Alphekka Meridianaー41ー

 エスパメイノンダスは、死んだらしい。

 その報告を聞いたのは、ナウパクトスで先に撤退していたレオの部隊と合流を果たした後だった。即死ではなかったらしいが、噂では講和をそのまま進めるように遺言を残して逝ったとのことだ。

 また、俺が離脱した後の戦闘は、かなりの時間一進一退の状況が続き、ラケルデモンとヴィオティア双方の損害は甚大とのこと。ただ、その状況から双方が勝利宣言を行い、講和条件のための情報操作に躍起になっているようだった。

 事実、俺が率いていた連中も追撃されることなく、ヴィオティア領のナウパクトス――対ラケルデモン戦略のためにヴィオティアがメタセニア復興を宣言した都市だが、エスパメイノンダスの影響力が強く額面通りメタセニア領とは考えられない――まで、撤退を済ませている。更に言うなれば、通常の退却戦では陣所に備蓄した物資を運搬するだけの余裕がないため、餓死者が出ることも珍しくないのに、こちらの陣営の行商人の動きが活発なおかげで糧秣の調達も順調そのものだったし。

 おそらくは、指導者を失った両軍が再衝突しないと踏んだ商人が物品だけじゃなくて情報も売り歩いてるってところだろう。そもそも、アカイネメシスの和平案が以前聞いたように全ギリシアヘレネスに対してのものなら、交戦国以外の国へも使者が行っているはずだしな。

 戦争そのものの評価は、最終的に戦場を確保していたヴィオティアのティーバの勝ちと見る向きが多いようだったが、今の国体でもラケルデモンには内政の王が即位していたらしく、戦後交渉におけるラケルデモン側への影響は少ないようだ。むしろ、講和条件を詰める上では、エスパメイノンダスを失ったティーバがやや不利といった様相でもある。

 単純な状況ではないが、国家間の取り決めとして見ればそう難しい状況でもない。

 戦争の結果としてはマケドニコーバシオが最も望む痛み分けの形であり、いずれの国家も主導権を握る立場にはない。



 アカイネメシスにおいて各都市国家及びアカイネメシスの代表とで講和条件を詰めている間、俺はメタセニアの地均し――ヴィオティアとラケルデモンがメタセニア独立……というか、マケドニコーバシオの保護国となる事を止められないと判断し、その財産を簒奪する事を予防し、かつ、最低限の文明人としての準備をさせる――を行っていた。

 そもそも、撤退中にもかかわらず行商人による補給線が維持されたこともあって、吸収した他国の敗残兵や傭兵は多く、そのままミュティレアに帰還するわけにもいかなかったのだ。撤退完了までの間に、最初に連れて来たメタセニア人部隊の総数の倍まで膨れ上がっていたのだから。無論、逃げる上でまとまっていたほうが生存率が上がるからと都市部までついてきただけの連中もいるが、そういう連中を野放しにしておいて治安悪化の原因にもしたくない。帰還事業と、志願者を篩に掛けた上での軍団の再編。

 無論、いつも通りの独断ではあったが、必要なことであり、かつ、他にギリシアヘレネス南部に詳しい適任者もいないためか、冬で海が荒れる前には本国から追認する旨の連絡を受け、おおよそのメタセニアの国土や国境線の策定作業までもがこちらの裁量となっていた。

 エレオノーレも、国家が確立して女王として即位するなら下見を……とかなんとか理由をつけて伝令と一緒に渡海しようとしていたようだったが、こちらが受け入れ準備の不備を理由に断った。

 実際問題としても、農業国……というか、現状、農奴しかいなかったメタセニアには農業以外の基盤がなく、ヴィオティアやラケルデモンの連中にオリーブの木やブドウなんかの果樹を奪われてしまえば、若木が育つまでの十数年間財政面でこちらの足を引っ張られる事になる。そもそも、アクロポリスも新しく作り上げる必要だってある。エレオノーレはともかく、その夫としてこちらに赴任させるマケドニコーバシオ王家のヤツを、その辺の農村に置くわけにもいかない。

 する事は多い。が、難しい事はひとつもなかった。マケドニコーバシオやレスボス島でさんざんやって来た事と同じだからだ。徹底的にラケルデモンに教育されてきた農奴相手だから、時間は掛かるが手間は少ない。元々、扱い慣れてるからな。


 メッセネにメタセニアのアクロポリスの建設が始まり、国家の基礎である国土と人間の準備に目処が立ち、占領統治から法による国家運営へ――俺の手が必要ではない段階になった頃。アカイネメシスのスーサで和約がまとまったとの連絡を受け、王太子達と合流するためにメタセニア人部隊を現地に残し、俺に従うことを決めた混成軍を率いてミュティレアへと向かったのは冬が明けて、海が凪いだ春の始まりだった。

 和約の条文は、既に都市国家として再び認められたばかりのメタセニアにも届いている。

ギリシアヘレネスの各都市の独立を担保し、それを破るものにはアカイネメシスが戦争を行なう、かわりにギリシアヘレネスは、エーゲ海東岸地域に関して一部を除いてアカイメネシスの領有を認め、これを侵犯しないこと。】


 かつての大戦の様に、ギリシアヘレネスの戦力を集結させたくない。そのアカイネメシスの狙いは分かっているんだろうが、長期にわたってギリシアヘレネス同士で殺しあう時代に倦み始めた権力者はそれでも納得したんだろう。

 だがそれは、俺には進歩ではなく、東の大国であるアカイネメシス抗い、ギリシアヘレネスが勝利した時代以前への退行のようにも感じていた。未だに、アカイネメシスの意向が強くギリシアヘレネスの政治へと影を落としている。



 時代が、どういった方向の進むのかは解らない。

 しかし、そのうねりの中で多少なりとも自分自身が成すべき事を成し遂げたいと強く思った。

 そして、戦いが全ての俺がそれを叶えられる場所はひとつだ、とも。

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