夜の終わりー7ー
野営の準備はつつがなく進み、そして、夜が来た。王太子を中心とし、天幕が中央の大きな篝火を囲む野営地と、そこから遠く、海岸線近くの足場が悪い場所で揺らめくキルクス達が野営する小さな炎。
火は不思議だ。
揺らめくその色を見ていると、心が少しざわつく。
かつてプロメーテウスは、神々と人とがその主宰する領域を隔てられ、飢えや寒さに苦しむ人類を救おうと神々の世界から火を盗み人に与えた。だが人は、火によって飢えと寒さを克服した後、その火から武器を作り、結局は大神の懸念通りの争いを始めた。
なんとも含蓄のある話だが――。
「アテーナイヱへ帰るんだ」
キルクスの声に、同じように追放された者のどよめきが広がった。明確な反論の声ではなかったが、全体の雰囲気として懸念や不安を感じているということは、はっきりと伝わってくる。
キルクスはしばしそれが静まるのを待ったが、リーダーとしての資質を認められていない、あるいは先の大敗北で失っていたキルクスではどよめきは収まらず、騒音に負けないためにか無理した感のある大声で話し始めた。
「考えてみて欲しい! 確かに、僕等は一度逃げた人間だ。でも、あの国はもうがたがたで、誰の助けだって欲しいはずじゃないか。少しで良い、身を隠し、再びアテーナイヱへと戻り、再び権力を手にするんだ」
声がどこか裏返っている。
背は低くは無いんだが、細身だからなのか、女のような高い声には威厳はあまり感じない。それもあってか、キルクスを取り囲む輪の中から聞こえてきたのは賛同ではなく「でも」という否定の言葉だった。
キルクスは困難は分かっているとでも言いたいのか、掌を見せることで否定意見を押しとどめるようにして続けた。
「……高く売れる若い女性、戦傷を負っていない男を奴隷として売ってでも、生き延びるんだ。いつか、買い戻すことは出来る。それに――」
ちらりと王太子たちが休んでいる大きな篝火の方向へと目をやったキルクスは、悪人の笑み――いや、俺にとっては見慣れている復習者の酷薄な微笑で続けた。
「マケドニコーバシオ、ミュティレア、そして未知とされてきたラケルデモンに関する情報を僕等は知っている。それを上手く売れれば」
もっと前にこの顔が出来ていればコイツの今も変わっただろうにな、と、嘆息しつつ俺は声を張り上げた。
「流石ですね!」
案の定と言えばその通りなんだが、キルクスは決して口にしてはならないことを口にした。いや、どの道、知ってはいけない事を知り過ぎているというだけで既に皆殺しの決定は下されていたのだ。俺が改めてその理由を説明する手間は省けたってだけ。
不意に発言を遮られた事に目を丸くしたキルクスは、一拍後、しげしげと顔を隠して紛れ込んでいた俺を見つめ「うん? キミは誰?」と、訪ねて来た。
真冬に貧乏人がするように頭に被せていた紅緋のクラミュスを手で払い、顔を露にする。
「俺だよ。どうした? ここでは随分と威勢が良いようだが……。元、頭目の声を忘れたのか?」
愕然とするキルクスに、生かして外へと放てない理由は、今お前が口にしたよな? と、微笑みかける。
剣はもう抜いていた。
刃に炎の揺らめきが反射し、怪しく輝いた。
最大の危機は切り抜けた、そんな顔をしていたキルクスの顔が、絶望に染まっていく。
意図したわけじゃなかったんだが、口の端が裂けるんじゃない勝手ぐらい笑みが深まったのが自分でもはっきりと解った。
「抵抗するなとは言わんが、長引けば苦しむだけだぞ? いつもの剣を持ってくるわけにはいかなかったんだ。殴り殺されるのは、お坊ちゃんのお前には辛いと思うがな」
俺から飛び退り、仲間の輪に割って入ろうとしたキルクス。しかし、キルクスもそれ以外の者も、足が竦んでいるのか、追放者全員がひとかたまりになって尻餅をついただけで終わった。
何人かが俺から逃れようと這って退がったので、まずその三人の首を刎ねた。剣は折れなかったが、前と違う手応えは……嫌ってわけじゃないんだが、楽しくも無かった。前よりも抵抗無く皮も肉も骨も断てるせいだ。
命を奪う実感に乏しい。手応えが足りない。なのに、濃い血の匂いだけが漂っている。
もっと、もっと斬らないと楽しめない。
視線をキルクスへと戻す。
「アーベル! 貴方は、いや、アンタは、なにも変わっていないんだ! ラケルデモンを裏切り、そして、僕達を裏切り……いずれ、マケドニコーバシオも裏切るんでしょう!?」
「成程……、それで?」
誰も彼もが少しでも死ぬ順番を後にしたくて、キルクスや大身の者がどんどん前へと押し出されてくる。
ほんっと、浅ましい連中だ。
どうせ、誰も、助けない。助からない。
俺がそういうヤツだってわかりきってるだろうに。
「アンタには、人としての心は無いのか! エレオノーレさんの元で、なにも感じなかったのかよぉ! 台無しにしたのは、アンタ自身だったはずだ、それをこっちの責任に押し付けるなよ!」
キンキン響く声が喧しい。
別に、このまま斬っても良かったが、自分は悪くないと思い込まれたままで死なれるのもなんだか癪で、俺は簡単にだが話に応じた。
「まあ、確かに俺はクズだが、お前等だってそうだろ?」
「なにを!」
俺とは違うとでも言いたげなキルクスの顔。
自分の失敗は失敗だと感じていないのか、それとも単に忘れたのか。
「客観的に自分を見てみろ。劣勢になれば媚び諂い、優勢になれば威張り散らす。そもそもが為政者の器じゃない。その癖、自己評価は高過ぎるんだ。俺を上手く御していた。人心は自分に集まっている。マケドニコーバシオは、海運で儲けさせてやった、とな。それらは全てお前の力じゃないだろ?」
「アンタだって同じだろ! 強い強いと持ち上げられても、結局は兵士は欲しいんじゃないか! 全部が全部、独りの力じゃないじゃないか! 僕となにが違うっていうんだ!」
嘆息する俺。
ダメだな。
話が全く通じない。って、最初からか。慣れない真似なんてするんじゃなかったな。どうせ殺すって結末は変わらないんだし。
「……だから、最初に言ったろ。同じクズだとな。だが、いや、だからこそ、この結末なんだろ? 利用価値が無くなった時が、死に時さ」
心の片隅で何かが引っ掛かってはいるけど、敢えてその枷を外すように一歩踏み出す俺。
一歩退がろうとするも、味方に押し出されるキルクス。
キルクスの背中を押す手が強かったのか、まるで一息で断ってくださいとでも言わんばかりにキルクスが前のめりに躓いて、俺に首筋を差し出した。
「違う、僕は、まだやれるんだ。アンタは、僕を妬んでこんな事をして……」
「最後まで、汝自身を知れなかったなフレアリオイ家のキルクス。……さらばだ」
刃を首筋にあてがう。
「裏切り者! 利己主義者! 奈落へ……!」
怒っている時の方が痛みは紛れる……いや、俺の腕なら痛みを感じる間もない速さで命を刈り取れる。
軽く腕を引く。ぐに、とした皮膚の抵抗は一瞬で、やはり肉を裂く感覚に乏しいまま、刃はなにもない場所を漂っていた。
転がった首は恨めしそうに俺を見ていたが、その口はだらしなく開いているだけでなんの言葉も発しなかった。
キルクスの背を押した中年男が、擦り寄ってきたので、そのままの姿勢から腕だけの力で斬り上げ、胸を裂いた。いつもの剣じゃないので両断せず、固い背骨を残している。だから、吹き出した血や内臓に煽られて、そいつは後ろ向きに転がり――。
悲鳴がひとつ上がった後は、殺戮が始まった。
いや、始まったときには終わっていた、とも言えるが。
得物を持たず、抗う術を持たない連中を皆殺しにすることは思った以上にあっけなく、悲鳴や物音をテレスアリア兵が不審に思ったとして、夢の事と思い直して眠りなおす程度の間に、周囲には死体しかなくなった。
煌々と燃え盛る篝火だけが、未だに血を流し続けているように周囲の闇を照らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます