Porrimaー1ー
全ては予定通りだった。
エペイロスからの出国も、テレスアリアでの会談も、そして船旅も。
マケドニコーバシオの海岸線を北上する航路の関係上、現国王派からのなんらかの妨害もあるかもしれないと警戒していたが、他国へ向けて開かれた港を選んで寄港していたせいか、レスボス島へと向かう旅路は全てにおいて事前に立てられた計画をなぞるような簡単なものとなっていた。
いや、本来は、不測の事態なんてものは滅多に起きないのだ。ラケルデモンを抜ける際にはたった二人だったから、武装商船隊を率いていた際には充分な後ろ盾がなかったから、だから矢継ぎ早に問題が起こっていただけで。
確かに国外追放される王太子とその側近というのも不安定な立場かもしれないが、エペイロスそれにレスボス島を押さえていることで、俺達は充分な経済的・軍事的な基盤を持っている。
あの時とは、なにもかもが違っている。
それに――。
「降りないのか?」
甲板で木箱に座り、海図や地図を見ながら、集めた情報を書き加えていると、プトレマイオスが訊ねてきた。
「ああ、ここは、俺がいない方が良いだろう」
船から臨む外港都市ダトゥは、陸戦で戦った時とはまた違った印象だった。
いや、あの時も、俺は港を充分に見物してはいなかったんだけどな。
アテーナイヱ式の海へと張り出した城壁は、元々傷みはなかったはずだが、その後もしっかりと管理されているようだった。海を警戒する兵士に、灯台代わりの照明設備が城壁の上に増設されている。貿易用の埠頭には、
桟橋からでは、都市内部までは流石に見渡せはしないが、戦争の爪跡はもう感じなかった。人々の声に、陰は無い。
いや……主に都市内部で戦った俺が言うべき台詞じゃないのかもしれないがな。
軽く苦笑いすると、プトレマイオスはあの時の戦闘を思い出してかやや渋い顔をしたが、相変わらずの生真面目な表情で「あれから、住人も入れ替わったし、お前を覚えている者は少ないぞ?」と、言ってきた。
確かに当時の都市の住人は奴隷にされた者が多いし、アルゴリダへと向かった者も多かった。支配者が変わった後もそのままここに止め置かれたのは少数だろう。
なにより、今の俺は左目に眼帯をしているので、印象も随分と変わっているはずだが……。
「いや、人は恨みをそう簡単には忘れないさ。ここがマケドニコーバシオの一部となった今でもな。余計な波風は立てないに限る。ゆっくり休んできてくれ」
外港都市ダトゥを抜けると、後は海上をひたすらレスボス島へと向けて南下することになる。陸の揺れない寝台でゆっくりと休み、ちゃんと火を通した食事や、新鮮でしゃきしゃきした生野菜を食べるのは、数日は我慢する必要がある。
俺はもう船旅にも慣れているので平気だが、他の人間にはかなり堪えると思う。外港都市ダトゥまでの旅は、夕刻にはきちんと港に入るような極上な待遇でもあったんだし。
まあ、昔の俺なら、なにも気にせずに上陸し、喧嘩のひとつふたつは旅の華やぎと積極的に吹っ掛けていたんだが、今はそういう気分でもなかったしな。大人になったというよりは、もう既に、喧嘩ついでにかっぱらう程度の金や物資じゃ、物の足しにもならないぐらいの集団に納まっているからなのかもしれないが。
「ここ最近一番働いているお前に、休めと言われてもな」
「まあ、しょうがないだろ。変な話だが、海戦が苦手なラケルデモン人の俺が、
皮肉、と言い切るには出来過ぎかもしれないが、アテーナイヱとの海戦では負け続けのラケルデモン出身の俺が、今回の船団を取り仕切っている。苦手、と言って逃げるのは、努力を怠る方便のような意味合いもあるのかもしれない。
ラケルデモンも、きちんと学ぶことさえ出来たのなら、今回の戦争も随分と違った経過を辿っていたことだろう。
まあ、そもそも海軍を組織し維持するには、陸軍以上に金が掛かるので、それに関する雑務をきちんと処理できれば、という前提条件があるかもしれないがな。
プトレマイオスは曖昧な笑みを浮かべて俺を一瞥するも、上陸する気配を見せずに、俺の横に座って地図を覗き込んできた。
「どうだ?」
どこそこの港の入港で高い税を吹っ掛けられるとか、あっちの埠頭では外国人同士の喧嘩があったとかいう細かい噂話も軽く書き込んだ地図は、潮風で少しくたびれ、汚れて見える。
とはいえ、案外、なんでもないような噂話が、重要な兆候を秘めていたりするので侮れないのだが。
そう、知識は邪魔にならない。情報は多いに越したことはない。なにを判断するにしても。
だが、今はまだ……。
「マケドニコーバシオに対し、エペイロス、テレスアリア、そしてレスボス島を押さえていることで、南方の先進諸都市との連絡を脅かせてはいると思う」
現在の戦略としては、国の内部に支持基盤がある現国王に対し、他国へと繋がる街道や海路を押さえ、物流面で優位に立つことを目標にしている。
ただ、マケドニコーバシオは、他の
また、マケドニコーバシオはテレスアリアほどではないとしても、畜産や農業が盛んな国でもある。輸入を制限したところで飢えさせられる可能性は低い。
「変化なし、か?」
「まあ、有り体に言えば。しかし、今回の船旅で得た物価に関する情報なんかは、ミュティレアに着いたら重宝するしな。交易の過程で、もっとなにか別の情報と引きかえられるかも」
うーむ、と、なにか打開策を探して二人で唸ってみるが、そうそう良い考えが出てくるわけでもない。
そして、膠着した状況で思い浮かぶのはいつも――。
「どっか、俺達に味方する国が欲しいな」
マケドニコーバシオは、他国の王家とも積極的に婚姻関係を結んでいる。だからこそ、今回王太子の庶子の兄の結婚がこれほど問題になり、俺が王宮に忍び込んで毒を盛ることまでしたんだし。
つまり、逆に、王太子に対して王女を差し出したいといってくるような国が南部の……それなりの国から出てくれば、日和見をかなり引き込めるとは思う。ただ、その当てが全くないのも現状だ。
……そういう意味では、異母弟が男ではなく女だったら全て上手くいっていた、か?
いや、ラケルデモン本国がその事実を認めないだろうし、そもそもが無意味な話か。
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