Wasatー11ー
だから俺は、誰よりも強くなろうとしていた……のかもな。
意識が軽く混濁して、場面がめまぐるしく切り替わる。
『アーベル』
最初に嘲笑を持って俺を少年隊に迎え入れた監督官の顔と声が響く。
『アーベル』
日頃の鬱憤を晴らすのに暴力を振るう青年隊がバカにしたように呼ぶ声が聞こえる。
『アーベル!』
腕を上げ、地に伏した相手から恐れを持って名を呼ばれるようになった頃、ようやく物事が分かった。這い蹲る敵に、斜に構えて酷薄に笑った俺の顔にはもう昔の面影は無い。
そして、その数年後。あの女が俺の目の前に――。
『……アーベル』
エレオノーレが俺の名を呼んだ時の声。真っ直ぐに向けられるグリーンの瞳。息遣い、気配、微かな癖や仕草……。
――はは、何を考えているんだ俺は。
自分自身を嘲ったその瞬間、これまで以上の衝撃で声が頭に響いた。
「アーベル!」
「ッツ? ハ……あ?」
目を開けると、驚いた顔のエレオノーレと鼻がぶつかりそうな距離で見つめあう格好になった。
一瞬、さっきまでの夢が混ざって、心臓が一度だけ高く鳴った。けれど、動揺を顔になんて出したくなくてぶっきらぼうに俺は尋ねた。
「どうした?」
「どうしたはこちらの台詞。うなされていたけれど、平気なの?」
「ああ、問題ない」
軽く頭を振って眠気を追い出す。油断だな。こんな側に寄られても人の気配に気付けないなんて。いくら疲れていたとはいえ、その隙に一撃を貰えば人生終わるだろうに。
「傷?」
不安そうな顔で訊かれて、反射的に違うと答えようとしたが、少し考えて即答を思い止まる。
「いや……ううむ」
普段見ない夢を見たり、近付いたエレオノーレの気配に気付けなかったり、うなされたりした原因は確かに怪我のせいなんだろうけど、目覚めは不思議と悪い気分ではなかった。
それに、軽く左腕を動かして具合を確かめてみるが、特に悪くなっている感じではなかった。
むしろ……。
近くにあった木刀を構えると、昨日よりもさまになっている気がした。
「少し慣らす。朝餉は任せる」
返事も聞かずに俺は立ち上がって、エレオノーレに背中を向ける。
背後からは、嘆息した気配が小さく伝わってきた。
打ち上げ、打ち下ろし、手首を返し大きく薙ぎ払う。反動を利用した左回し蹴り。振り抜いた左足が地面に着くか否かの所で右足だけで軽く跳躍し、回し蹴りを放つ。
着地した左足を曲げ、右手を地面につき、突き出した右足をそのまま地面すれすれを払った。
下半身だけに集中すれば、蹴り技はそこそこか。
昨日むちゃくちゃに暴れたことで、なんとなく身体の中の動きの流れが掴めたのか、それなりには動けるようになっていた。まあ、人ひとり殺すのも苦労するような状態ではあるが、まるっきり抵抗出来ないって程じゃない。
兵士相手には力不足だが、略奪のために奴隷を数匹狩る程度なら、この程度でもなんとかなるだろう。
今は得物は無いが、剣さえ調達出来れば骨は断てないまでも、皮と肉は斬れそうだ。
ふふん、と、鼻で笑い、傷に沁みるといけないので本格的に汗ばむ前に運動を止め、自分の寝床に戻る。
「アーベルは、どういう身体をしてるんだ?」
寝転がる俺に、雨で濡れたパンの全部と、その辺で獲った適当な小動物をまとめて煮ていたエレオノーレが感心し過ぎて呆れたような声を掛けてきた。
「昨日の今日でそんなに動けるようになるなんて」
身体を横に向け右腕で頬杖をつき――、少し悩んだが、事実は事実だし、言葉はただの言葉だと自分に言い聞かせ、……やや面白くない顔になってしまいはしたが、用意していた台詞を口にした。
「感謝する」
「え?」
「豆粒程度はお前のおかげだ」
「あ、ああ……。随分と小さいな」
不満そうな目で見られたので、軽口を返してみせる俺。
「今更、腕の一本でも切り落としておけば良かったと思ってるか?」
「そういう冗談は言わないで」
顔を背け、本気で怒った声で言ったエレオノーレは、しばらく乱暴に鍋を木の大匙でグルグルと力任せにかき混ぜた後、唐突に再び俺の方に顔を向け、切実な真剣な声で言ってきた。
「ねえ……。アーベルは、まだ、強ければそれでなんでも大丈夫だって思ってるの?」
「あん?」
急に変わった話と訊かれている意味が分からずに、俺は小首を傾げてエレオノーレを見た。
エレオノーレは一瞬だけ目を合わせるが、すぐに鍋へと視線を戻し、俺を見ずに話し始めた。
「怪我をして、どう思った?」
どう……とは?
「次はもっと上手くやる」
「そういうことじゃなくて……。アーベルは、あの処刑部隊をどう感じた?」
素っ気無く答える俺に対して苦笑いを浮べたエレオノーレは、意味も無く鍋をかき回した後、切実な声で訊いてきた。
が、俺としては余計に意味が分からない。あの連中に、敵という認識以外のなにがあるんだ?
「まあまあ鍛えている」
基本的には、一対一では俺に分があると思う。ただ、その差は僅かで上手く状況を活かされると、一対一でも危険な相手だと感じた。俺自身が少年隊相手では無敗で、青年隊相手でも余裕な所を加味すれば、確かに国内の最精鋭の部隊だろう。
しかし、エレオノーレは、また困ったような笑みを浮かべ……しばらくなにかを考える素振りをしていたが、思わせぶりな口調ではダメだと理解したのか、あまり口にしたくなさそうな顔で質問してきた。
「強いのだから、あの人達に従っても良いと思った?」
そういうことか、と、ようやくエレオノーレの言いたいことを理解した俺は、口元を右手で隠してしばらく考えてから答えた。
「……状況による」
「え?」
俺の答えが意外だったのか、驚いた顔をしてエレオノーレ。
ふう、と、鼻から溜息を逃がして、あまりかっこいい話ではないが仕方ないか、と、俺は詳しく説明してやることにした。
「殺し合いでは、なんでもありだ。正々堂々? 対等の条件で運任せの試合をすることになんの意味がある? 人は獣じゃないんだ、勝つための手段はなんでも揃えるのが普通だ。人数であれ、武器であれ、罠だって」
一拍間を置いてエレオノーレを見れば、不承不承といった顔ではあったがエレオノーレは頷いた。
コイツとしては、そもそも、そこまでして戦うなと言いたいのかもしれないが……。いや、どうだろうな? コイツ自身も生き延びるために最初の夜に戦いを選んだのだから、本質は分かってはいるのだろう。その現実をどう思っているにしろ。
ゆっくりと頷き返して俺は続きを口にする。
「だから……生き延びるためには、服従を選ぶこともある。逃げるのは恥じゃない。死ななければ復讐の機会は巡ってくるからな」
話し終え、ハン、と、鼻を鳴らす。
今朝方の夢のせいか、不意に幼少期の嫌な記憶が目の前に断片的にフラッシュバックした。
祖父が殺され、父は不在で、俺ひとりが兵士や分家、中央監督官の連中と向き合ったあの日。アギオス本家としての全てを奪われ、傍流に落ちぶれ、それでも生き延びることを決めたあの日。
今でも薄れない屈辱の記憶に、自然と奥歯をかみ締めていた。
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