Hoedus Secundusー2ー
エレオノーレの真摯な顔、キルクスの苦笑い、ほぼ居る意味の無いチビの拗ねた顔、ドクシアディスの不信感のある表情。
こちらは、一枚岩の軍隊ってわけじゃないしな。内部分裂の危険性も鑑みるに――。
「付近の哨戒艦が三隻以上なら退く。味方拠点が無い場合も上陸せずに退く。また、上陸後、先遣隊の残存兵が五百を割っていて、かつ、二日経っても援軍が来ない場合も撤退だ。キルクス、撤退の言い訳として先遣隊を全滅から救ったというのは通じるか?」
「弁論ならお任せを」
さっきの遣り取りを見るに、いまひとつ信頼は出来なかったが、一戦後に港に戻っちまえば、主力がぶつかった結果がどうであっても、口八丁手八丁で掻き回せるか。
残存兵を町に入れて手当てなりなんなりを行う混乱に乗じて、居留アヱギーナ人を脱出させられるのは、多分、そう難しくない。
ごちゃっとした状況さえ作れれば、混乱に乗じれる。
もっとも、アテーナイヱが勝利してくれるのが、俺の目的――ドクシアディス達を国を持たない俺の兵隊とし、政治の中央にキルクスが入り込んで軍閥化した俺達とも多少の縁を残す――としては一番良いわけではあるが、な。
「すぐに出航するのか?」
「いえ、艦隊決戦は四日後の予定ですので、明日の昼に出るのが良いかと」
ふむ、と、少し考えてから俺はキルクスに訊いてみた。
「ちなみに、少し特訓をしたいんだが、船の準備は出来てるか?」
キルクスは、櫂の漕ぎ手として船に乗る連中の顔を見て、一応、船を出せないことはないことを確認してから俺に訊き返してきた。
「なにをするんですか?」
俺は肩を竦めてキルクスを見返す。
「敵船へ飛び移るなら、自分がどの程度跳べるのかを把握しとかないと、な」
基本的には、船の喫水線下にある衝角を敵船に突き刺して沈めるんだが、敵の船も動いているので、そうそう成功するもんじゃない……らしい。ドクシアディスと、キルクスの話を聞く限りだが。
だから、甲板の兵士を減らすために投石兵を乗せ、人的被害を出すことを優先的に戦うのだそうだ。兵士が充分に減ったら、併走したりして飛び乗る。ただし、あくまで敵陣で戦うことになるので、半端な状況では返り討ちにされるとのことだ。
だからなのか――。
「兵が減りますよ?」
不安そうな顔をしたキルクスに、大きく頷いて俺は答えた。
「ああ、だから飛び移るのは俺だけだ」
無駄な死人を出す意味は無い。見た感じ、接近戦に向かなそうな兵隊ばかりなんだから、乗り込んで切り結ぶのは、それが出来る俺がすればいいだけだ。
「はぁ⁉」
ドクシアディスが素っ頓狂な声をあげ――、驚いた顔のままでエレオノーレへと視線を向けた。
キルクスは、あの領事館での一件を知っているからか、あまり表情を変えずに話の成り行きを見守っている。
エレオノーレは、なんだか申し訳なさそうに「こういう人なんだ」とか、ぬかしあがった。
やれやれ、と、溜息を吐いてから俺は解説してやる。
「三段櫂船の乗員は、二百人程度なんだろ? 漕ぎ手も多いようだし、包囲されなきゃたいした数じゃない。それに皆殺しにすれば船も手に入るし一石二鳥だろう」
言い終えると、なぜか全員の呆れた視線が俺に向けられていた。背中の長剣を、鞘を抜かずに肩に掛けるようにして持ち、不安があるなら試してみるか? と、挑発してみる。
だが、俺と試合をしようというやつは出てこなかった。
この、根性無しめ!
腕を見たかったし、一応、多少は手加減してやるつもりだったんだがな。
「言っても聞かないし、この人なら出来なくは無いんだ」
ゆるゆると首を横に振ったエレオノーレは、頭の後ろでまとめた髪の揺れるのが収まる前に、軽く目を伏せてそんなことを言っている。
フン、と、鼻を鳴らして答えてから、俺は思い出したように付け加える。
「お前は、ここでチビとでも遊んでろよ」
え、と、エレオノーレが戸惑った顔をしたのと同時だった。キルクスが話しに割って入ってきたのは。
「あ、その」
まず、殺しを否定しているにも関わらずに、戦場へ出るつもりのエレオノーレを睨みつけてから、キルクスの方に顔を向ける。エレオノーレの方から、小声で「でも」とか「だって」とか、聞こえてきたが無視する。
キルクスは、非常に言い難そうにしながらも「その、イオも今回船に――」と、困り切ったような顔で続けた。
「……は?」
眉間に皺を寄せて睨むが、キルクスは理由も話さずに俯き、苦渋に満ちた顔をしていた。埒が明かないのでキルクスの子飼いの連中の方に顔を向けるが、誰も視線を合わせようとしない。
どうもこのチビがキルクスの事情に大きく関わっているようだが……。
てか、それは、ここに置いておくのも危ないってことか? キルクスの味方は屋敷の安全を担保出来ない程に弱くて少ないのか?
……ふむ。こいつらの政争にエレオノーレを巻き込まれるのも嫌だしな。そもそも、エレオノーレの行動が常識外れだし、目の届く所においておくしかない、か。
「私の隣にいてね」
と、エレオノーレが甘いことを言うと、チビは素直にエレオノーレの腰にまとわりついて、俺に勝ち誇ったようなイラつく顔を向けてきた。
「完全に守り切る保障はねえぞ? 身辺警護は、お前のとこの兵隊にさせろよ?」
まずエレオノーレに念を押し、次いでキルクスに向かって目を細めて命令する。
「はい、それは、もちろん」
キルクスは俺が折れたことにやや安心した様子ではあったが、このクソガキを頭痛の種だと思っているのは俺と同じようで、表情が晴れることは無かった。
加担する側を間違ったのかもな。
そう心の中でひとりごちるが、今更手を変えられるはずも無い。そもそも優勢な方は、俺達みたいな素性の知れない連中を迎え入れたりはしない。
結局のところ、いつも通りだ。切り抜けるためには使えるものはなんでも使って生き延びるしかない。エレオノーレを横目で見ながら、そう決意を新たにした。
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