Porrimaー2ー
「エペイロスではダメなのか?」
言ったのはプトレマイオスだが、分かっていて敢て口にした程度であり、そこに何かを期待している色は薄い。
確かに、今回エペイロスに長期滞在したことで、現地の有力者との結びつきは強くなったが、そもそもが王太子の生国だしな。
しかも、国力はマケドニコーバシオには劣っている。
最初からこちら寄りの国家が旗色を明確にしたところで、大局に影響はない。
「ダメではないが、あくまで向こうにとっても予想の範囲だからなぁ……」
今回の戦争に傍観を決めている国で、そこそこ強い軍隊があって、出来れば常備の海軍を持っている商業国で、と、考えていくと思い浮かぶ国はいくつかあるにはあるんだが、どうもしっくりこない。
もっとも、そうした国々とも、レスボス島に着いた後で商業的な協議と、出来れば協定の締結なんかも行おうとは思っているが。ただ、どちらかといえば、積極的に協力し合うというよりは、協力関係があるという事実によって周辺に睨みを利かせるような示威的な意味合いが強い。
「まあ、レスボス島の周辺の島を奪いつつ、地道に版図を広げていくのも手ではあるが」
ただ、それも、アテーナイヱの出方次第だな。
一応、マケドニコーバシオ本国側がラケルデモンを支持している以上、勝手にアテーナイヱの領地を掻っ攫っても文句を言われる確率は低い。
……いや、逆にアカイネメシスとしてはどうかな? 自国の鼻先で、急成長している勢力は目障りに感じるかも。むしろ、現在ラケルデモン軍を支援しているアカイネメシスと交流がもてるのなら、あるいは。
と、不意にドカッと、ルッコラやレタス、他にも春野菜の若芽が混ぜられ、塩と酢とオリーブオイルが掛けられた山盛りのサラダが目の前に置かれた。
「男二人でなにを密談しておるのだ」
付け合せの、マケドニコーバシオ名産のチーズの香りが鼻に届く。
顔を上げると、アデアが腰に手を当てて俺を見下ろしていた。
「どうした?」
船旅の始まりでは、船酔いで吐いてばっかりだったので、港に船が着くや否や船から飛び降りていたのだが、流石に最近は慣れたのかもしれない。食欲があるなら、なお結構だ。
……とはいえ、明日からの、何も目印の無い大海原をひたすら天測をたよりに進む日々に、どれだけ耐えられるのか見物ではあるが。
「我が夫が船から降りないから、買い付けさせたのだろうが。乾物ばかりでは飽きるだろう?」
偉そうな態度で――流石に俺達のように、甲板に転がっている木箱には座りたくなかったのか、奴隷を呼んで椅子を持ってこさせ、俺の隣にアデアが……。
「まあ、なぁ……って、なんだ?」
不意に肩に触れられたので、反射的に逃げようとしてしまったが、それよりも強くアデアが俺の服の裾を握っていた。
よくよく見れば、椅子と一緒に前に貰った紅緋のクラミュスを奴隷に持ってこさせていたようで、それを俺に着けようとしているらしい。
状況は理解したので、反射的に間合いを取ろうとしてしまったことに関する詫びも込みで気が済むようにさせているが――。
「いや……ワタシのモノだと、目立つようにな」
どこか意固地になったような顔で、勝手に俺の肩にクラミュスを羽織りかけ、銀のブローチで肩に留めるアデア。
着付けを手伝う奴隷と比べれば、あまり手馴れた動きではなかったがブローチの針を俺の肌に刺しはしなかったので、まあ、よしとしよう。
「晴れた日の甲板では、外套はむしろ暑過ぎると思うがな」
軽く嘆息して、腕を持ち上げたり下ろしたりして肩の感じを確かめてみる。まあ、たかが布なので、腕の動きの邪魔になんてなりはしないんだけどな。
ただ、こうして事前に、作業に支障が出たり、気温的な要因について口にしておいた方が、邪魔だからと外した時に角が立たない。
……と、いうことを、俺は学習してしまっていた。アデアはアデアでしつこいから。
一度立ち上がって、プトレマイオスに着こなしを見てもらう。
大きく頷いているところから見るに、特に問題はないようだ。
「な? ちょうどだろう?」
アデアがそんなことを満足そうに言ったタイミングで、王太子が船へと乗ってきた。
「野菜だけでは腹が持たないのではないか?」
鳥の蒸し焼きや、焼いた魚介類なんかを、護衛兵に運ばせているので、甲板は見る間に宴会場の雰囲気へと変っていった。
いや、それ以外にも、後ろからはこの春に出たフェンネルの若葉を束にして積み込む水夫や、保存食品や水、ワインなんかを運び込む奴隷が続き――。
「随分と買い込んだな」
搬入される物資を眺めつつ、なんとなく頭で経費を弾いてしまう。
追放されたとはいえ、一国の王太子が新たな拠点へと移る旅路ではあるので、本来はこのぐらいの贅沢は当然なのかもしれないが。
俺自身は、節約して、船の装備や軍需物資を買いたいと思ってしまうので、どうしても目が細くなってしまう。
「いや、ここの領主は前回の遠征の件を覚えておるようなのでな。素直に甘えた」
さっきの会話を思い浮かべ、プトレマイオスの方へと視線を向けるが、当然のごとく無視された。
まあ、こうして貢物を渡すぐらいに気を使える人間なら、俺に喧嘩を吹っ掛けてきたりはしないんだろうけどさ。
「フェンネルは、漕ぎ手の方に?」
「ああ、煎った小麦を湯で練った保存食だけでは力もでんだろうしな」
ここでの漕ぎ手は奴隷ではなく、無産階級の水夫を雇っていた。船を漕いだり、細かい操作の指示を出すには、奴隷よりもきちんと教育を受けたものの方が使い勝手は良い。
ただ、待遇に関しても、奴隷とは比較にならないぐらいに配慮しなくてはならない。船の構造上、船室は窓が少なく、住環境は最悪もいいところだ。港についても、船内の掃除や櫂の手入れで上陸は三交代制。なので、その分食事や給金において便宜を図っている。
そして、現在王太子が行ったような、臨時での生鮮食品の配布は、人身掌握の観点からも悪くない。
戦争に向かって軽く右腕を上げる王太子の横顔も、自信に満ちている。
…………。
エペイロスでもうっすらと気付いてはいたが、王太子が部下に対してなにかを贈ることが最近増えた。元々、俺をヘタイロイへと迎え入れた時のような大掛かりなお祭り騒ぎが好きな人物ではある。
ただ――。
表面上、王太子は、マケドニコーバシオを追放されることをそれほど重く受け止めていない。いや、ペラから離れた場所にミエザの学園を作ったことからも、中央から疎まれることに慣れているのかもしれないが……。
同じ境遇だった俺としては、周囲に見せている態度とは別の暗い気持ちがあるようにも感じていた。
そして、レオと異母弟を俺が連れてきたことで、王太子がそれを俺にも見せないようにし始めているのかな、とも。
漁船がなにか獲物を引き上げたのか、海鳥が俺達の船を飛び越して、羽ばたいていった。
つられるように、青い海……その先の水平線に向かって視線を向ける。空は青いままだったが、西へと傾き始めた太陽が波を煌めかせている。
海鳥の鳴き声が消えると、静寂が降りてきた。エーゲ海の微かな風は、頬に感じられるだけで音を連れない。
「もうじき、だな」
沈黙を破った、どこか緊張感のあるアデアの声が、やけに耳に残った。
確かに、もうじきミュティレアへと着いてしまう。
慰めるって言うと少し違うかもしれないが、王太子に関しては、一度……そう、ネアルコスにも相談して、歓迎の宴かなんかを企画し、パーッと騒いで憂さを晴らしてもらい……。その後、少しだけ異母弟のこと、レオの事、婚約の事、そうしたことを真剣に話そうと思う。
アデアについては……。これから、どうしていくのかもそうだし、それ以上に、ミュティレアに着いた後でエレオノーレになんと説明するのかさえも決められずにいるんだけど。
ともかくも、出来ることからはじめていかないと、な。
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