ペラに向かう際には、上申します」

 まあ、策がないのはパルメニオンも同じのようで、そう返ってくるだけだった。

 よろしく頼む、と、パルメニオンの肩に手を乗せ、俺も会議室を出る。


 待機に向かないのは、もしかしたら、兵隊以上に俺自身なのかもしれないな、なんて思いながら。

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