Azmidiskeー4ー

 木製の渡しを登りきると……。

 黄昏に浮かぶ船のシルエットは、俺達の船の様子とはまるで違っていた。

 船の舷側に取り付けて使う大盾は、何枚か剥がれている。帆柱も、傾いてこそいないが、ひび割れたような傷が走っていた。付け替えなければ、とても上に見張りを上げられないだろうし、帆も張れないだろう。風圧で折れそうだ。

 それ以外にも、甲板のあちこちに傷があり、血が滲み込んだ後なのか、木目のせいだけでない色のむらがはっきりとわかった。


「外から横腹を見たときはそうでもなかったが……。甲板は酷いものだな」

 ドクシアディスが船の傷を蹴って――まあ、張り替えるしかないからそんな扱いなんだろうが、自分達の船のメンテナンスで神経を尖らせていた男とは思えない粗暴さで言った。

 俺も近くの船縁の傷を改める。キルクスがオイルランプを手に船を照らした。派手なランプの装飾も、今はどこかくたびれて見える。太陽は水平線の下に隠れていて、紫の空はだんだんと暗くなり始めていた。


 これは、戦斧の跡か?

 溝が深く、鉄と木の擦れた錆び色が傷の表面に浮かんでいる。俺はリーチの短さが嫌いなのであまり積極的には使わないんだが、盾で身を固めている連中を両断するには、やっぱり斧だよな。

 傷の位置や範囲から察するに、相当の腕力の持ち主だったようだ。まず間違いなく少年隊ではないし、青年隊の体格でもないだろう。

 ラケルデモン正規軍、か。

 ……しかし、俺以外のラケルデモン人は、船酔いしなかったんだろうか?

 いや、すぐに慣れたんだろうな、俺のように。俺に出来たことなんだから、他のラケルモノン人も出来て不思議は無い。

 もしくは、あのちっぽけな港町から慣れてるのを掻き集めたか、だな。


「ええ……。ここまで抜けなかったのが奇跡ですよ」

 俺が傷の検分を終えたのを見計らって、キルクスがドクシアディスに返事をした。


 甲板が抜けた程度なら沈むわけじゃねえんだし、だましだましここまで来るのも不可能ではなさそうだが……。全体のバランスとか、両舷の止め具のようになっている木材があるのか? 俺には、少し判断する知識が足りないな。

 まあ、そういう部分で余計な口を出す必要もないか、と、俺にとって重要でかつ理解し易いことを訊ねてみる。

「乗り込まれたか?」

 見れば分かることだが、状況を詳しく話させるための質問だ。キルクスは頷いて話し始めた。

「はい……。アーベル様を見ていて、対処は考えたつもりだったんですけど、ね」

 含みのある言い方だが、声に力が無い。

 多分、罠ごと食い破られたんだろう。所詮は素人の浅知恵だ。

 それに、戦闘中には常識ではありえないことが良く起こる。と言うか、熟練者は、状況次第でそのありえないことを起こそうとする。その方が、来るのがわかっている一撃よりも、相手を混乱させられるし、敗戦の印象付け――ひいては、撤退させる要因にもなるからだ。

 そうした予想外の行動や、それへの応手という思考の瞬発力は、実戦でしか鍛えられない。一度戦争を観ただけで身につけられるようなものなら、ラケルデモンはあんなに日常的に人を殺さないだろう。


「ん?」

 ドクシアディスが、キルクスの発言に若干突っかかるように訊き返した。含みのある言い方を咎めるためなのか、単に今は味方じゃない男に質問をするのでぞんざいになっただけなのか分からない。

 ただ、少なくともキルクスは、後者の意味だけに取ったようで、特に態度を改めずに答えた。

「乗り込んできたたった二人に、あっという間に五十人程殺られました」

「げ」

 俺としては、むしろ、弱卒のアテーナイヱ兵で返り討ちに出来た事が驚きだった。やはり、船戦は駄目だな。陸が専門の俺等には。

「俺だってそれ以上の事してただろ?」

 ドクシアディスに向かってからかうような笑みを差し向ければ、どちらかと言えば嫌そうというか迷惑そうな顔を返された。

「大将は強過ぎだろ。って、ラケルデモンは皆そうなのか?」

「……まあ、俺より強いヤツもいるだろうな」

 認めるのは癪だが、おそらく俺は自惚れて上の中、低く見積もって上の下って所だろう。中の上ではないと思うが、上の上と言うには、レオや――まあ、実際問題として今のレオに勝ってはいるが、全盛期のレオは相手に出来ない――、その他まだ見ぬラケルデモンの将軍連中を考えると、断言出来ない部分がある。

 しかし……、俺にはまだまだ伸び代がある。今が全盛期じゃない。


 ぎり、と、奥歯をかんでから、努めてなんでもないことのような態度で返す。

「もっとも、すぐに追い抜くがな」

 ドクシアディスは、解釈に悩むような引き攣った笑顔……のようなものを顔に浮べて、びびってる訳ではなさそうだが、あまり良くも思っていない顔を返してきた。

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