Syrma-18-

 野営地へと戻る足取りは、上手く表現できない空気に覆われていた。戦勝の喜びと、仲間の死への悲しみがない交ぜになって打ち消しあい、最後に残った圧力だけがそこにあるような……。

 ある種の重厚な凄みと、弾ける前の泡のような危うさを湛えた空気だった。


 いや、それも仕方ないのかもしれない。犠牲そのものが恐ろしく少なかった北伐や、戦闘後にやるべきことが多く感情を忙殺されたミュティレア攻略と比べ、今回の戦いはまるで違う。

 無駄な戦闘ではない。長期的に見れば、テレスアリアへの干渉を強められることには利がある。

 ただ、短期的、直接的な利益ではないんだよな、と、微かに嘆息する。領土を得たわけでも、都市の財貨を奪えたわけでもない。

 それを、である俺やクレイトスの軍団兵にどう納得させるか、だよな。

 通常の都市の軍隊は、自由市民が民会の決定により装備を自弁して組織されるため、その意思決定に兵士本人が関わっており、こうした動機に関する部分での問題はない。……まあ、無能な将軍に対する不平不満や、敗戦後に作戦の責任を擦り付け合うような問題はそっちでも存在するだろうが、その程度だ。

 だが、俺達は常設の軍隊であり、其々の軍団の長、ひいては王太子の意向で動く。もっとも、普通の自由市民と違って衣食住に関しては全てこちらでまかなっているので、訓練だけしていれば収入が入るという相互利益が確保されているんだが。

 ただ、それは平時の理論であり、こうした戦場の極限状態では、作戦に関する疑問や、大局的見地への疑心も生じやすい。それを抑えるために、褒賞を与えるのだが、それが行えるのはミュティレアに帰還してからだ。

 戦場での略奪を許しはしたが、鉄貨しか流通していないラケルデモン人の私物など価値が知れてるしな。


 ただ――。

 ひとつだけ付け加えるのなら、今、そうした負の感情はほとんど感じていない。熱気だけが、背後から伝わってくる。

 だからこそこの状態をどう解釈すれば良いのか、悩んでいた。そして、どんな言葉を掛けるべきなのかも。

 ともかくも、直接的な動きがない以上、下手に刺激せず、野営地でネアルコスへと相談しようと思っていた矢先。クレイトスが普段通りの――後ろからついてくる軍団兵にも聞こえる声量で――話し掛けてきた。

「おい! アーベル、ひとつ教えトいてヤる」

「なんだ?」

「戦士なら、戦うべき時がアる。たとえ、どんな相手でもナ」

 クレイトスはネアルコスと違って、喋るのは得意ではない。もっとも、クレイトス以上に口下手な俺が言えた義理ではないのかもしれないが。

 いや、むしろ、だからこそこういう場面で潤滑剤がないのは少し辛いかも知れない。

 クレイトスの説明はやや雑だし、俺も読解力と話術に自信がないので、誤解が生まれないとも限らない。

 お互いの軍団兵を後ろに連れている手前、視線で、野営地に戻ってからの方が良いんじゃないか? と、訊ねてみるが、案の定、クレイトスは俺のその視線の意味に気付かないままで話し続けた。

「南部の先進都市の生まれのお前には、馴染みが無いかもしれンが、野蛮人と見做されていた北部の俺達は、その機会をずっと待ってた」

 クレイトスの口調は、半分は作っているもので、もう半分は素だ。時折混じる多少軽薄な言動は、相手を怒らせて本音を引き出すって言うクレイトスの話術の一部。

 ただ、今日はいつもと違った熱を、その言葉の端々に感じていた。

 兵の熱気に中てられたのか?

 いや、『南部の先進都市の生まれ』と、俺が最近はラケルデモンに関する部分を口に出さないようにしているのを知っていたのに――雰囲気から察するに、意図的じゃない――うっかりと口を滑らせたことから考えれば、中てられたのではなく、兵と同じ熱狂の上にクレイトスはいるんだろう。

 普段生国を意識することは無いが、こうして口に出されてしまうと、なんとなく溝を感じてしまい……。

 俺が口を噤んでも、クレイトスは気にせずに話し続けた。

「南の先進国と戦い、打ち破る瞬間をダ! ! 大昔にアカイネメシスを撃退して以降、陸戦最強国の名をほしいままにしていた! それに、抗える事を、俺達は証明したンだ!」

 熱弁をふるうクレイトスに、俺自身も南部……しかも、そのラケルデモンの出だと肩を竦めてアピールすれば、軽く馬上から足が降ってきた。

 その蹴りは俺に届かなかったが、手の甲で蹴りをいなした時、クレイトスも自分自身の言葉について少しは自覚したようで、思いの外あっさりと絡んでくるのを止めた。

 クレイトスが黙ったことで、微妙な沈黙が間に入り、お互いに話し始める切っ掛けが見つけられずに、二呼吸の間を埋めた沈黙が、更に伸びていく。

 俺自身の足音と、馬の日頭目の音だけが暫く続いたが、クレイトスが若干気まずそうに、兜の中に指を突っ込んでわざと音を立てて頭を掻いた後、最後にはどこか観念したような口調で呟いた。

「良いンだよ。お前だけはな」

 自分で言ってて照れたのか、クレイトスはそっぽ向いてから口調を改め――。

「三十二名の犠牲は無駄じゃねェんだ。勝利で報いたンだ。俺も、お前も、王の友ヘタイロイなら浮かれず、沈まず、ただ胸を張れ」

 多分、クレイトスは最初から意図して配下の軍団兵へと視線を向けたんじゃなかったんだと思う。馬上にあるクレイトスと、徒歩の俺との高低差や位置取りの差によって、俺から視線を外した弾みで仲間の表情に気付いてしまったんだ。一拍の間の後、大きく目を開き、そして俺にも後ろを見るように促して深く兜を被り直したんだから。


 視線を前へと向けたクレイトスと反対に、身体ごと背後を振り返る。

 揺ぎ無い仲間の瞳が俺を捕らえた。

 自分自身を信じ、隣り合う兵を信じ、そして、俺を信じている……疑念の余地が入り込む隙なんて全く無い視線。

 強い、力を感じる。

 恐怖じゃない、だが、背筋が泡立つのを感じた。


 軽く目を閉じ、再びクレイトスの横へと並ぶ。

 王太子や、王の友ヘタイロイの仲間を羨む気持ちは、今も消えていない。皆に向かって兵や民から向けている尊崇の眼差しを、妬ましく思う気持ちも。

 だが、いつの間にか、俺にも、信じてついてくる人間がいたんだなって思うと……。


「俺は、沈んだ顔をしていたのか?」

「多少、ナ」

「そうか……」


 胸に手を当ててみる。その心の中にある感情を読み取ることは――自分自身のモノであるはずなのに、上手くできなかった。

 ただ、その拍動を答えのように感じていた。



 その後、野営地での戦勝報告を行うと、ネアルコスも留守居の兵士達も皆一様に喜び――それから、少しだけ母国と戦った俺に気遣いを示した。

 テレスアリア兵は、その報告によって士気を取り戻したため、その後の行程が少しだけ楽になった。

 ラケルデモン軍は、掃討作戦は続行している様子だったが、俺達へ向けて改めて追手を送ってくることはしなかった。手強い敵に拘って多数を逃がすよりも、アテーナイヱ兵に対する包囲網の維持を計ったのだと思う。

 そして、戦闘から七日目には、俺達は仲間の火葬を済ませた上でアカイネメシスの港へと着いた。キルクスのバカのおかげでミュティレアの船が減っていたので、輸送に若干手間取りはしたものの、十日後には全員がミュティレアへの帰還を果たした。


 戦闘による直接的な死者三十二名、その後の傷病死が十一名。合計で四十三名の犠牲の元、俺達はテレスアリア兵救出作戦を完遂させたのだ。

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