Alphekka Meridianaー4ー

 旧都アイガイは、実は初めて訪れる場所だ。新都ペラへと遷都する前までは、ここがマケドニコーバシオのアクロポリスだったとは聞いているが、俺が王太子に拾われるよりもずっと前の話だったし、そもそもかつてアクロポリスだったのだから、その周辺は安定していて、軍を送るような事態はそうそう起こらない。

 急いでいるから馬車でほぼ通り抜けるだけだったが、港から旧都アイガイへと続く街道沿いの都市は、平和ではあるもののどこか進歩や変化を拒むような剛直さをも感じた。

 王太子や王の友ヘタイロイの仲間と駆け回っているマケドニコーバシオ南部やトラキアの異民族との争いが絶えない北部にあったような活気や情熱を感じない。

 まるで鉱物のような町や人だと思う。

 そして――、国を運営する上では扱いやすいのかもしれないけど、こんな場所を目標にしたくない、とも感じていた。


 最寄の港に昼についてから、馬を変えながら馬車を絶えず走らせ続け、旧都アイガイへは一日半程度で到着した。

 夕焼けの中、長く延びた城壁の影を抜けると町並みが目に入り……遷都の理由がなんとなくわかった。

 発展はしているが、そもそもの都市計画が小規模であったためなのか、やや混沌とした町並みだ。

 道幅が一定ではなく、馬車で通れる道が不意に狭まったり、折れ曲がったり、行き止まりにぶつかったりと、迷路のようだ。建物自体も、アゴラへと近付くに連れて一軒家が増えていくが、外側では無理に部屋数を確保した、三階建てもしくは五階建ての集合住宅が目立つ。多分、見た感じから推測するなら、五階建ての最上階は、真っ直ぐに立ち上がるのも困難な程に天井が低く狭い部屋になっているだろう。

 これが、現国王の失政なのか、それともそれ以前の王が都市法の制定を怠ったためなのかは不明だが、これでは今以上の拡大は難しい。一度町並みを壊して再整備するのは、アクロポリスとして国家中枢機能を有したままでは不可能ってことか。

 ただ、遷都して充分な時間がたったはずの今も大規模な再開発は行なわれていないようだし、このまま時の果てまで現状が続いていくような、アルゴリダのようなそんな空気が漂っている。

 最早進みも、戻りもしない、不変性を湛えた停滞都市。それが、俺が抱いたマケドニコーバシオの中央北部にある旧都アイガイ及びその周辺に対して抱いた印象だった。



 馬車は、市の終わった日暮れのアゴラへと止められた。古い都市だからか、都市の規模に比べればアゴラは比較的大きく、それに付随する建物には新都ペラよりも大きいものも散見される。

 案内されるままに古の玉座へと導かれると、謁見の間にいたのは、三人だけだった。玉座に座っている男がひとりと、その左側に二人老齢の男が付き従っているだけで、百人は入れそうな広い部屋はがらんとしている。

 これから他に誰かが来る気配は無い。

 天井が高いせいか、背後で扉が閉められる音が、大きく響いた。


 剣は持っている。

 だが、ここは敵の腹の中だ。

 なにが起こってもおかしくは無いし、もしここで俺が死んでも、死体は出ず、ここに着たと証言する人間も居ないだろう。御車が途中の町で宿を取らなかったのは、そういう意図もあるはずだ。

 戦って負けるとは思っていないが、飲食は持ってきた水と保存食以外は口にしないのが無難だろうな。


 ゆっくりと玉座へと近付いていく。

 今更かもしれないが、国王は、どこか王太子と似ていると思った。髪質が特に似ている。顔の作りも、年を重ねた王太子の姿と素直に重なっていく。ただ、両方共が茶色の瞳と、立派な濃い髭の雰囲気は、王太子とは真逆の特徴だった。

 多分、王太子は父と母から同じだけその要素を継いだのだろう。

 視線を横に向ければ、アンティゴノスがいつも通り、どこか不真面目な……まあ、アンティゴノスぐらいの年齢になると、年長者に叱られるってことも無いので態度もふてぶてしくなるものだが、それにしたってで現国王の前に居る度胸は中々のモノだよな。

 まあ、人の事は言えないが。

 ふと、アンティゴノスの横にいる人物――やや潰れた形の鼻に、どこか見覚えがある感じがして首を傾げれば、アンティゴノスに「パルメニオンだ。古強者だぞ? しっかりと挨拶しておけ」と、忠告された。

 パルメニオンと呼ばれた男は、古強者と呼ばれて、胸を張るでも謙遜するでもなく、やんわりと微笑んだだけだった。ただ、柔和な態度の裏でも重心の位置からいつでも飛び出せる準備をしていることには気付いていたし……。得物も、抜きやすいように柄をやや湾曲された短めの剣であり、俺の後から動いても先に一撃を放つ自信があることはひと目でわかった。

 戦えば――、どうなるかな。

 まあ、俺が勝ちはするだろうが、時間は稼がれてしまうし、その間に現国王は逃げおおせ、脱出路のない俺は包囲されていずれ力尽きる、な。

 いや、まあ、ここで今争う意味も必要もないが。

 ……向こうから手出しをされない限り。


 しかし、なんとなく、名前だけは聞いたことが……。いや、ギリシアヘレネスの人名としては珍しい名前じゃないが、そういうこととは別に最近どこかで聞いたことが、と、記憶を辿ればふとネアルコスと似ているものの、もっと邪気の少ないある少年の顔が思い浮かんだ。

「もしや、ヘクトルの?」

「噂は聞いておりますよ」

 俺の質問に頷いた後、思ったよりも丁寧な口調でパルメニオンは挨拶をしてきた。

 ちなみに、ヘクトルは王太子に使えている人間の一人だ。もっとも俺が護衛のようなことをしているのとは違い、本当に身の回りの世話をするような形だが、一応は王太子派に数えられてはいる。

 そして、……今回のテレスアリアへの遠征にも同席していた。

 ヘクトルが現国王派の間諜なのか、今回の件に関わっているのか判断に迷っていると、唐突に、国王が挨拶も無いままに直接俺に向かって話し掛けてきた。

「ヴィオティアが、テレスアリアに侵攻した」

「は? あ、いや……何故、ヴィオティアが突然?」

 思い掛けない一言――いや、俺も事実上は将軍に数えられているんだが、身分差を考えれば、まずアンティゴノスが色々と説明するのだと思っていた――と、予想もしなかった事実に出鼻を挫かれ、混乱しているうちに更なる事実が告げられた。

「それを判断するため、新都ペラへと重臣を集めている」

 ……新都ペラ、の、方に? ここではなく?

 国王の顔を見る。

 表情の変化はない。まるで石像のように視線を一点に向け――俺を見ているようでもあったが、それと同じぐらい、俺の背後のなにかを見ているだけのようにも感じさせる眼差しだ――、視界になにが映っているのかを悟らせてはくれない。心情を読む事なんて、これでは不可能だ。


 だが、足元から這い寄ってくる不安が、呼吸の度に肺へと侵入し、疑惑が胸を満たしていく。

 確証はまだない。でも、良くない予感だ。

 一応、仲間であるはずのアンティゴノスへと視線を向けるが、老将は微かな笑みを湛えているだけで、口出ししてくる気配はない。


 不意に場に降りてきた沈黙に気まずさを感じ、また、遠回りな探り合いが必要ないことは国王の言動から明らかであるので、本題に踏み込もうと。

「王太子は――」

「城塞都市セレトルムに引き返し、破られた国境線を放棄して、第二防衛線の構築の指揮を出してから新都ペラを目指している。おそらく、朕の伝令と行き違いにアイツの使者もレスボス島を訪れたはずだ」

 訊ねられることを予想していたのか、俺の質問を最後まで言わせずに、国王が一息で答えている。

 鋭い視線をアンティゴノスに向けるが、軽く肩を竦められただけだった。

 ……いや、確かに、規模が規模なので嘘や誤魔化しで口に出来る話ではない。なら、ヴィオティアの侵攻は事実なのだろう。なぜ、ラケルデモンとの国境紛争を差し置いてこちらに攻め入ったのかは疑問が残るが、往々にしてそんな事はよくある。

 動機はどうせ敵の遠征部隊を蹴散らせばはっきりするんだし、戦争がもう始まっているなら、あれこれ考えるよりも先にやるべきことは多い。


 ……違う、そうじゃない。王太子の伝令が出ているのを知っているなら、なぜそれに先んじてこの男は俺を呼んだんだ? 確かに、旧都アイガイから新都ペラへと向かう街道もあるし、船から降りる港がやや北側になるだけで、立ち寄った所でそこまで時間を食うわけでもない。

 ただ、それなら、ここに三人だけというのは不自然で――。

「お前は、朕と共に新都ペラへと向かう」

「……ッツ! はめられた!?」

 国王の言葉に飛び退って、三人と距離を開けて剣の柄に手をかける。俺と同時に、アンティゴノスとパルメニオンも剣に手を掛け、国王と俺との間に立ちはだかった。


 迂闊、だった。

 テレスアリアでヴィオティア軍を食い止めている王太子や王の友ヘタイロイが、新都ペラへと戻ってきた際、俺が現国王と共に行動していたことを知れば、どう思うか。ミュティレアのプトレマイオス達が経緯を話したとしても、アンティゴノスが鞍替えを表明すれば、かねてから俺も共謀して内通していたと思われても不思議じゃない。

 互いを互いに疑い始め、王太子派が瓦解するぐらいなら、ここでアンティゴノスを討って俺も死ねば、きっと仲間は報復のために結束する。

 それが、不用意に命令に応じてしまったことに対する最善とまではいかないだろうが、次善の策だと自分自身を納得させ、いざ駆け出そうとした瞬間――現国王に一喝された。


「バカをいえ! こんな程度のことで、貴様を追い落とせるものか」


 場の空気が変わる。

 戦いの間が外された。

 気持ちの――殺意の矛先をどこに向ければいいか分からずに、踏みとどまる俺。

 国王は、顔の前で軽く手を振ってアンティゴノスとパルメニオンを元の位置に戻らせ、ふん、と、どこか不機嫌そうに鼻を鳴らした。

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