Hassalehー2ー
不意に響いたコンコン、と、なにかを叩く音に思考を止めて顔を上げれば、もう一度、同じような音がドアの方から聞こえてきた。
「エルか?」
昼の防戦での一件があるので、少し眉根が寄ってしまうが、無視するわけにもいかない。喉から出た
「済みません。僕です」
聞こえてきたのは、予想と違って男の……キルクスの声だった。
がっかりしたような、安心したような、――それでいて、そこはかとなく腹立たしい。
確かに、今、エレオノーレとは話し難いんだが。それでも、いや、だからこそエレオノーレの方が、ここに、顔を出しに来るべきじゃないのか?
……ッチ。
なんだか俺らしくも無い、複雑な気分だった。明日の戦いのためにも、もっと考えなければならない事、優先順位の高い事がたくさんあるはずなのに。
「どうした? 明日はまた忙しくなる。寝とけ」
ドアが開くのと同時に、鼻先に叩きつけるように言うと、キルクスは苦笑いで――まあ、こちらが、最初にエレオノーレと決め付けて訊いてしまったしな――、そう邪険にしないでも、と、目尻を下げて話し始めた。
「眠れれば苦労はしませんよ。つくづく文官だと分からされましたね。今回は」
「だから、次に戦場に出ないためのこの一戦なんだろ?」
明日の朝にでも放出してやろうと、兵糧の備蓄量に目を落としてみる。だが、付近の村をひとつ取ったのと、味方が激減しているのの相乗効果で、皮肉なことに春まで余裕で持ちそうな備蓄量だった。
逃げる際に持っていくか?
いや……、早足が使えないのは問題だ。せいぜい、火を点けて敵に奪われないようにするぐらいか。
そういえば――。
「準備は?」
「万全ですよ。砦の南半分の五十箇所に油壺、針葉樹の枯葉なんかの火種を準備してあります。ああ、それと、ドクシアディスさんからも船に一番近い壁に楔を打ち込む作業が終わったとのことです」
「そうか」
まあ、最悪の場合の逃げ道は確保出来たか。
「火で敵を撒いて逃走を?」
「ああ、門が突破された時点で使う。皆殺しに火は良いぞ。混乱を誘発出来るし、熱だけじゃなく煙も使い勝手が良い。風向きさえ味方すれば、小勢でも大群を全滅させられる」
エレオノーレの前じゃないので、繕っていない生の――酷薄と周囲に言われ続けた笑みを、久しぶりに浮かべる。
キルクスは、どこか困った様子で曖昧に頷き――。
「僕に使いこなせるか分からない知識ですが、覚えておきましょう……。ひとつ訊いても?」
「答えるとは限らんぞ」
「ラケルデモンは、一般兵も用兵について学ぶのですか?」
書類から顔を上げる。
あの、俺の大嫌いな政治屋の笑みがキルクスの顔に張り付いている。
多少なりとも、勘付いているようだな。まあ、追放された王家とまで予想してはいないだろうが、そこそこの立場とは予想しているんだろう。
……フン。
「学ぶ……というと、意味合いが違うが……」
はい? と、小首を傾げたキルクス。おそらく、予想とは違った返事が俺の口から出たことに戸惑ったんだろう。
バカめ。いい気味だ。
こんな夜中に訪ねて来あがった分際で、安易に懐柔出来るなんて思うなよ。
「ラケルデモンは、軍事教育を受け始め、ある程度の年齢になると奴隷の村を襲う権利が貰える。だが、奴隷の方も無抵抗ってわけじゃねえからな。自然と少数で多勢と戦ったり、村を攻める技術も体得していくんだ。出来なかったら、なんて訊くなよ。そんな弱者は死んで当然だ」
言っていることは嘘じゃないので、態度からはそれほど俺の事は読め無い筈だ。
目を細めてキルクスを見れば、大袈裟に肩を竦められた。
「怖い国ですね」
「貴様の国だって、こうして戦争してるだろ。綺麗事はよせ。手段と奪い方の違いだけだ。殺して一度に全てを、か。時間をかけてじっくりと搾り取って殺すか、のな」
ふふん、と、鼻で笑って目の前の腹黒にからかいの目を向ける。
「しかし、村を攻めるのと陣を守るのは勝手が違うのでは?」
「俺の監督官――ああ、貴様等風に言うなら教育係だ。そいつが、とてつもなく厳しかったんでね」
そういえば、レオは……。いや、俺が心配することでもないか。そう簡単にくたばるジジイじゃない。なんとか切り抜けてるだろう。
「ひとついいか?」
「なんなりと」
訊かないでおいても構わないことではあったが、さっきはキルクスから質問されたので、そのお返しにちょうどいいか、と、安請合いキルクスにかねてからの疑問を俺は口にした。
「あのチビはなにに対する担保だ?」
そう、それだけがどうしても理解出来なかった。
確かに、政敵が多いならあの家に置いて来るのも安全ではないと思うが、だからといって戦場に連れてくるというのは随分と乱暴な手段だ。それに最初会った時には、誼を通じたとは言い難い、敵国に人質として嫁がされるという話でもあったし。
……あのチビが生きていることで、なんらかの支障があり、どさくさに紛れて殺そうとしているようにも感じるが。いや、確証が無いな。その推理が当たっているなら、とっくに消していたはずだ。その機会は多かった。
なら、殺すための条件がなにか足りないのかもしれない。例えば、一族から外した上で殺さなければならないとか。もしくは、戦場の混乱による行方不明ということにしてうやむやにしたい、とかか。
んん、もうひとつ、読み解くための鍵が足りない。
「僕の身内になる、と?」
スッと目を細め、生の皮肉屋の笑みを浮かべたキルクスが俺の顔を見た。
「バカを言え」
キルクスの提案を一笑に付す。
キルクスは、やれやれと肩を竦めて見せたが、概ね予想出来た反応だったらしく、特に気にした様子もなく話し始めた。
「少々、僕等兄妹は出自に問題がありまして、ね。実績が無ければ、このまま数年後に陶片追放されてしまいます」
「陶片追放?」
訊き返す俺に、ああ、と、制度の違いを思い出した顔になったキルクスが説明した。
「失脚した政治家を、国外追放する手段です」
たいていの刑罰が死刑の国の人間としては、随分と甘い処置のような気もするが……。いや甘ったれてた人間が、急に無一文でやってくのは、辛い……か。多分。
「だから、分の悪い賭けでも乗った……てか?」
「ええ、強欲な人間は、正直者より信用が出来ますから。ドクシアディス様達も、味方になってくれるなら相応の対応をさせて頂きますよ。僕はそこまで純血にこだわりませんので」
ここで乗ってもいいが、こちらにも色々と事情があり、思惑がある。泥舟か否かは見極めないといけない。
「なら、まずは明日も生き延びないとな」
「……いずれ、アーベル様とは、両国の友好について協議したいものです」
腹の底を見せないように注意しながら無難に応じると、邪気を感じさせない笑みでキルクスが応じ、夜も遅いですし、と背を向けて部屋を出て行った。
その背中に向かって鼻で笑うだけで、俺は答えなかった。
幸か不幸か、この男も、見た目や日頃の言動程には甘くないようだ。
利害が一致しなくなった時、それがおそらく――。
どちらかが死ぬ時になるだろうな。
利用価値の無くなった不都合な証人は消す。それが政治家、そして、悪人の鉄則だった。
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