夜の終わりー4ー

 明言しない俺に、珍しいものでも見るかのような目を向けていたエルだったけど、問い質してくるようなことはせずに、だけど、不意に足を止めた。

「ん? どうした?」

 一歩先から振り返れば、エルの目は屋台に釘付けになっていた。

 本当に、変な女だ。飾らないかと思えば、今は、女が喜びそうな小物を熱心に見ているんだから。

 なにに気を惹かれているのかと思って視線を追えば……。

 銀糸で編んだ髪留め、か。

「買うのか?」

「う……ん」

 欲しそうにしているものの、エルから返って来た返事はどこか歯切れが悪い。

「ん? お前にも、少なくない金を渡してるよな、俺は?」

 今回の戦争に加担するに当たって、俺は指揮官だったので事後報酬という形だったが、エルは一応、俺の下で雇っている兵士扱いなので、ドクシアディス達と同じようにキルクスから日給が出るように手配していた。

 てか、それ以前の問題として、ラケルデモンの公共市場都市では、金の扱いを覚えさせるためにも週毎の生活費を多少のあまりが出る程度に渡していたはずなんだが……。

「それは、そうだけど……」

 財布を忘れたとかか? と、推理しながら更に訊いてみる。が、別にそういうわけでもなさそうだ。

「まあ、いいが」

 よく分からないが、エルは元々は田舎の農奴の村しか知らないんだ。物々交換に慣れすぎて、金を使うことに躊躇いもあるんだろう。

「いくらだ?」

 店主に尋ね、値切るほどの額でもなかったので銀貨と銅貨を数枚を放る。

「まいど」

 店主の声に顔を上げたエル。

「え?」

「それは、もう、お前のだ」

 ひょい、と、後ろから手を伸ばして髪留めを摘み上げてエルの手に乗せる。

「あ、う」

「なんだ?」

 てっきり、最初から買ってくれとねだっているのだと思ってたが、深読みし過ぎたらしい。喜ぶよりも戸惑った顔を向けられ――。

「……ありがとう」

 なんてお礼の言葉が聞こえてくるまで、短くない間があった。


 そして、そのまますぐにぎこちない動きで髪を結いなおそうとしているのか、後ろ手に髪の根元を弄っているのだが……。

 いつもは自分で髪を結っているんだろうに、高価な銀糸に気後れしているのか、髪を結び直すのに随分ともたついている。

「なにをやってるんだか」

 からかうようにそう告げれば、少し怒ったような顔で言い返された。

「分かっているなら、その……こっちも、分かるようにしてるんだし」

「あん? 俺に結べってか?」

 膨れっ面の沈黙が、行動を強いていた。

 まあ、いいが。

 エルの後ろに回って、布の髪留めを解いて、銀糸の髪留めを同じ位置に巻く。古い髪留めは、随分ボロボロになっていた。もしかして、夏の間中、ずっと変えてなかったのか?

「よくこんな小汚いの使い続けてたな」

「ああ! ダメ」

 呆れながらも道端に放り投げようとしたところ、その手をエルの手に掴まれた。

「ん?」

 無造作に投げ捨てようとしていた古い髪留めを大事そうに抱えたエル。

「もったいないじゃない」

「バッ!」

 バカか? と、最後まで言い切れなかった。あんまりな展開に噴出してしまって。

 なにに使うんだ? そんなの?

「これも、きっと記念になるよ」

 意固地になった顔のエルに興味本位で聞いてみた。

「なんの?」

 エルは答えなかった。

 ふぅ、と、軽く溜息をつく。


 そういえば……。

 結局、あの丘以降、きちんと話していなかったことだけど……。

「なあ」

「なに?」

 向けられた顔は、さっき見せた意地がひと刷け残っていたが、それが逆に無防備で……少しだけ、訊くことを戸惑ってしまう。

 だが、訊くのは今を逃せばまたしばらくは訪れないだろう。

 迷ったのは短い時間で、出した言葉はもっと短くなった。

「エルは、どこまで俺と来る気だ?」

 このまま済し崩し的に一緒にいるっていのも、別に構わないことは構わない。

 だが、主義信条は反している。

 目的地が違っている以上、いつかはぶつかるはずだ。


 …………。

 エルには、今、俺は必要だ。

 俺が見張ってないと、誰かに利用されるだけ利用されて殺される。

 この船とその連中を丸ごと譲れば……。俺だけが出て行けば、なんとかなるか? いや、どうかな。助けられた恩義があるとはいえ、エルのあまりに真っ直ぐ過ぎる部分に、反感は募ってゆくだろう。生きるために戦わなくちゃいけない場面なんて、いくらでもある。

 そして、それは俺も同じことだ。

 きっと、いつかエルが邪魔になってしまう。

 自分の中で、些細な変化があることは認める。

 だが、俺は俺であることを今更やめられない。エルは否定したことがあったが、既に、人を食らい尽くす鬼の形に魂はもう固まっている。

 ……今はまだ金も人も足りない、だからいい。まだ我慢出来る。

 だが、それらが集まったら、俺は――。


 きっと、エルの一番望まない道へと進む。

 その時に、改めて目の前に立ちはだかるなら、きっと、俺は躊躇わずにこの手で……。


「最後まで、だよ」

「……そうか」

 反論しなかったのは、エルがそれが不可能だと分かっている顔をしていたからだ。

 判断が鈍い。甘さがある。学習しない。……そう言い続けてきたけど、エルはエルなりに考えているのかもしれない。

 自分自身の行く先を自分で決められるなら、それなら、どんな結末に至る道をエルが選ぼうとも、俺が口出しする問題じゃなかった。

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