夜の終わりー3ー

 祭りでは、貯蓄していたオリーブオイルやワインが無料で振舞われ、大通りは道に大きくせり出すようにして屋台が立ち並んでいる。

 一度に飲みきれないような量を皮袋に入れてもらっている姿を良く目にしたが、オリーブオイルは、食料として以外にも肌や髪の手入れにも使う……らしい。

 ま、女でも、吟遊詩人でも、劇役者でもない俺には、食いもんを肌に塗る感覚なんて理解出来ないけどな。

 そういえば、エレオノーレはそういうの気にするんだろうか?

 改めて見れば、最初に会った頃と比べ、荒れていた髪は随分と艶やかになっているような気がした。

 まあ、今回は、金持ちのあのチビのお守りをする機会が多かったんだしな。一緒に湯浴みでもしたんだろ。

「貰ってくか?」

 備蓄小屋の前でオリーブオイルを配っている屋台を指差して訊ねてみるが、特にそうしたものに興味を惹かれていたわけでもなかったのか、不思議そうに返されてしまった。

「え?」

「だから、色々と使えるんだろ? オリーブオイルは。無料なんだし貰っとけ」

 エルの気にしなさ過ぎの様子に、気を回している自分が微妙に恥ずかしくなった俺は、エルの返事も待たずに、適当な皮袋を一枚貰って列に並んだ。

「うん……でも、アルってやっぱり王族なんだよね」

 エルが俺の真横で一緒に並びながら、わけの分からないことを言った。

「あん?」

「戦ってる時とか、泥とか返り血とか全然気にしないのに、こういう風に肌や髪の手入れも気を使うんだから」

 呆気に取られて一瞬言葉を忘れた。

「ほいよ、兄さん」

「お、おう」

 エルに何か言い返す前に、計量係のおっさん――多分、奴隷だな。奥で椅子に踏ん反り返って、身なりのいいのに挨拶してるのが主人だろう――に、促され、皮袋を渡す。

「んで、兵隊さんなのかい?」

「ああ、本隊はまだぐずぐずしてるが、戦勝報告に帰ってきたんだ。ほら、キルクスんとこの」

 適当に話を合わせてやると、ああ、と、頷いたおっさんは皮袋をオリーブオイルで満たして、俺につき返しながら付け加えた。

「新しい奴隷が入るのは助かるよ。なにせ、新人をとってこられなきゃ、いつまでもオレ達がこき使われちまう」

 そうか、と、軽く返して俺は屋台を後にした。

 エルは、かつての自分と同じ奴隷の世間話に、少し難しい顔をしていた。

 だから、エルの目の前にオリーブオイルの入った皮袋を突き出す。

「なに?」

「さっき言いそびれたが、俺のためではなく、お前が使うかと思って並んだんだ」

 エルの目が点になった。

「知っての通り、俺は肌の手入れだのなんだのを気にする性質じゃない。てか、今更気にしてどうする。傷跡だらけだぞ? 髪も伸ばす気は無い。だから、俺にはコレは必要ない」

 黙ったままでいられることに、言いようのない居心地の悪さを感じ、一方的に喋り続ける。

 エルは、更に二拍の間を空けてから――、篝火の明かりでもはっきりと分かるくらいに、顔を紅くした。

 自分で持て、と、皮袋を放れば、慌てて受け止めたエルは、手で持っているのも邪魔になると思ったのか、腰の剣の横に皮袋を掛けた。

 そういえば、結局今回は、エレオノーレに剣を振らせずに済んだな。次はそう行くだろうか? ……出来ればエルには、もう剣を振らせたくは無いんだけど、な。……いや、俺がそんなことを考えるのは矛盾しているか。


「まったく、お前は、変な女だ」

 エルが顔を上げるのを待ってから、俺はその鼻先目掛けて言った。

「酷い言い草だ」

 エルは、少し照れたような顔をしている。

「世間の常識に逆行ばかりしあがって」

 今の遣り取りと、それと、今回の戦争での振る舞いの両方を折りたたんで非難すると、一応、きちんと理解してくれたのか、エルは若干しょんぼりした顔で返事をしてきた。

「うん……。ごめんなさい。でも、見過ごせないんだ。私は――難儀だろう?」

「ああ、難儀だ。だから、多少は知識を身につけ、自重を覚えろ。困っている人間が善良だとは限らない」

「はは。叱られてしまったか。まあ、無理も無いんだけど。失敗して、怒られてばっかりだな、私は」

 苦笑いで、だけど、幾分すっきりした顔をしたエル。

「そういうお前こそ、非難してくると思ってたんだがな」

 うん? と、よく分かっていない風にエルは首を傾げてせみた。

 ……村を助けたから、それ以前の事は忘れたってのか、コイツ。

「先遣隊の大半を俺が見殺したことについて」

 訊いた後で、エルの表情の変化に気付き、慌てて付け加えた。

「……まだ整理し切れてない問題だったか?」

「ううん。……ああしないと、もっと犠牲が出てたんでしょ?」

 納得しているとは言い難い顔ではあったけど、らしくないほどの聞き分けの良さだ。

「誰の入れ知恵だ?」

 目を細めて問い質せば、どこか照れ臭そうというか恥ずかしそうに、エルは答えた。

「その……ドクシアディスさん達に、『アーベルを怨まないでくれ』って」

 フン、と鼻を鳴らす。なんだか少し腹立たしい。

「お前は、は素直に聞くんだな」

 皮肉をこめて言ってやると……。

「え?」

 良く分かっていない顔で、小首を傾げたエル。さらりと流れた金色の髪の尻尾を目で送ってから、ゆるゆると俺は首を横に振った。

「なんでもない」

 そう、なんでも。

 嫉妬なんて、俺らしくない。

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