Syrma-17-

 兵站の管理を終えたのか、俺と同じ左翼を担当し、戦闘の直前まで話しこんでいた部隊長が俺の目の前へと歩み出てきた。

 激戦の疲労だけではなく、どこか色を失った瞳のままで。

「アーベル様……」

「どうした?」

 なんとなくだが、その表情から内容は察せてしまった。が、軍団を預かる者として、それを聞かないわけにはいかない。

「アニケトスが死にました」

 兜を脱ぎ、左翼の小隊長の――アニケトスの上官でもある――ディノスが口にした。

 ……つい、さっきまで軽口が叩けていたって言うのにな。いや、分かっている、それが戦場だ。死は、誰にでも訪れる。

 俺にも、いつか必ず。

「……そうか。全体の損害は?」

 思う所が無い訳ではないが、やはりこういう時にどんな顔をすれば良いのかは分からなかった。

 自分自身の感情、と、問われても……いや、その場合は余計に余計に難しい。昔のように、負けた人間が弱いからだ、と、割り切っているわけではない。しかし、悲しいのかは分からない。誰も死なないと思える程、俺は楽天的でも戦場を知らなくもなかった。

 もったいない? まあ、ある意味そういう感情なのかもしれないな。折角育てた兵を失う事と、その兵の未来が閉ざされたことに関しては、偽り無くそう感じる。ただ、それが悲しみと直結していると問われれば、解らないとしか言えない。

 ふと、戦勝で浮かれる軍団の中、無理に明るく振舞っている者や暗い顔をしている者の存在がディノスの言葉によって浮き上がって見えた気がした。

 ……そう、だな。

 帥であるなら、喜びであれ悲しみであれ、感情は簡単に顔に出すべきではない。そういう意味においては、俺の態度は間違っていないと思う。特に俺の場合は普段が普段なので、直前に会話したという理由だけでそのひとりの死を悼んだとしたら、共に命を掛けて戦っている軍団兵の命に優劣をつけていると受け取られる危険性がある。

 軍団兵の全てに優しく出来る性質じゃないんだ。だとしたら、冷徹だと思われていた方が良い。例えその姿勢を、配下の軍団兵に非難されたとしてもな。

「死者三十二名、負傷者多数……と言いますか、無傷の者はおりません」

 淡々と、事務的に戦闘後の処理が行われていく。報告の間にも、俺の横に戦死者の遺体が次々と運ばれてきている。

 兵士個人による略奪が済み、軍需物資の確保も概ね完了しているようだ。

 まあ、クレイトスのところの騎兵はともかく、俺の兵はそういうこと――物資や奴隷の略取――は得意中の得意だからな。

「騎兵の損害を含む数か?」

「はい」

 ふと、その言葉を聞いてからクレイトスの表情を――クレイトスは馬上なので見上げるようにして除き見ようとしたんだが、上手いこと顔を背けられてしまった。

 佇まいからは、クレイトスの感情も読めない。

 損害は参戦した兵士の約一割の損害だが、敵を全滅させた事実を考えれば、一般的な比率だと思った。そう、数字の上では。

 ファランクス同士がぶつかり合う戦闘でも、敵を殲滅させた場合の戦勝側が出す損害はその程度になる。

 ただ――。

 勝利は得た、だが、作戦が正しかったのか疑問がないわけではないな。

 騎兵の助力を得ることは必須だった。そのために、敢て左翼を薄くし、右翼を尾栓とするために厚くした。騎兵が突撃する隙を作り出すために、左翼に犠牲を強いた。また、右翼に関しても騎兵突撃後の壁とするために、損害を予見した上で数を配置する事となった。

 ……味方の犠牲は、敵を罠に嵌める上では必要なことだった。見え透いた罠に掛かるバカはいない。挽回できる、と、敵に思わせ、隙を作り出すためには味方の出血は必要なことだった。そのはずなのに――。

 最近はいつも他の王の友ヘタイロイだったら、どんな作戦を立案したのかを考えてしまい、少しだけ気分が沈む。クレイトスとネアルコスは反対せず、実施に当たって細かい調整を行ってくれたが、それはなんの対策も思いつかなかったからではないだろう。

 今回の遠征の主力部隊が俺の軍団であり、また、俺が真っ先に作戦を口にしたため、自案を飲み込んでいたはずだ。

 ……他の王の友ヘタイロイで、もっと上手い作戦を考え付く者はいてもおかしくない。全く同じ状況を再現できるわけじゃないので、単純に比較できるものでもないが、むしろ、だからこそなにが正解なのか分からないもどかしさを感じる。

 俺は強い、まだ強くなれる、そう、信じてる。だが、自分と違う才をもつ王の友ヘタイロイの仲間や王太子ならどうしたのかを考えれば、心の表面が逆撫でるられた用にざわつくことは抑えられなかった。

 アルゴリダの後、ある種の諦念を抱えてはいるものの、俺自身はまだ途上にある。その不条理が、少し、苦しくて苦い。


「遺体は全てか?」

 ディノスが頷くのを確認してから、運搬のために布や戦利品の大盾の上に寝かされた遺体の側へと歩み寄る。

 激戦であったため、凄惨な状態の遺体も多かったが、遺体は布に包まれており、この場で出来る最低限の処置はされている。この後、ラケルデモン軍の状況次第でもあるが、ネアルコスの待つ野営地で遺体を洗い清め、香油で処理し――これもまた状況によりけりではあるが、港へとつく前に遺体を火葬し、戦場における最低限の葬儀を執り行う。

 正式な葬儀はミュティレアに戻ってからで、場合によってはテレスアリア兵と同時にマケドニコーバシオへと遺骨を送って、故郷で親族と二度目、もしくは三度目の葬儀を行うことになる。


「バカ者共が、まだまだこれからだったのに。俺も、お前等も」

 遺体の表情を整え、目と口を閉ざし、顔に傷のある者は……俺がなにか言う前に、ディノス、そして、最も戦死者の多かった左翼を担当した指揮官のタネクが、軟膏をもってきた。

 軟膏で出来る限り顔を整え、顔にも布を被せる。

 敵の死体なら有効利用させてもらうが、仲間を虫の餌にするような趣味はない。


 戦死者に対する戦場での弔いが済んだ時、クレイトスが声を上げた。

「おい。馬を何頭か空けロ。馬車を組め、英雄を運ぶ」

 いいな? と、クレイトスが俺の顔を見て小首を傾げて見せたので、俺は即座に頷いた。今は戦勝と弔いで感極まっているようだが、兵の疲労は大きい。

 物資の輸送に馬を出してくれるなら、断る理由はなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る