Alphekka Meridianaー6ー

 国王は国王で思う所があったのか――、いや、単純に現国王派の連中が隊列を決める際に、いつ剣を向けるとも知れない俺を国王と一緒に移動させるのは躊躇われたのだろう。『この方が都合がいいだろう』と、アンティゴノスが用意した馬車は、本当に馬が荷車を引いているだけという質素……というか、みすぼらしいものだった。

 多分、半分は――現国王派の連中による、王太子との関わりの深い俺に対する――嫌がらせで、もう半分は視界を広く取りたいという、俺の戦士としての希望をアンティゴノスが通してくれた結果だろう。

 ああ、後、どうせなら働けとでもいいたいのか、国王を中心に据えた梯団の先頭付近に俺……達はいる。

 ちらと横目で、おそらく俺の抑え役も込みで馬車に同乗しているアンティゴノスの表情を窺うも、暢気そうに景色を眺めている姿に欺瞞の気配は無く、毒気を抜かれただけで終わってしまった。

 歳を取れば、心労がかさみそうなこんな状況にもなれるのかねぇ。

 微かに嘆息するも、それをアンティゴノスは聞き逃さなかったのか――。

「なんだ、折角の戦争なのに憂鬱そうじゃないか」

 と、皮肉なのか何なのか解釈に悩む挑発をされてしまった。

の姿がはっきりと見えるならな。背後から斬られては、面白くもなんとも無いだろ?」

 こちらも皮肉と挑発を返すも、アンティゴノスはあっさりといつも通りの表情で受け流し、俺と向かい合う形で座り直した。

「ヴィオティアの政策に、国王はどの程度干渉できてるんだ?」

「ん?」

 なんとなく、黙ったままで向かい合っていることに気まずさを感じてそう訊ねれば、アンティゴノスは軽く首を傾げ、俺が続きを話すのを待っている。

「あまりに状況が現国王に有利に進んでいる。裏でなんらかの取り引きがあったんじゃないかとしか思えない」

 王太子がテレスアリアに居て、落ち着いた地域内だったから護衛は見習いが中心で王の友ヘタイロイは付き添っていない。最悪の事態となる可能性は低かったが、状況的にテレスアリア防衛の指揮は王太子が取らねばならず……もしなにか失策があれば、新都ペラでの会議でそれを糾弾されるだろう。

 失敗がなかったとしても、新都ペラで仲間の王の友ヘタイロイが現国王下に既に集っている絵は、あまり見たいものじゃない、と、思う。状況的にしかたがないとしても。

 いや、それだけではなく――ラケルデモンに攻め込む時期も、絶妙過ぎるのが気になっていた。ラケルデモンの主力がアカイネメシスとの小競り合いででエーゲ海東岸にいる今は、長年ラケルデモンとの紛争が続くヴィオティアにとって絶好な好機だ。どこからか、マケドニコーバシオとして得ている重要情報が漏洩している気がする。

「テレスアリアは属国だろう、攻めさせてどうする?」

 肩を竦めて言い返すアンティゴノスの姿勢は、国王からの呼び出しの件が無ければ信じられたが、今となっては……。

「だからだろ? 先のアテーナイヱとラケルデモンの戦争が終わり、情勢が安定していた。ここらでもう一度、テレスアリアに恩を売り、かつ、こちらの実力を見せておいた方が徴税がしやすくなるという利点もある」

「それなりになったかと思えば、お前もまだまだ若いな」

 正論ではないにせよ、的外れな指摘をしたつもりはなかったが、アンティゴノスにそう言い返されれば、これ以上の議論からなにか収獲があるとも思えず「うっせ」と、そっぽ向くしかなかった。

 ただ――、俺が逸らした視線を、アンティゴノスの軽口が追いかけてきたが。

「まあ、今のは単なる悪口だから、深読みせずに聞き流しとけ」

「おい! おっさん!」

 言い訳するかと思えば追い打ってくるその言葉に、頬杖ついていた肘が馬車の脇から外れてしまい、再び正面を向いて俺は怒鳴った。

「怒んなよ。思い込みの激しさ以外にも、その癇癪は未だに変わらんな」

 もう一度、さっきよりも小さな声で「うっせ」と、呟いた後、どっかりと馬車の木枠に背を預けて座り、アンティゴノスに訊ねた。

「で?」

「うん?」

「なんで、今回俺は国王に呼ばれたよ。感じ見る限り、現国王派の総意って訳でもないんだろ?」

 俺を呼びつけたはずの現国王派の連中は、国王との会談後の俺を見れば、訝しんだり警戒したり、また、あるいは懐柔したものと思い込んでいたりと、どうにも対応がちぐはぐだった。

 いや、それは、国王の行動に関してもそうで、王太子を一度追放したり王の友ヘタイロイを追放して弱体化を謀っているかと思えば、俺やクレイトスなんかの攻撃的な王の友ヘタイロイを好きにさせていたり、対外関係もラケルデモンと結んだかと思えば、アカイネメシスとのエーゲ海東岸の占領地紛争では傍観を決め込んでいる。

 まるで、最短経路をひた走ろうとする俺達とは正反対の、無駄で無意味な手が多い。

 精神的に問題があるとすれば納得がいくが、話した感じ、癖は強いが異常があるとも思わなかった。

「分かってるはずだろ? それに、一応、配慮もしただろうが」

 配慮? と、首を傾げれば、俺の表情を真似たつもりなのかどこか呆然としつつ、まるで親から離れた幼子のような不安や動揺を写した顔をされ――でも、俺が何か言おうとした瞬間には、いつも通りのアンティゴノスに戻っていて、説教されてしまった。

「ラケルデモンの状況について聞かされた時の顔は、仲間ヘタイロイには見せられん」

 ただ、確かに取り繕うことを忘れていたかもしれないが、それがどうして味方であるはずの王の友ヘタイロイに見せられないのかは理解できてなかった。

 だが、俺の疑問を表情から察しても、その方向を別のモノと解釈したのか、アンティゴノスは使い古したような言葉を、特に感情も込めずに投げて寄越した。

「皆、色々と複雑な事情があるんだよ」

「悪かったな、単純な男で」

 ありきたりな言葉には、同じように使い古された反論を遣うしかなかったが、不意にアンティゴノスは真顔で言い返してきた。

「いや、違う、お前は純粋なんだ」

 またまたの微妙な言い方に解釈に悩んでいると「今のは褒めたんだぞ」と、要らぬ解説をされてしまい、二の句が継げなくなってしまう。

「お前は、王太子に一番近いんだ」

 押し黙る俺に、アンティゴノスは話し続けているが、あん? と、今度は意味する範囲が広い言葉に訊き返してしまった。重用されてるって意味なのか、性格的な面に関して言ってるのか、はたまた……。

「家族は?」

「……最近出来た、異母弟がひとり」

 訊ねられたので正直に答えれば、異母弟の一件は証拠つきできちんと報告を受けていたことを思い出したのか、苦笑いでアンティゴノスは首を横に振ってから続けた。

「家族だけじゃない。土地、それを耕す奴隷に、奴隷を管理させるために雇っている無産階級、そして、妻……っと、これは既に候補が……何人かいるか、ふむ、ヤるな、お前」

 真剣になろうとする度、どこか調子を崩される話術に騙されているような気分になりながらも、アンティゴノスが言葉の裏で伝えようとしていることを探るように、生返事を返しながらも耳を欹てる。

「下世話なこと言うな。そういうのは、ネアルコスだけで充分だ。なにが言いたい?」

「背負うものの違いだ。心のままに進みたくとも、それが出来ない人間も多い。色々なしがらみに縛られていてな。歳をとれば尚更だ」

 分からなくも無い、が、もし俺が何かを背負っていたとしても、そいつ等を巻き込んで進むんじゃないかな、と、自分に立場を置き換えて考えていた。むしろ、今以上の場所へ進むのだから、ソイツらを引っ張っていくのが背負う者の定めではないか、とも。

 俺が反論をしようとする気配を察したのか、アンティゴノスは掌を俺の顔に向けて突き出してそれを押しとどめさせ、ひと呼吸置いてから、おそらく一番俺に伝えたかったのであろう一言を重くゆっくりとした口調で吐き出した。

「だから、お前は、ラケルデモンのなにを聞いても、もう二度と動揺するな。王太子派が王権を奪った時、副王はお前を置いて他はない。他の誰を立てても軋轢が生じる。お前なら誰も不満に思わん」

 不意に向けられる鋭い視線と強い意志に、息を飲む。

 ここで、言葉のままにすべてを受け取るのは危険だが、少しでもそう感じる王の友ヘタイロイがいるのならば、自分自身の成すべきことは確かに過去に揺らぐことではない。

 些細な隙とはいえ、そんな弱さや迷いは振り切るものだろう。本当に欲しいものがあるのなら。


 しばし沈黙した後、俺はさり気なく周囲を窺い、タイミングを見計らって思い切って訊ねてみた。

「アンタは、結局、裏切ってるのか? それとも――」

「王太子派と現国王派、世界はその二つしかないのか? お二人やお前さんのように生きられなくても、誰もが自分自身の王であり、それぞれの人生を生きている」

 しかしアンティゴノスは、俺にみなまで語らせず、苦笑を浮べた後、どこか黄昏たような声でそう告げた。

 言ってること自体は結局、日和見ということではないか、とも思ったが、先に聞かされていた様なしがらみの問題だとすれば、なににも――ふと、エレオノーレのことが頭に過ぎったが、それも一瞬のことで――縛られずに生きてきた俺が口を出すのも躊躇われ――おそらく、アンティゴノスがさっき俺の反論を封じたのは、自分自身でもそう言われると分かっていて……でも、どうしようもないからだ、きっと――、分かったふりをして頷いて見せるしかなかった。

「お前に関してもそうさ」

「ん?」

「最初、王太子からお前の話を聞いた時は、ただの腕っ節だけの悪ガキ、適当に言いくるめて如何様にも料理できると思っていたんだがな」

 どこか昔を懐かしむように話すアンティゴノスに、前よりは過去と向き合える程度には成長している俺は反論せずに頷いて見せた。

「まあ、それも否定しない。確かに、船で暴れてた頃の俺はガキだった」

「しかし、今やかけがえのない王の友ヘタイロイ、だろ?」

「アンタのさっきの話からいけば、その逆になったヤツもそれなりにいそうだけどな」

 照れ臭さもあって、憎まれ口を返すも、王太子が生まれる前からの軍人であったアンティゴノスは、王の友ヘタイロイの成立からの歴史を知ってなのか「違いない」と、どこか冷笑的に呟いた。


 短い沈黙が流れる。

 馬車の車輪の転がる音が、振動と共に響いていた。


「なあ……アンタの妻子とか、領土に関して聞いても良いか?」

 アンティゴノスは、少し驚いたように目を見開いた後、ニヤリと笑って語り始めた。

「いいぞ、当家は代々マケドニコーバシオ王家に使えた名家であり、あの若い先王が即位した際にも現国王と共に働き、常備軍の設立当初から……」

 真面目な話は終わりだとでも言いたいのか、典型的過ぎて逆に今時珍しいぐらいの年寄り臭い長話に、俺は苦笑いで短く叫んだ。


「長ったらしいわ! 要点まとめろよ、おっさん」


 渋く笑うアンティゴノスの表情から、なんとなく『王太子派と現国王派、世界はそのふたつしかないのか? お二人やお前さんのように生きられなくても、誰もが自分自身の王であり、それぞれの人生を生きている』というさっきの言葉の意味が、少しだけ分かった気がしていた。

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