Algolー3ー

 レオは一呼吸の後、頷いたが「どうされるのですかな?」と、訊ねてきた。

 そう、まるで、昔、俺の家庭教師をしていた時のような、底意地の悪そうな――しかし、どこか甘さが抜けていない顔で。

「海岸線を抜ける。俺がここに来る際に使った、エリースからメタセニアを経由する海路は距離が長くなりすぎる。幸い、アヱギーナ島もアテーナイヱ近海も知らない場所じゃないからな。アルゴリコス湾を抜けたら北上する。上手くコンリトスを横断し、コリンティアコス湾へと出れば勝ちだ」

 幸か不幸か、ラケルデモンを抜けキルクスと組んでいた時期に、このあたりの海に関しての知見がある。手元に詳しい地図が無く、記憶が頼りではあるが、水深や地形に関し、アヱギーナ島を襲撃した際に一度学んでいた。

 商船を調達できないし、出来たところでコイツ等では操船できないことから考えれば、ペロポネソス半島を一周するような航路は使えない。俺が上陸した公共市場都市ナウプリエー付近で、中型の漁船を拝借し、食料と水をあるだけ詰め込み、昼夜兼業で漕がせる。

 波の状態と天気にも依るが、四日ないし六日でコンリトスに着くだろう。

 必要な装備は、吹きさらしの漁船で耐えるための毛布に封印された瓶に入った水と食料。手持ちの金で二十人分はまかなえないし、どっかで盗むか。いや、六日分の物資を中型漁船に積むと、この時期の海は危ないか。港で、衣類と数日分の食料だけを調達し、どっかで一度野営する?

 ……微妙だな。

 この冬場に、上陸地点で食料が上手く調達できるとは限らないし、水さえあれば五日位なら死なないんだから、食料を減らして無補給で突っ切るか? いや、漕ぎ手の体力がどうかな? 積載物の調整が鍵だな。

 具体的な計画と、必要物資に関して悩んでいると、レオがどこか的外れな事を訊いてきた。

「船の操船は難しいと思いますが?」

 ……んん。

 どうしても、眉根が寄ってしまうな。いや、まあ、それは確かにそうなんだろうが、俺はそこで悩んでいるわけでもないんだがな。

「いや、海岸線を進むだけなら、意外と腕力でなんとかなる。無論、三段櫂船で衝角を使った攻撃なんかは無理だが、単に移動手段として――そう、漁船程度なら然程でもない。難しいのは、むしろ、船の整備と維持さ。確かに荒れてはいるが、離岸流にさえ気をつければ、航行に支障は少ないしな」

 言いながら、レオの表情の変化につい苦笑いしてしまった。

 国を出てから得た知識だもんな。

 少なくともレオは俺がガキの頃にはアクロポリスに詰めていて、その後、なにしてたのかはっきりは分からないが、海軍を率いていたとは考え難い。孫ほど歳の離れた俺が、すらすらとそんなことを言えるのが不思議でしょうがないんだろう。

 もっとも、ほとんどがキルクスとドクシアディスの受け売りで、まだまだ浅い知識でしかないんだがな。

「敵の艦隊は?」

 レオの伝えてきた懸念に、つい目を瞬かせてしまった。

 もしかしなくても、アルゴリダに潜伏していた影響で、戦況が充分に伝わっていなかったのか。

 レオは、俺が驚いたような顔をしているのを首を傾げて見ていたが――。

「ああー、そうか……お前は知らなかったろうが、ラケルデモンのもアテーナイヱのも、俺達が騒動を起こしたレスボス島近海から動けていないはずだ。この時期に、岸から離れて航行する気は無いだろうからな」

 もしその情報を知りえていたなら、この秋のレオたちの行動は大きく変わっていたことだろう。確かに海に不慣れではあるんだろうが、艦隊が留守にしている間には、この周辺の海域を船が激しく往来していただろうし、密航も難しくは無かったはずだ。

 ……ああ、そうか。

 レオ達を追跡している敵も、まさかラケルデモン人の同胞がわざわざ海路を使うとは考えていなくて、それで港の監視が緩かったのかもな。

「コンリトスに上手く上陸できない場合は?」

「言っただろ? アテーナイヱは知らない土地じゃない。……ハハッ! もっとも、アテーナイヱ人に好かれているとは思えないがな。ただ、都市を攻囲しているラケルデモン軍が、包囲を解いてまで海岸線を見張るとは思えない。大きな港町を避ければ、進むのはそう難しくないだろ」

 戦争のこれ以上の長期化、泥沼化と引き換えにするほど、俺とあのガキに価値は無い。ラケルデモン本土へと侵攻を手伝う国家なんてあるはずが無い、と考えるのが普通だしな。

 その普通じゃないことが出来るのは、王太子とヘタイロイの皆だけだ。

「まあ、基本的には、コンリトスの人気の無い浜に上がって、一気に抜けるつもりだがな。あそこの地峡はさして距離があるわけじゃない。アカイアまで抜ければ、後は俺がここに来たのと同じルートで戻れる」

 基本的に、コンリトスは陸運中心の商業国なので、その場合でも大きな街道の何本かは突っ切る必要は出て来る。だが、この戦争の真っ只中で、街道に関を新たに設けたり封鎖を行ったりするだろうか? おそらくそれは無い。俺達の命の値段よりも、物流が止まることで出る損失の方が大きくなるからだ。ラケルデモンにそれを無理強いするだけの金があるとも思えないしな。

 レオは、ふむ、と、顎に手を当てて――おそらく、最大の疑問というか懸念を尋ねてきた。

「マケドニコーバシオは、信用できるのですか?」

「ああ、お前よりな。ちょいと事情は複雑だが、今、俺はマケドニコーバシオの王太子と行動を共にしている。部隊も持っているし、それなりに働いてるよ」

 レオは複雑層な顔をしていた。

 無理も無い。

 ラケルデモンにとっては、マケドニコーバシオなんてかつてアカイネメシスと共にヘレネスに牙を剥いた油断のならない国という認識のはずだ。もっとも、ラケルデモンは現在の戦争で、アカイネメシスの協力を取り付けているので、多少は敵意も和らいでいるかもしれないが、その場合はヘレネス最北のわけの分からない田舎と思っており、結局は下に見ているんだろう。

 俺も最初はそうだったしな。ハハン。

「世界をもっと見ろ。ラケルデモンに籠もってるだけじゃ、置いてかれる一方だぞ?」

 レオがマケドニコーバシオを見たら、どんな顔をするのか、今から少し楽しみだ。

 二人共が生きてここを抜けられる保証なんてどこにも無いのに、その日の事を考えると、少し笑みがこぼれてしまった。

 そして、そんな俺に、いつも通りの無愛想な声が返ってきた。

「御意」

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