Alphekka Meridianaー5ー

 疑いは消えていない。が、今攻撃するのは無意味だ。アンティゴノスとパルメニオンが元の位置に戻ったとはいえ、先程までよりも警戒されている。

 来ると分かっている一撃に合わせるのは、難しいことじゃない。それはなにも返り討ちにすることだけではなく、声を上げて応援を呼んだり、走って逃げ出したりといった行動も含んでいる。

 国王達は、俺に斬られさえしなければ勝ちなんだから。


 フンと鼻で笑った国王は、自分自身の顔の前で手をひらひらと振って自嘲気味に呟いた。

「貴様が今回の一件を説明すれば、アイツはそれを信じるさ。他の王の友ヘタイロイもな。追放した連中もお前を庇うだろう。ハッ、朕は、貴様が思っている以上に、人気がないのでな」

 どう解釈したものか悩んでいると、アンティゴノスが唆すように俺に訊ねてきた。

「仲間を信じないのか?」

 半目になりながら「逆に訊くが、アンタを信じても良いのか?」と、一応、仲間……だと思っていたアンティゴノスに訊き返せば、どこか馬鹿にしたような笑みで返事をされてしまった。

「それは、お前次第だろうが」

 ッチ――っと、一度舌打ちしてから、額に手を当てて深く溜息をつく。

 アンティゴノスの意図が良く分からん。

 いや、元々アンティゴノスは王太子に仕える以前は国王の元で活躍していたんだし、密通していても不思議じゃないんだが、それにしてはこちらに有利な情報を随分ともたらしてくれていたのも事実だ。

 もっとも、王太子派の情報も少なからず現国王派へと流しているんだろうが、量と質の面を考慮すれば、現国王派というには少なからず違和感もある。


 ……現状、アンティゴノスの態度次第で、この場の支配権は大きく変わる。

 さっきは俺の行動を邪魔してくれたが、ここぞの場面で俺についてくれるなら、二対二で状況は対等になる。いや、こちらの総大将である王太子がこの場にいないことを加味すれば、有利とも言えるか。

 まあ、冗談めかした態度からは、俺に敵対するのか味方したいのか、全く読めないし、いずれにしてもこのまま国王の話を聞くしかないんだが。


 腕組みして剣から手を離し、すぐには攻撃できない態勢になる。

 俺が姿勢を戻せば、老将二人も、さっきなにも起こらなかったとでもいうかのような朗らかな笑みで国王の横に控えていた。

 まったく、食えないジジイ共だ。

 ……いや、年をとると人間、こんな風になるものなのかもな、と、もうひとりの食えないジジイ――レオの面を思い浮かべながら、もう一度、今度は微かに嘆息する。


 俺を嵌めるつもりがないなら、国王の狙いは分からないが、向こうから一方的に喋られるのも癪だったので、こちらから挑発するように訊ねてみた。

「俺が、転向するとでも?」

 国王に向かって訊ねた後、横目でアンティゴノスの表情を窺うが、アンティゴノスは軽く肩を竦めて見せただけで、結局この質問にも明確な意志を返したのは国王だけだった。

「まさか、そんな手合いならとっくに篭絡させている」

 とっくに、ね。

 どの時点で国王が俺の事を知ったのかは不明だが――書類的には、ミエザの学園に入った時点で送られているはずだが、そんな風に拾われた人間は数限りなくいる――、俺に対してもこうなら、他の王の友ヘタイロイに関しても分析、評価、勧誘は行なっているんだろう。

 はったりかもしれないが『篭絡させている』と、自信を持って呟くけるだけの材料はあるとみるべき、か? なら誰が――。


 犯人探しへと思考が移りかけた時、国王が付け加えてきた。

「そういうことではない。結局、お前は、朕の情報で、こちらを利するために動かざるを得ないということだ」

 表情からは、誤魔化しに掛かったのか、それとも単純にさっきの発言を補足するためなのか、もしくはその両者なのか、判然としない。

 微妙に、こちらの間合いをずらしてくる口調と言い回し。虚ろのような表情なのに、鋭い洞察力。

 国王は、中々にめんどくさいおっさんだな。プトレマイオスの言も良く分かる。


「いや、そりゃあ、この国……もしくは、その属国や同盟国が攻められればそうなるだろうよ」

 と、テレスアリアの一件を皮肉っぽく口にしてやる。

 そもそも、トラキア征伐にしろ、テレスアリアの地均しにしろ、王太子派が前線に送られることは多かった。

 常備軍である重装騎兵ヘタイロイ、または王の友ヘタイロイ指揮下にある帳簿や傭兵の軍団も、損害が無いというわけではない。どんな優勢な戦場でも、人死には出て当然だ。いや、それだけではなく、訓練や行軍でも不意の油断や病で命を落とす者はいる。定員割れで再編、再訓練中の軍団も、いくつかは存在している。

 ある意味では、国家のための利益という観点を口実にした、現国王派の利にも繋がる行動ではある。

 そういうのを含まれれば、ムキになる方がバカバカしい。俺達は俺達の戦場を生きているのだ。

「そういうことではない」

 と、語り始めた国王の言葉にもどことなく興味が薄れ、詭弁なら軽く受け流そうとしていたら、成程、昔の俺にだったら有効な一言が国王の口から出てきた。

「貴様は、祖国への思いが強過ぎる」

「昔の話だ」

 王太子や王の友ヘタイロイとの絆、異母弟、そして、変わっていく国体。要因はひとつじゃないが、今のラケルデモンへの思い入れは薄くなっている。

「なぜ異母弟を連れ帰り、朕に預けた?」

「結果的にそうなっただけだ。俺が子育てに向いているとでも?」

 ミエザの学園が閉鎖されている以上、適当な哲学者を教師とさせる必要があったし、先生に預けるにはレスボス島に送る必要がある。今以上の火種に燻られては、プトレマイオスが本当に倒れかねない。

 結局は、どう教育しようが、本人次第なのだと言うことは、俺自身が実感している。

 現国王に預けたのは、消去法の結果で、今も取り戻さないのは、そこまでする理由がないから。

 その……はずだった。

「保険だろう?」

 低く囁くような国王の声に、不意に冷水を浴びせられたような寒気がした。

「……なにを言ってる? 後ろ盾のないあのガキにそこまでの価値は無い」

「そうかな? ラケルデモン王家の血を残すため、敢て敵対する両陣営に別れたんだろ? 最終的には生き残った方がマケドニコーバシオを後ろ盾に即位するために」

「最早、俺にはラケルデモン王となることへの執着は無い」

 意図したわけ、では、ない。

 本当に、保険と思って預けたわけじゃなかった。当時は、王太子も国外追放の状況だったし、手土産には手頃だった。それに、王の友ヘタイロイの少年従者として……仮にも一国の王になる可能性がある人間を育てるわけにもいかず、また、俺は自分自身の影響を与えたくなかったし、皆で話し合った結果として、現国王に預けた。

 そう、俺の独断じゃない。

 なのに、それがまるで自分でも気付かなかった本音のようにも感じてしまっている。

 呑まれてはいけない。

 他人の語る自分の物語を信じれば、意志を失う。


 軽く歯を噛んで、軽く睨むように視線を返せば、国王は、ハッ! と軽く笑い捨てて話題を変えてきた。

「今の、貴様なら分かるだろう? フン、世界政府など、絵空事だ。現実を見ろ、国家が肥大化すれば、最も優れた統治方法であるはずの民会により、統一意思を決定できない。王権を以って国をまとめても、その末端までは支配は不能。政治には限界距離がある。ギリシアヘレネスは、効率的な領域の都市国家の集合体でいい。それぞれがその文化を育めばいい。難民を隣国に吐き出すような、制御不能の無秩序な状態とならなければいい。同盟により、兵権だけを奪えば構わぬ」

 最後に毒を混ぜているものの、納得できる部分も多少はある。テレスアリアの属国化の際も、一時期は併合論が出たものの、テレスアリア人との文化の違いにより断念している。

 いや、むしろ、予想外の強い抵抗は、マケドニコーバシオの一部となるという事に対する市民感情だった。自由市民は別として、自分自身の手で労働により日々の糧を得ている無産階級は、実務面ではなく、そうした表面的な部分を意識するらしい。

 下層階級による散発的な反乱なんて不経済なだけだ。

 政治の舵取りはあっさりとこちらに渡してくれた以上、同じ王が治める別の国家――同君連合として統治した方が効率的だった。


 そして、同君連合としての統治が始まっても都市間の利害の調整に俺達王太子派が奔走することになった。

 先だってテレスアリアへと向かった水争いの仲裁なんかはまだ可愛い方で、犯罪者の引渡しに関する都市間の交渉の裁定や、物流の調整――商売の基本は安い物を仕入れて高く売ることだが、それによって都市間の格差が広がり、人為的な飢饉が起きないように監視する必要が出てきた――、地域の経済状況による税率の設定など、都市の民会との難しい交渉も多かった。


 ふと、もしかしたら、国王は広い国土の統治の難しさを王太子派に実感させるために前線に送っているのかもしれないと思ったが――。

 生憎と、俺達は若いんだ。

 時には武力で押さえ込むこともあったが、かえってそれは地域の安定を損なうことに繋がった。……でも、俺達は失敗しながらも繰り返し挑戦することで、より良い政治機構を統治方法を構築していった。

 俺達は進歩し続けている。自らの目指す理想のために。


 そして、今になってだが、国王の目指す形が、なんとなく分かった気がした。

 現在のギリシアヘレネスの政治を可能な限り変えないまま、かつてアカイネメシスと戦った際に存在したと言う連絡部会のようなものを利用して、目に見えない形での支配を狙っている。

 各都市国家はこれまで通りの国家運営を行い、他国からの侵略に当たっては、総出で対処する。

 それも、まあ、悪い未来ではないと思う。

 ただ、それにより、王太子と国王は似ているが決定的に違っているのだと、認識を新たにした。

 和解は、ない。

 到達地点が全く別なんだ。


 そして、俺の目指す未来は……。

「アデアを正式に娶れ」

「正式に?」

 国王に対し、自分自身の旗色を明確にしようとしたんだが、機先を制され、唐突にそんな話を振られ、首を傾げて、つい、話に乗ってしまった。

 いや、思っていたのと逆のことを言われて、少し、戸惑ったせいもあるが。


 まあ、この際、アデアの性格をどう評価するかは置いておくとしても、国王から見ればアデアは孫のひとりであるから、その婚姻は比較的重要だ。現在の俺とアデアの関係は婚約であり、あくまで未来の結婚を約束しているだけで、政治的な理由があるならいつ破棄されてもおかしくはない。

 現国王派と距離のある俺が国王の身内となることを、現国王派は望んではいないと思っていたんだが。

ギリシアヘレネスは統一されず。周辺国への侵攻もない。ラケルデモンの轍を踏んでどうする。アカイネメシスの牙は折るが、ヘレネスはこのままで良いのだ。それは無論、ラケルデモンも、な」

 俺の戸惑いを解消させずに、再び話を元に戻した国王。

 確かに、アデアのことは嫌いじゃない。だが、女で懐柔できる手合いだとでも? と、肩を竦めて見せるが、国王はそれを無視して放し続けた。

「貴様が異母弟を連れ帰ってきてくれたことを、朕は評価している。あの国は、ふたつの王家を持つ、最強の戦闘国であればいい。確かに、今、急速に揺らいではいるが、いずれ、持ち直す日は来る。ギリシアヘレネスの歴史を見ろ、国の勃興は必然であり、廃れた後には国の刷新が起こる」

「俺と異母弟を即位させ、ラケルデモンをアテーナイヱとの戦争以前の形に戻し、かつ、婚姻によって、関係強化……っていうか、傀儡化すると?」

 結局、目的はそこなんだろう、と、遠まわしに話す国王にはっきりと訊ねてやれば、ふん、と、軽く鼻を鳴らされた。

「別に、朕はなにもしない。しかし、アイツのために貴様は動くんだろう?」

 ふん、と、今度は俺の方が鼻を鳴らしてしまう。

 その指摘も間違ってはいないからだ。だが、いずれ、現国王と王太子とで決着をつける日が来るとは考えていないんだろうか?

 いや、もしかしたら、王の友ヘタイロイ内部にいる現国王派は、対決を避けるための工作をしている、のか?

 敵の手中にある今の状況は良くは無いが、懐に飛び込んでいる今だからこそ相手の狙いを探れるかもしれない、と、思い直し気を引き締める。

「秘策を授ける」

 俺が表情を正すのを待っていたのか、国王は厳かに宣言した。

 思わず眉を顰めてしまう。

 いや、主語が無いせいで、色々と想像してしまうせいだ。ラケルデモンを奪うための秘策なのか、王太子派を切り崩し、かつ、俺自身が現国王派となるための秘策なのか、はたまた――。

「……なに?」

「朕は、マケドニコーバシオ王となる前、ヴィオティアに預けられた人質であった時代もある。かの国の急速な拡張は一人の男の才能に依る所が大きい。エパメイノンダス、ヤツを殺せ。貴様なら出来る」

 そっち――テレスアリア防衛戦における秘策――か、と、残念半分だが、もう半分では安堵していた。

 王太子を排除するような計画――秘策と呼べるだけの確実性のあるものなら、尚更――が現国王派にあるのなら、それを防ぐための作戦や、協力体制の見直し、場合によっては内戦も覚悟する必要があった。

 そうなれば、せっかく手中に収めたテレスアリアを失うことになりかねない。


 そこで、ふと、マケドニコーバシオの発展の場合はどうかという点が気になったが、この国王に近習、王太子に王の友ヘタイロイと、曲者揃い過ぎて内心で少し笑ってしまった。

 しかも、完全な一枚岩ではないが、奇妙な均衡を保っている。

 現在アンティゴノスが国王の隣にいるように、反目し合っているようでいながらも、両陣営に顔を出すような連中も多いからな。特に、土地や人を多く抱える貴族に。


「確かにソイツは、マケドニコーバシオの覇権の邪魔になるだんろう。しかし、俺がアンタの言う通りにするとは限らないが?」

 戦略的にはありがたい情報ではあるが、そもそもどの戦場にソイツがいるのかも不明だし、戦術的にみれば、逆にその男を避けて弱い部分から削っていくと言う選択肢もある。

 また――、上手くそいつを生け捕れるなら、人質時代の国王の情報を得ることも出来るし、人質時代になにか不審な点があるなら、それを理由に武力ではなく合法的に退位させることも可能かもしれない。

 王太子派にとって、エパメイノンダスが完全に敵かどうかは、実際に本人を見てから判断すべきだ。

「無論だ。だが、貴様は朕の思惑通りに動く」

 先程もそうだが、やけに自信たっぷりに話すその口調と態度が気になった。どんな頭の構造をしていたら、自分自身に対して忠誠心の全く無い人間にそこまで言い切れるのか。

「なぜ?」

 俺に訊ねられ、国王は初めて生の感情をその顔に表したように思う。

 浮かんだのは、心底楽しそうな嗜虐的な笑みだった。


「ヴィオティアの都市、ティーバの軍は、ペロポネソス半島への侵攻に成功した。貴様の国の覇権の終わりの始まりだ」

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