Alphekka Meridianaー17ー
この戦いの直前まで、ラケルデモンとマケドニコーバシオが二大勢力でどちらが
ただ、そんな流言が飛び交っているのは、あくまで対岸の火事と言った気分からなんだろう。巻き込まれているという自覚は、どうやら皆無のようだ。大方、マケドニコーバシオが敗れるなら、統治者をヴィオティアや、ラケルデモン王に鞍替えするだけ、とでも考えているんだろう。
そもそも、戦場に出て来てるってのに、自分の目で敵を見て、自分の頭で未来を考えられない人間が
とはいえ、俺も待機を命じるばかりで――裏では、多少の懐柔や多数派工作も行なっているが、脅したり金を握らせて味方につけたテレスアリア人指揮官は、周囲の恫喝であっさりと折れるようなのが多くて頼りにはならない――直接的な行動を起こしていないので、舐められている節がある。
状況が変化していない以上、ここで攻勢に出るわけにはいかないのは重々承知だったのだが……。
「小規模の別働隊が動いている?」
はい、と、報告してきた子飼いの兵士が頷く。
ここ数日、百名程度の小規模の軽武装の集団が、付近の村を襲っているようだ。こちらの陣地には近寄らず、牛馬と食料を奪っているらしい。
ちょっと首を傾げてしまう。
敵の要塞の偵察も行なっているが、付近の都市から奪ってきた木材や石材を使って堅牢な城壁を作った事を考えれば、なにか裏があるような気がしてしまう。どうも要塞内部まで都市化する余力はなく、基本的には粗末な小屋や天幕で生活しているらしいが、それにしたって篭城するなら食料に関しては充分に計算されていたはずだ。少なくとも、冬越しは視野に入れていなければおかしい。
山の季節は早く、最近では朝晩の冷え込みを感じるようになってきてはいるが、それでも、対峙してまだひと月程度だ。ここで備蓄を失う愚を犯す指揮官だとは思えないんだが……。
と、まだ汗ばむ昼の日差しの中で考えていると、荒々しくドアが叩かれ、返事を待たずに入ってきたのは、例のイコールコスのカロロスだった。
禿頭に汗が光っていて、走ってきたんだなとは分かる。というか、禿げた頭から汗が吹き出るとあんな風になるんだな、なんてバカな事の方に意識が向いてしまう。
考えなしに突っ走るから、これはこれで扱いやすいんだが、その分、攻勢に出ない俺を舐めてかかってくるのは面倒だった。
「侵略者を、これ以上傍観する気なのか!」
ドン、と、俺の執務机を叩くカロロス。
先程の情報源はこいつか? と、視線で部下に問うが、無言で首を横に振られた。表情を見るに、自分でしっかりと確認してきたのだろう。
なら、こちらに揺さぶりを掛けるのが向こうの狙いなのか?
「カロロス殿、軍議を待てなかったのか?」
ここで主導権争いをするつもりは無かったが、まずは出方を窺う目的でそう訊ねると、再び机を叩かれた。
「この際、はっきり聞かせてもらいたいのだが、本当にそちらはテレスアリアを防衛する気はあるのか?」
「どういうことだ?」
「これだけの兵を集め、にも関わらず待機の一点張り等、他に目的があるとしか思えないではないか」
元々こちらの意見を聞くつもりなんてないのか、食い気味にそう語気を荒げたカロロス。
「他の目的?」
本当に心当たりが無かったのでそう訊ねてみるが、はっ、と、短く笑い飛ばされた。
……国と国との関係を気にしなくていいなら、無礼を理由に即座にぶった斬ってるんだが、流石にそれは思い止まった。いや、パルメニオンがいなければ、殺してるところなんだがな。
中々に、出世したらしたでしがらみが多くなって困る。
「マケドニコーバシオ内の対立については、我々も承知している。辺境に軍を集め、内乱を起こすつもりなのだろう? 今は、その準備をしている。……その手には乗らんぞ? テレスアリアは大軍を維持するのに最適な土地だからな」
今度は俺が、はっ、と、笑い飛ばす番になってしまった。
寝言は寝て言え、と、返せば喧嘩になると分かっていたので言葉は口から出る前に飲み込んだが……。いや、適当に理由をつけて殺してもいいんだが、これはこれで陣の暗い空気を払う程度の役には立つ。短慮だが、だからこそ焚きつけてテレスアリア兵全体の不満を俺にぶつけさせ、寄せ集めの軍団の意志をまとめる意味では有用だ。
テレスアリアは確かに大穀倉地帯で、経済基盤も安定している。しかし、騎兵の数と質で劣り、策源地としては食料の調達以外の利点に薄い。そもそも、多数の軍勢を一箇所に集めては、利点よりも欠点が目立ってしまう。今のテレスアリア軍のように、諍いや足の引っ張り合いで分裂や内紛の危険性がある。
王権を奪うなら、一撃で急所を突くことこそが重要なのだ。本気でそれを目指す我々には。
一国ではなく、世界を掌中に収めるには。
こういう時、これまでなら、パルメニオンと俺とで圧力と懐柔の役割を分担し、上手くはぐらかしていたんだが、今、パルメニオンは新都ペラへと定時連絡に向かっており、帰還にはまだ数日掛かる。
俺が笑い飛ばしたことで、自尊心を傷つけられたとでも考えたのか、カロロスは顔を紅潮させて怒声を吐こうと息を吸い込んだようだったが「黙れ」と、俺が一言殺気を纏って発すれば、それで大人しくなった。
武勇で鳴らしつつも、王太子のお気に入りと言う威光だけ。そんな中傷にも、のらくらした態度で誤魔化しつつ、今日までその評価に甘んじてはいたが、鬱憤が溜まっていないわけではない。
威勢は良いものの死線をくぐった経験がないのか、途端に萎縮してしまったカロロスをそのままに、口元に手を当てて考えてみる。
正直、兵士の忍耐は当に我慢の限界を超えていた。都市に帰らせて休ませているとはいえ、一度後方に下がった兵士が再び戦意を漲らせて参集することは非常に難しく、また、軍団と言う面で見ても、膠着した戦線で緊張感を一度失った兵士の軍紀を引き締めるのは容易ではない。
それなら――。
目の前の男を見る。成程、確かに、イコールコスでは腕っ節でならしたのか、多少は動ける様子で、今俺の視線に射竦められては居るが、思い切りは悪くはない。自由市民らしく、多少は根回しや悪知恵も働く様だが、それもあくまで揚げ足取りの面に長けるだけで、こと戦闘においては凡庸な指揮官だ。
良くも悪くも深くは考えない性質で、こうと決めたら、自分自身の妄想に現実を当てはめるタイプとも言える。きっとコイツなら、戦術よりも勢いを重視する。
これなら、大勝ちすることもなく、適度な敗北……いや、敵の力量次第では少々の勝利を掴み、陣内の空気を変えられるのではないだろうか?
勝てば鼓舞し、負ければ危機感を抱かせられる。いずれにしても、その後を上手く行えば、損失は僅かだ。
それに――。
「カロロス殿は、あくまで、敵の略奪部隊の迎撃を主張されるのだな?」
そう訊ねながら、
俺の一番勝る点は、敵味方に恐怖を与えることだ。汚れ仕事はむしろ、歓迎すべき事だろう。どの道、どこかで生贄は必要だった。それなら、このバカにそれをさせればいい。
どこか怖気付きながらも、退くに退けずに頷いたカロロスに、真っ直ぐにその目を見据えて続けた。
「よろしい、今、貴公が掌握している八百の兵で事に当たりたまえ。敵の分隊は百程度と聞いている。敵の増援があってもそれなら充分に対処できるな?」
攻城戦には足りない兵力であり、暗に、敵の分隊のみを叩くことを仄めかす。カロロス程度の頭でどの程度それを理解したかは定かではなかったが、深追いして敗北したとしても、テレスアリア人の戦死は然程惜しいものでもない。戦場はテレスアリア国内であり、補充は敵よりもしやすいからだ。
無論、威力偵察の口実を与えれば、先遣隊と戦った後、そのまま周辺部隊を巻き込んでの全力突撃へと移る可能性を認識してはいたが、正直、ラケルデモンへのアプローチも、ペロポネソス半島でのラケルデモン周辺の戦線も、南部防衛線も膠着している以上、どこかが均衡を崩す必要があるとも考えていた。
それに、ヴィオティア遠征軍がこの程度の兵士に負ける程度なら、今構築している大掛かりな包囲網は不要だ。
無論、戦略そのものを台無しにしてしまう危険性を認識してはいたが、戦後を見据えてというなら、マケドニコーバシオの実力を疑う声が巷に溢れる今こそが最大の危機とも言える。
案の定といえばそれまでだが、こちらにどんな思惑があるとしても、結果で捻じ伏せる。そう顔に書いた上で、カロロスは――多分、己自身を奮い立たせる意味でも、俺を睨み返して宣言してきた。
「サロ湾の戦いでは、後れを取ったが、テレスアリアの戦いをしかとお見せしよう」
その言葉から、なんとなく決戦を主張するカロロスの心理が見えた気がした。
イコールコスも港湾都市としてはそれなりに歴史があり、おそらく、援軍に船や兵士を随分と供出したのだろう。
カロロスの動機が、恨みだろうが、憂さ晴らしだろうが、それとも単に本当に汚名挽回だけなのか、それはどちらでも良かった。向こうに戦う理由があるのなら、それを利用するだけだ。
「期待してるよ」
と、言葉ほどの期待をこめずに言い放つ俺。
矛を交えていないままでは、敵の指揮官も兵士も、何も見えてこない。ならば、敵を理解する上では、一度戦うのも悪い選択ではない、と、考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます