夜の終わりー6ー
テレスアリア兵帰還の第二陣の船団が出港していたが、急いだが故、いくつかの無視できない問題を抱えたままの出港となってしまった。
まず――。
「肩も背中も腰も、なんか寒い」
甲板で周囲を警戒しながらも愚痴が止まらない。一応、軍団兵も気休めは言ってくれているんだが、こればっかりはどうしようもない。
「ミュティレアの鍛冶屋を当たって、なんとか一振りはみつけたろうが」
こん、と、俺の頭の上にコップを乗せた王太子。
甲板は、夏の日差しによるものなのか、陸にいるとき以上に暑さを感じる。日はもう傾き始めてる――とはいえ、夕焼けにはまだ早く、空は蒼いままだが――のに、動かずにじっとしているだけでも喉が渇いてくるほどに。
コップの水を一息で飲み干し、腰の剣を鞘から抜かずに手に取るが……。
「なーんか、ん――、馴染まんのだよなぁ」
そう、俺の普段使いの長剣は、確かにきちんと手入れして使ってきたんだが、島へと帰還した前後で柄と刃の境目がぐらついた。柄は後付ではなく一本の鉄を打って作った剣だったんだが、力が掛かる位置だからなのか、布かなにかのように力を要れずとも自重で左右に簡単に曲げられてしまう。どうせ使えないならと折って確認すれば、内部に相当の歪が溜まっていた。
良い機会なので、同じような長剣を打ってもらっていたんだが、今回の第二陣には間に合わなかったのだ。
まあ、他の人間が使えないような長さと重さの一品物なので、エレクトラム貨の製造なんかで高い冶金技術をもつミュティレアの職人でも手間取るのかもしれないが。その上、王太子の母君が正式にマケドニコーバシオ王と離婚してしまっていたので、追放令の撤回に伴い、再度派閥を形成するために帰還を急ぐ必要性も理解しているが……。
「それはそれで、中々の品だと思うんだがな」
王太子がしげしげと俺の今の剣を見つめる。
まあ、悪いモンじゃないんだけどな。
由来が分からない剣だったらしい。が、業物だとはひと目で気付いた。鞘も外装もボロボロだったが、もしかしたらアカイネメシス由来の品だったのかもしれない。
形状が、ヘレネスで使われるコピスとはやや違っている。
ヘレネスの剣は、突くことを重視した両刃で細長い形状のサイフォス――エレオノーレが昔使っていたのはこの形式の剣だ――、斬ることを重視したコピスに大きく二分される。
そして俺の愛剣は、コピスでありながら槍にも対抗するため、刃の湾曲を極力無くし、幅も先端に向かう程細くさせることで長さを通常の倍程度まで伸ばしていた。
翻って今の得物なんだが、ややアカイネメシス風の雰囲気のあるコピスで、長さは通常のコピスと比べても拳二つ分ほど短い。ただし、湾曲した刃は断ち切ることに関してだけなら前の得物以上ではある。斧と見間違うほどに横幅が広く、厚みがあるためだ。
改めて簡単な装飾を施された鞘には、マケドニコーバシオの象徴であるヴェルギナの太陽の意匠もあり、見た目の点でも前以上、とは言えるんだがなぁ。
「ま、素人相手なら充分さ」
と、船団の後方の船へと視線を向ける。
王太子は、俺の言葉の意味を知っていて敢てとぼけた顔をしていた。
そう、俺達の乗る船の後方には、追放処分となったキルクス達をトラキアやテレスアリアにばら撒くための船も一隻ついてきている。
船をアイツ等にくれてやるなんてもったいないことはしない。そのために、今回の船団についでとして乗せていたんだが、それにより、若干空気が不穏になっているのも否めなかった。
こちらはこちらで、市民権を停止させた動物に餌をくれてやることを嫌がっていたし、向こうは向こうでこちらを簒奪者と見て嫌悪している。出港して数日しか経っていないが、軋轢は正直限界だった。
もっとも市民権を持たない動物を殺しても罪になんてなりはしないんだが――。それを行って尚、堕ちない人間は少ない。特に俺の軍団兵は、一度失敗した人間で構成されているため、汚れるということがどういうことなのか良く理解している。
犯罪を犯すことは、普通の人が思う程難しくは無い。そして、一度それを行なってしまえば、より楽な道を探し、言い訳を探し、ずるずると抜け出せなくなる。自らの破滅の瞬間まで。
戦場以外での殺戮に手を染め、それでも尚、腐らずにいられる人間は多くは無いのだ。
……ただ、まあ、そんな空気も今夜限り、なんだがな。
レスボス島からは既に随分と離れている。陸を見れば、トラキア地方の未開の野原が広がっていていた。入港に値する港が無いため、今夜は野営となる。
基本的に船旅は夜は海岸線に船を止め、陸上で煮炊きし、睡眠をとる。海岸線を離れるなら天測して進むため、逆になる場合もあるが、今回は島伝い、陸伝いにマケドニコーバシオへと向かっているので昼夜を逆転させる意味が無い。
急いではいるものの、テレスアリア兵が居る手前、強行軍ではなくそうした一般的な日程を組むしかないのだ。
「そろそろ上陸の準備をさせようか」
「ん? まだ良いだろ?」
王太子の掛け声に、夕焼けになってから浜に乗り上げさせるつもりでいた俺は反論するが、王太子は軽く笑って陸を指差した。
「藪があるし、野兎の影も見えた」
王太子の視線を追っても、薪にもなりそうにない藪がちょっとみえるだけだった。だが、兵はもうその気になっていたし、ここで距離を稼いだところで明日入る予定の港は決まっている。
休んでも構わないか。
「ま、野宿は久々だしな、準備をしっかりしろよ」
と、声を掛けると、船倉の漕ぎ手への伝令や船団全体への連絡で甲板が慌しくなった。
その様子を微笑ましく見守る王太子。その横で、なんとなく王太子は本質的に人間大好きで、こんな風な喧騒が好きなのかもな、なんて俺は思っていた――。
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