夜の終わりー1ー
講和によって一応の平和を迎えているためか、久しぶりに帰り着いたミュティレアは賑わっていた。
今回の戦争において一応はアカイネメシスとも条約が結ばれているため、その玄関口となるこの島に
そのおかげで、凱旋であるはずなのに、寂れた古い埠頭へと船を入れる事になったんだがな。今回はさしたる戦利品が無いせいで。
まさか、これから統治しなければならないメタセニアで略奪するわけにもいかないし。そもそもメタセニアにおいては、ラケルデモンが生産に対して五割の税を定めていたので、現状、奪うだけの財貨も存在していない。
その代わりではないが、減ったメタセニア兵と入れ替わるように混成軍を連れて来たので、戦力的には増強できたと思う。テレスアリアの国境戦において、元々の俺の部隊の損耗率も高かったし。
なにより、あれだけの大規模な戦闘も中々経験させられないしな。実戦経験のある兵は宝だ。
上陸の準備なんかを埠頭の詰め所で行っていると、急に周囲の兵士が姿勢を正し――。
「よく帰ったな、我が夫よ」
……アデアが来た。
頑丈だが薄暗い石造りの埠頭の詰め所で、ドアを開け逆光の中にいるアデアは、栗色の髪が日差しに輝いて見えた。俺もそうだが、アデアも成長期は終わりつつある。だが、やはりしばらく会わないでいると、背丈や顔立ちの変化に改めて気付かされるな。
出会った頃から伸ばしている髪は、頭上で冠に編んでも十分な長さが既にあり、幼さを感じさせていた頬も引き締まり、可愛いというよりは美しいが似合うようになってきている。変わらないのは、海を写したような青い瞳と、勝気な笑顔。それと、尊大な態度。
腕を組んで肩幅に足を広げた立ち姿は凛々しく、昔の背伸びしている感じは……無いとまでは言い切れないもののなんとか様にはなっている。
無論、どこの誰が潜んでいるかもしれない港に王族であるアデアが単身で乗り込んで来たはずも無く、背後には護衛の兵士が付いていて、そのすぐ隣には――。
「珍しいな、お前が大人しいのは」
と、普段なら一番にからかってくるネアルコスへと視線を向ける。
こちらは俺と同じ歳なんだが、ずっと童顔のままで、なんだか俺だけが老けたようにさえ感じてしまう。
「こういうことは、妻の口から言ってもらうのが一番ですから」
相変わらずの人好きのする笑顔であり、たっぷりの皮肉とからかいをこめた声でネアルコスが答えれば、すかさずアデアが頷き。
「その通りだ。ネアルコスは、良く解っている」
解ってなくて悪かったな、と、肩を竦めれば、いつものような皮肉顔ではなく、本気で困っている苦笑いでネアルコスが続けた。
「アーベル兄さんは、なんだかんだで
そんなにめんどくさいお願いなのかと盛大に溜息をつくが、その息を吐き終わらない内に、胸をアデアの拳で叩かれた。というより、握り拳で突かれたが正解か。
「ワタシとの結婚の前には、前の女の整理は当然の事だよな?」
会えていなかった半年分大人びた顔立ちに、どこか以前よりも凄みのある笑みを浮かべ、顔を寄せられる。
息がかかる距離。微かに香るローズマリーから察するに、朝は魚料理でも食ってきたんだろうな。と、少しだけ現実逃避してから額に手を当てる。
「あ――」
アデアがなにを言いたいのかは察したが、アイツが自分自身で結論を出せなかったという点に関してはげんなりした。出陣に当たって、あれだけはっきりとエレオノーレに向かって宣言したんだがな。今日まで時間も開けたんだし、こう、なんか、上手い事勝手に解釈して納得してくれるのを期待していた。
昔の……、二人で逃げていた頃のエレオノーレだったら、決断出来る事だと思う。どう考えたって、それ以外に道は無いのだ、お互いに。自分で望んだ事だけではなかったのかも知れないが、始めたのが俺達である以上、流されることも必然だったはずだ。
それに昔のエレオノーレなら、嫌なら逃げ出すぐらいの気概もあったはずだしな……。
この件に関しては、どこで何を失敗したのかはわからない。
エレオノーレの性格が、今の地位に合わなかったんじゃないかなと俺は考えているが、俺のこうした推察は大体外れる。人の心の中を読むのは苦手だ。言葉のやり取りも。
だから、ああした場で一方的に宣言して放り投げたんだし。
いつからだっただろうか? アイツがなにを考えているのか、俺には全く分からなくなっていたのは。
そして――。
「別に、俺はアレを娶ると言った事は、一度も無かったんだがな」
こつん、と、上体を少し曲げて睨み上げてくるアデアの額に自分の額をぶつける。視線が重なると、アデアが慌てる。それが、少し面白い。
エレオノーレが突いた一穴を広げ、俺に入り込んできたのは勝気なコイツなんだよな、と、勝手と言われれば勝手なんだが、理屈じゃなくそう思う。エレオノーレと出会わずに、アデアと会っていたら、きっと今のようには収まらなかったと思う。
感謝は、している。
だからこそ、今のアイツを見るのが少し辛い。
「しかし、男女の仲として見ていないとも言わなかったのだろう?」
軽く体を揺さぶって額をはずし、そっぽ向きながら早口でアデアが咎めるが、口調の棘は抜けていた。なので、俺も少し気を抜いて「言うまでも無いことだろう」と、肩を竦めたのだが、その竦めた肩を凄い剣幕で掴まれた。
「我が夫の中だけの話であればな!?」
掴んだ後、揺さぶりながら追い打って来るアデア。
「っていうか、誤解させるだけさせていた我が夫が悪いのだからな!」
「それは、言い掛かりだろ」
「違う。普通、あそこまで拗れる前に気付いてなんとかするはずだし、我が夫にはそれが出来るはずだったのだ」
断言するアデアに、俺も「俺に出来るのは戦うことだけだ」と、断言してみる。
「いい加減、そこから離れろ。もう、そんな子供って歳でもないだろう」
言い返しても、倍にして返され続けて言葉が浮かばなくなる。
まあ、溜め込んでなにも言わない女よりはそれがいいんだが……。
「つか、アデアがエレオノーレの事を口にするのは久々だな」
そこでネアルコスへと視線を移し、堂々巡りの会話を一度断ち切って改めて訊ねてみた。
「なにかあったのか?」
「無いと思ってるアーベル兄さんの神経を疑います」
どうにも、ネアルコスも俺の味方ではなかったみたいだ。
ってか、話せば喧嘩になるから人目のある場所で一方的に宣言したのはそんなにダメな行動なのか?
睨まれたくなかったからか、薄く目を閉じてしれっとした顔で言い放ったネアルコスと、ネアルコスへと俺が向き合ったから、肩から腕を離し、そのまま腕組みしたアデア。
「夫を部屋へ入れんのだ」
間と呼吸を整えてから、アデアがネアルコスの言を続けた。
どうも、今回はネアルコスも本気で怒っているのかも知れない、もしくは、先送りしていた問題を本気でなんとかさせるつもりなのかも。喋ってるのはアデアで、あくまでも追従や補足に徹しているし。
「はぁ?」
上手く意味と事の重大さを捉えきれずに俺が聞き返せば、一言二言足りないアデアを補うようにネアルコスが説明しだした。
「エレオノーレさん、結婚も即位も時期が迫っているのに、婚約者に顔さえ合わせられていないんです」
……そう来たか。
額に手を当てるが、苦笑いしか出てこない。
結婚や即位の時期が迫ってきているのは、冬の間にアクロポリスを作らせていた俺が一番よくわかっているし、このまま正当な王の即位が無いままでは、ラケルデモンやヴィオティア……いや、ヴィオティアは解体され、各都市が独立させられているんだが、だからこそその小都市国家に国土を蹂躙されかねない。
ラケルデモンとティーバに睨みを利かせられる位置へ手駒を配して牽制するという、ここまでの努力が水の泡になる。
どうして、こう、アイツはいつもいつも一番されたくない時期にされたくない事をしてくるんだろうかねぇ。
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