Ras Algethiー2ー
王太子からの呼び出しがあったのは、日が暮れてからだった。
時間的に呼び出しはもう無いと思って、今さっき詰所から帰宅したんだが……。連絡が、丁度入れ違いになったのかもしれない。
家に呼びに来たのは、俺と一緒に呼ばれていると言うプトレマイオス本人だった。
なので――まあ、そもそもが帰ってすぐの時間で、くつろぐ前の段階だったので、そのまま家を飛び出した。
「伝令を使っても良かっただろうに」
確かに戦友ではあるが、ここでは俺の教師も勤めているプトレマイオスにそこまでされてしまうと、少し体面的に困る部分がある。それはもう、昼に俺が徒歩でいることに感じていたという居心地の悪さを、倍にしたぐらいで。
俺の表情から、昼の皮肉も込めていることに気づいたプトレマイオスは、若干不満そうにしながら、ぶっきらぼうに告げた。
「呼び出されているのは、将軍詰め所の方に、だ。私以外にも、何人かヘタイロイの者が呼ばれている」
円堂に付属している来賓館の方じゃないってこと、か。単純に、収穫期の付け届けを持ってきたとか、人質の供出といった話ではなさそうだ。
プトレマイオスとしては、会議室に着く前に俺との意思の統一をしておきたいんだろう。自分自身で呼びに来た本題はきっとそれだ。都市の使節として向こうが来ている以上、これは、久闊を叙すということではなく、政務として受け止めなくてはならないことだから。
しかし、俺にそれを認識させるためだけにこの男が来たんだと思うと、少しおかしかった。王太子から俺の指導を仰せつかっているからって、どれだけ過保護なんだよ。
しかし、あの連中と軍、か……。考えられる可能性は……。
「反乱の可能性は薄いな。無いとは言い切らないが、住民の諍いも予想していたよりも少ない数で推移していたんだろう?」
都市名を聞いてから、午後のうちに調べた記録を思い出し、俺は訊ねてみる。
プトレマイオスは頷き――。
「隣国のテレスアリアとの関係も良好。麦角菌騒動も、春の収穫で落ち着いてきているし、時期的には本当に理由が分からない」
「交易に関することじゃないか? アテーナイヱとの取り引きで不測の事態が生じたとか……」
うむ、と、低く唸ったプトレマイオスが、渋い顔で答えた。
「どちらかの陣営に商船を拿捕されたとなると面倒だな。海軍を出すのは、正直、今は得策とは思えない」
ああ、と、俺は頷く。
「下手にちょっかいをかけて、今回の戦争に巻き込まれれば、現在の戦争景気の恩恵から外れるかもしれないからな。となると、問題は身代金の金額次第、か」
場合によっては見殺しにする、という俺の考えに、プトレマイオスも異存は無さそうだった。と、言うよりも、既に同じ可能性と結論を出していて、俺との会話はあくまで確認作業だったんだろう。
軍の派遣要請があるなら、反対する。交渉なら、出せる金額の上限を折衝する。取り合えず、現状での俺達の意見はそう決まった。
意思の統一が終わったので、少しだけ足を速めて篝火に煌めくアゴラを抜け、将軍詰め所へと入り、普段は作戦会議室として使っている大部屋へと向かう。
衛兵は、俺達を見てすぐに扉を開いた。
サッと一瞥して部屋に居る人間を確認する。中央の議長席に座っているのは王太子で、最年長のヘタイロイでもある隻眼のアンティゴノスと、その次席とも目されている黒のクレイトス――肌が浅黒いので、同名で俺よりひとつ年上の白のクレイトスと区別するために黒の、と、呼称されている――の二人が左右に控えていた。
完全な武闘派の二人だ。どうも王太子としては、俺達とは真逆の結論に至っているようだ。困ったな、と、思わないわけではないが、むしろどうして王太子がそう判断しているのかに興味があった。俺とプトレマイオスが想像していたのと違う事態なのか、それとも、どこかに勝機を見出しているのか。
ちなみに、来客席に居るのはキルクスとドクシアディス……ああ、あのチビ――イオもいるようだが……。他には、かつて班長を任せていたのが二人と、……残りの二人はよく分からないが、服装から察するにあの町の要職の人間ではありそうだ。この場にいるのはそれで全てだ。が、それならそれで構わない、とも、思った。急な予定の変更で挨拶に来る人員が変わることもあるし、別にアイツに会いたいってわけでもないし、話すべきこともない。
うん。
善し悪しは別としても、――自問してみた結果は、その程度の認識だった。心の中心は、既に別の場所にある。
痛点、と、昼にプトレマイオスは表現したがそれは――正しい表現とも言えないかもしれない。
ここで共に学ぶ仲間が、かつてエレオノーレが居た心の場所に既に収まっていた。そしてそれは、お互いの欠けた場所に無理に押し込め合っていた、俺とエレオノーレ――ひいては、難民の連中――の関係性とは、比べるべきも無いほど強い絆だった。
今更、動揺することなんてない。
きっと、あの空の底が抜けたような土砂降りの日だけだったのだ。世界でふたりぼっちだったのは。
俺もアイツも、もうひとりじゃない。違う場所で、異なる仲間を得ている。
ただ、俺よりもプトレマイオスの方がどこか落ち着きが無くて、それが少しだけ可笑しかった。
「エレオノーレ殿は、今後お世話になるからということで、先生に挨拶している」
王太子が、俺を見て開口一番にそう告げたので、軽く眉が――いや、肩を竦めて答えた。
お世話になる、とは?
……イオではなく、エレオノーレを人質としてこの都市に置くのか?
「アイツには、高度な学問はまだ早い」
即答すると、王太子は軽く手を振り、分かってるとでも言いたげな苦笑いで応じたが――。
「挨拶だけだよ。ああ、それと、後で先生もこちらに来るそうだ。アーベル、哲学が苦手だからと逃げるなよ。お前は、生き方を少し蔑ろにし過ぎだ」
――最後に、本気の苦言をおまけされてしまった。
「どう生きるかで悩むのは、自分が生き方に悩めるだけの能力を有してからで良い。でないと、自分とはなにかを考えた時に、なにも無いという結論になりそうだ」
いや、エレオノーレがどこにいようと、もう俺には関係ない、な。
思っていたのと違う現状に少し混乱したが、真面目な話をされた瞬間に頭も冷えた。
「それも正しい。だが、まあ、お前さんは、どうにも剣を握ると刹那的になる傾向がある。訓練でもな。心を鍛える訓練だと考えて、少しは話に混ざるようにしろ」
反論が無いわけでもなかったが、事実としてこれまでそうした議論には一度も加わっていなかったので、素直に王太子に返事をすることにした。
「はい」
よし、と、王太子が頷いたのを見て、視線を横に移す。
「お久しぶりです。アーベル様」
と、最初に……特になんの気構えも無く――とはいえ、コイツの性格上、演技しているだけかもしれないが――、キルクスが頭を下げて挨拶をしてきた。昔と同じ……ように?
いや、キルクスは、ひょろっとしてはいるが、背は低くないと思ったんだが……。
癖毛のつむじが思ったよりも低い位置にあって、顔を合わせようとすると、少しの違和感を感じてしまう。
「ああ、久しぶりだな」
挨拶を返すと、やはり、顔を上げたキルクスの視線が少し低くて、若干見下ろすような形になってしまった。
「背が伸びましたね」
まあ、そういうことだろう。とは思うが、どうにも変な感じだった。少し前のドクシアディスは、俺よりも背だけは高かったと思ったんだが、今は目線の位置が同じになっている。
ここに来てから、そこまで変化したって実感は無かったんだがな。ああ、でも――。
「いや、イオには負ける。前はこのぐらいだったろ?」
チビ、と、昔の癖で呼んでしまいそうになったが、すんでのところで名前を口に出来た。本題に入る前の挨拶ではあるが、いや、だからこそ安易に隙は見せられない。
不意に呼ばれ慣れていない――少なくとも、俺からは――名前で呼ばれたからか、イオは身震いしてキルクスの服の裾を掴んで隠れてしまった。背が、キルクスの胸に届きそうなぐらいに伸びている。
ふふん、と、嫌われたことを鼻で笑い飛ばし、腰の辺りを手で示そうと思ったが、ふと、今の俺の腰の位置は、背が伸びる前の俺の腰の位置よりも高いんだと思い直し、もう若干手の位置を下げてみる。
ううむ。中々しっくりこないものだな。
適当に手の位置を調整していると、キルクスがちょっと不思議そうに糸みたいな目をより細めて訊ねてきた。
「少し雰囲気が変わりましたか?」
「別に。いつも通りだと思うが?」
横のプトレマイオスに、なあ、と、確認する意味で顔を向けるが、弟子を微笑ましく見守る教師としての顔を向けられてしまった。
……どうなんだろうな? 俺はあまり自覚は無いんだが。
確かに、昔みたいに誰彼構わず怒鳴らなくはなったが、それは、そうする必要がなくなったからであって、俺が変わったと言うよりは、環境の変化だと思うが。
「あ、う、その、大将」
キルクスの右からドクシアディスが前に出てきたが、呼び方が昔のままだったので少し笑ってしまった。
「今の俺はお前達の大将ではない。と、いうか、商業都市シヴィアズィピポリィの正式な代表は誰なんだ?」
内陸部にある町で、他国への直通の街道も航路も持っていない――港はテッサロニケーを使っているはずだから――が、おそらくは
「えと、その」
良いにくそうにしたドクシアディスの顔から、ドクシアディスでもキルクスでもなく、あくまで名目上ではあるんだろうが、アイツが就任していると悟り、俺はふふん、と、少しだけ鼻で笑ってからゆっくりと首を横に振った。
「エレオノーレ、か。いい、気を使うな。そんなに言い難そうにしなくて構わない」
「おう! あ、いや、はい……はい?」
はい、という返事もどこかしっくり来ないのか、ドクシアディスはちょっと戸惑いながら一歩下がった。
「それで――」
一度言葉を区切り、表情を変えずに俺は都市からの使節団に視線を巡らせ――。
「儲かっているのか?」
――恫喝にならないように注意しながらも、少しだけ踏み込んでみた。
キルクスが一瞬言葉を詰まらせ、すぐさま表情を取り繕って「そのことでご相談がありまして」と、切り出してきた。
王太子とその横に控える二人、そしてプトレマイオスの視線に、ギラギラした色が混ざるのを感じた。
斬り合う場所だけが戦場じゃない。そこに至る遥か前から戦争は始まっている。陳情の処理も――しかも、相手が戦災難民を集めた、新造都市なので余計に――、民との戦いの一種だ。
内政で拗れれば、内乱や他国からの侵攻の芽になってしまう。
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