Ras Algethiー1ー
ミエザの学園で迎える初めての秋が来た。
常備軍の兵士や、貴族や将軍の子弟が通うミエザの学園では、特に大きなことはないんだが、奴隷や無産階級の労働者が葡萄園への大移動を行っていたり、他にもハーブや木の実の収穫に山に入ろうとする人の流れなんかがあったりもして、城壁の外にもかなりの広さの市……というか村が出来ていた。
一応、その門外広場の警備統制のため、ミエザの学園の生徒が巡回をしているが、増えた仕事はその程度だ。普段から、都市内部の見回りも行っているので、特別難しい仕事というわけでもない。んだが……。
「どうも、居心地が悪いな」
俺の横で、兵装を整えて騎乗しているプトレマイオスが、周囲の人混みを見ながら呟くように言った。
視線の先を追ってみる。
アゴラに普段たつ市と違い、地べたに直に売り物の野菜を並べる店があり、ボロのウール布をまとった奴隷が値段の交渉をしている。ちなみに、店主の方も毛皮を雑に加工した服を着ているので、無産階級か地方の村の次男坊あたりの出稼ぎなのかもしれないが。
もう少し高価な果物は――とはいえ、果樹園ではなく、野山から摘んだのがはっきりと分かる小振りで虫か鳥に食われた後のあるものだが、土器の器や蔓で編んだ籠に収まって売られている。
古そうな瓶の液体を量り売りする店、絞めたばかりなのか、鳥や兎を吊るす店、乾物の店、都市では売れないやや質の劣る羊毛を売る店……。そして、大勢の客。
奴隷と無産階級の連中の体臭は確かにきついが、それを言い出したら、訓練中の革鎧の匂いだって変わらない。
「ここは、毎年こんなものじゃないのか?」
確かに人の多さに辟易させられるところはあるが、兵士であるこちらの通行を邪魔するようなのは居なかった。それに、屋台の近くを通る時には、売りモノを渡される場合も多く、後ろに連れている一般の兵士にとっては役得でもある。
「いや、町の様子に関してでは無くてな……」
うん? と、歯切れの悪いプトレマイオスを見上げれば、二重瞼の大きな目で見詰め返された後、軽く溜息を疲れてしまった。
「確かに、お前に馬は合わないのかもしれないが……。仮にも将軍候補が、徒歩で、しかも、私の横に居たとあっては、外聞というものがだな」
言いたいことは分かったが、どうもプトレマイオスは気にし過ぎる所があると思った。
まあ、確かに、今、巡回警備している地区は、この都市の住民以外の連中がいる門外広場なので、俺がプトレマイオスの配下兵のように見えるかもしれない。だが、都市の内部では長剣が目立つこともあって、そんな風に見られることはもう無い。
「荷馬車を出すわけにもいかないだろ。歩くのも鍛錬だ。指揮官だからと兵と距離を作るものではない」
肩越しに、俺とプトレマイオスの背後、二列になってきちんと行儀よくついてきている重装歩兵を確認し、再び視線を前に向ける。
「親しまれるのと、舐められるのは別だぞ」
「今更、俺を舐めるヤツがいるかね」
いるなら、むしろ積極的に手合わせ願いたいところだが……。
プトレマイオスと目が合う。
そのまま、二呼吸の間が開き――。
「打ち合いの訓練で、百人から連続で掛からせて、一撃も許さずに全員いなすとか、ラケルデモン人はどうなってるんだ?」
「得物のせいもある。この国の長槍は、ファランクスでは有利だが、少数の敵と当たる際には、重量と長さが邪魔して細かく連続で突くことは出来ないからな」
背後を振り返り、戦闘訓練の時の顔で俺は続けた。
「次の稽古で俺を倒したければ、無手で体当たりして取り付き、動きを制限させろ。速さが鍵だ。武器や鎧に頼り過ぎるな。装備品の長所と短所を身体で覚えろ」
プトレマイオスが馬の足を止めたので、完全に身体ごと兵士の方へと向き直り、もう少しだけ補足する。俺との戦闘訓練は確かに通常ではないんだが、極限状態では異常なんて日常だ。なんにでも対処できる兵士に育て上げる義務があるからだ。
「ひとりと戦う際にも、大勢だから有利と過信するな。怪我をしたら損だ、なんて打算も考えるな。時には戦場でも、得物を捨て、前に出て敵に掴み掛かることが有効な時もある。それを行える一人がいるのといないのとでは、大きな違いだ」
六人の視線が俺に集まり、言い終えると同時に踵を打ち鳴らす音が響く。
「はい!」
うむ、と、頷いてプトレマイオスの方へと向き直れば――。
「慣れたな」
「いや、どちらかといえば、兵の質によるところが大きい。兵士の指導は、古巣でも行っていたが基礎さえ覚束無い連中ばっかりだった」
プトレマイオスは少し笑い「まだ自覚や実感は無いか」と、言った後、ふと思い出したように付け加えてきた。
「そういえば、今日だぞ」
「なにが?」
思い当たることが無かったので、訊き返したんだが、呆れたような視線を返されてしまった。
午前の訓練は終わっているし、巡察は今行っている。勉強は今日は訓練の日なので休みで、夜は特に予定も無かったはずだが……。
「……商業都市シヴィアズィピポリィから、エレオノーレ殿とイオ殿がこちらに来るだろう」
どこか溜息混じりに告げられたが……。
「なに? って、待て、なんだその都市名は。それも聞いたのは今だぞ」
え? と、どこか慌てたような顔をしたプトレマイオスが――。
「都市名は、まだ正式ではないが、複数民族の共栄都市という意味で混和を元につけられたらしいが……。変だな。王太子とアンティゴノスが使者の応対をして、お前にも伝えておくと」
「あの二人がか?」
王太子もそうだが、アンティゴノスも年甲斐も無く茶目っ気があるというか、こういう、わざと知らせずに驚かせようとするような、そんな遊び心があり過ぎるところがある。
プトレマイオスも、目を細めて天を仰いだのを確認し、俺は改めて訊いてみた。
「いつ来るんだ?」
「予定では、朝市が終わり、夕の宴の混雑を避けた、日暮れ前になっていたと思うが……」
やれやれ、だ。
前髪を掻き揚げると、どこか心配そうな声が降ってきた。
「どうする?」
「別に、どうも。必要があれば呼ばれるだろうし、まあ、そのぐらいだ。向こうも、もう正式な都市なんだから、収穫期に代表が王太子に挨拶に来るのもまあ普通の事だろ」
プトレマイオスは、しばらく歯にモノが詰まったような顔をしていたが「王太子の目的は二つだろうな。都市としての体裁が整った以上、裏切られないために人質を提出させることと、お前の痛点であるエレオノーレ殿を押さえておくこと」と、政治屋の顔になって、冷静に分析した。
マケドニコーバシオ人以外の民族で構成された都市なんだから、人質を取っておくぐらいの事は必要だろうし、イオの出自に関しても俺はきちんと報告している。
エレオノーレに対しては……。んん。なんというか、今更関わりたくないってのが本音なんだけどな。どうでもいいとまでは言わないが、正直、まだ距離を取りたいっていうか……。そこまで意識する必要性を感じないというか……。
「別に普通の話だろ。避難民の都市なんだ、その程度の事は必要だ」
「まあ、そうだが……。お前が良いなら、私としても構わないが……」
「搦め手は嫌いか?」
「仲間に対しては、な」
こん、と、籠手同士をぶつける。
「ともかくも、お勤めはしっかりと果たそう。一応、あんな連中でも正式な使節だ。賊の侵入なんかの問題が起こったら笑うに笑えない」
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