Ras Algethiー3ー
相談がある、と言った割に、中々重い口を開こうとしないキルクス。
まあ、季節的にはまだ海は穏やかなはずなのに、主だった連中がここにいるんだから、言い難い話だとこっちも分かっているんだがな。
「都市の状況に関する報告、そして、エレオノーレ殿とイオ殿の受け入れに関する文章の締結も、もう終わっているんだが、どうしてもお前さんに聞いて欲しいとのことでな。悪いな、帰宅後に」
焦れてきた、というよりも、場を和ませたかったのか、唐突に王太子が、俺に向かって悪びれるふうも無く、そんなことを言った。
そうだったんですか? と、キルクスが表情で訊いてきたので、チラッと横目で王太子を見て皮肉をたっぷりと混ぜて返事をする。
「ここの大将は、遊び心のあるお方でね。お前らが来ると事前に聞いてはいなかったし、今日の予定は勉学と市場の巡察だけだった」
はっは、と、豪快に王太子が笑い、すぐさま表情ほどには笑っていない目で俺の顔を覗きこんできた。
「己としては、気を使ったつもりだったんだがな。当初の予定では、付け届けと挨拶だけとの話だったし。……不満か?」
軽く肩を竦めて見せる。
「まあ、お前さんは、不満ならぶった斬って逃げるだろうしな。そういうことらしい。アーベルは、ここでは上手くやっているぞ。仲間と楽しくな」
キルクスに向けて、少しだけ得意そうな顔をした王太子。
キルクス達は、どこか気まずそうと言うか、新天地で俺が上手くやっていることを祝福しきれないような、複雑な顔をしていた。
嫉妬のような感情なんだろうか? あの都市も、報告を見る限りでは上手くいっているようなので、そんな感情を向けられるいわれはないが。
そもそも、俺とは別の道を歩むことを決めたのは、コイツ等自身でもあるんだし――、……まさか、エレオノーレをここにおいておく間、戻って来て欲しいとかそういう話じゃないだろうな。
「はい。その、ありがとうございます」
「なんでお前が礼を言うんだよ。いつから俺の保護者になったんだ?」
返答に窮したのか、キルクスが王太子に礼を言った。が、それはそれで見当違いも甚だしくて、苦笑いと皮肉が漏れてしまった。
「それもそうですよね……」
鼻の頭を掻いたキルクス。
ひとつの話題が終わった後の、中途半端な沈黙が場に降りてきて――。
「アテーナイヱが負け始めたかね?」
雑談には飽きたのか、アンティゴノスが、鎌をかけた。……と言えるほどの内容でもないが、俺とプトレマイオスは逆の解釈を示して見せた。
王太子が言ったわけでないので、外れていてもそう問題にはならない。俺とプトレマイオスの見解の方が正しければ、俺達が割って入れば良いんだし、当たっていたらめっけものぐらいの切り出し方だ。
しかし……。
そうか。アテーナイヱに隙があることを示してくる、というのも、まあ、無くはないのか。あまり戦に関する勘は鋭くない連中なので、そうした期待はしていなかったから、思考から外していた。
「……はい」
キルクスは、他の連中と顔を見合わせてから頷いた。
少し意外な流れだな。
軍の派遣を唆す、って雰囲気でも無さそうだが。いや、まだ分からないか。もう少し流れを見極めないと。
ただ、正直、現在のマケドニコーバシオの水軍がでしゃばっても、損得が合わないように思う。島を奪っても、そこへの補給線をこの戦争の間ずっと防衛する必要があるし、統治には更に手間が掛かるだろう。こちらを下に見ている一般的なアテーナイヱ人を版図に組み入れるなら、キルクス達のように戦災難民にでもなってもらわなくては、素直にこちらの言うことを聞くとは思えないし。
しかも、
海戦でも陸戦でも、無傷の勝利は無い。しかし、海上輸送網の防衛で、補給の度に船に損害を出していたのでは国庫がその負担に根を上げるだろう。
……そういえば、ついさっき確認した書類によれば、アテーナイヱの麦角菌騒動に乗じて穀物の取り引きを上手く行い、売掛金の代わりとしてアテーナイヱから更に二隻の船を仕入れ、コイツ等の所有する船は合計五隻に増えているはずだ。
半端な成功で、半端に自信を付け、分を忘れて舞い上がってる、ってことなのかもな。
領地をかっぱらうにしても、今が最良の時期ではない。プトレマイオスとアイコンタクトして、方針に変更が無いのを確認する。
「とは言いましても、具体的に、アテーナイヱ艦隊に損害が出ていると言うわけではありません」
「ほう?」
キルクスは、王太子に向けていた視線を俺に移して続けた。
「ラケルデモン海軍が、戦闘を避けています」
「戦っていないのに、アテーナイヱが負けてるとは?」
キルクスの話のつじつまがあっていないことを指摘すれば、はい、と、軽く頷いて一度言葉を区切ってから答えてきた。
「具体的には、艦隊決戦のみを避けています。おそらく、指揮官が変わったんでしょうね。これまでの海戦におきまして、ラケルデモンは、コリンティアコス湾で敗北を重ねており、本拠地であるペロポネソス半島を出るには、陸路であるコリントス地峡を抜けるしか――すみません」
「謝るな、怒っていない」
ただ話を聞いていただけなんだが、キルクスに過剰に配慮され、頭まで下げられてしまったのが、かえって気まずい。苦笑いで、軽く肩を竦めてみせるが、プトレマイオスには冗談半分の態度がうけなかったのか、軽く肘で脇腹をつつかれてしまった。
王太子達の方を見るが、王太子が俺を真似たのか目尻を吊り上げて見せ、四十にもなって人をおちょくる癖の抜けないアンティゴノスに軽く投げキッスされてしまう。
やれやれ、と、首を横に振り、キルクスに続きを話せ、と、目配せする。
「はい。それで、その……現在のラケルデモン艦隊は、アテーナイヱが派遣する艦隊を偵察はしているようなのですが、挑発しても冷静に軍を退き、護衛の少ない輸送艦隊のみを狙うようになっております」
衝角をぶつけるには技術が必要だが、追いかけっこなら地形――潮流や風向き、浅瀬の位置――次第だが、単純な速さの競争になる、か。
おそらく、船そのものの作りに大きな違いが無い以上、速度にも大きな差は無い筈だ。片方が逃げれば、軍艦同士の戦いは起こり難いんだろう。
輸送艦と戦うのは、積み荷の荷重で速度が出ない相手とならラケルデモンの水軍の練度で倒せるってことなんだろう。
見栄えのする作戦ではない。だが、自軍の戦力を浪費せず、敵の戦争継続能力を奪うには良い作戦だ。問題は、その攻撃対象にこちらの船が入っているかだが……。
まあ、中立国だからと見逃してはくれないだろうな。商売とはいえ、敵側へと物資を売り込んでるんだし。
「商売がやり難くなったか?」
正直、面倒な陳情になったと感じた。
商船を任せているんだから、軍用と商用の船の比率を工夫するとか、自前で武装するとか、出来る対策をした上で上伸しすべきだろ。
折角鍛えた兵を、コイツ等に任せるなんて、ぞっとしない。
「それもありますが……その……」
キルクスは、王太子達、そして俺の横のプトレマイオスを見て、少し言い難そうにしていたが、ドクシアディスや他の幕僚に押されるような形で提案してきた。
「ここから先は、アーベル様のみとお話したいのですが」
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