Ras Algethiー4ー
「別に己は構わんぞ。聞いてどうするかの判断も、お前さんに任す。既にそれだけの能力があるからな」
たかが地方都市の使節でありながら過分な要求をしてきたキルクスに、鷹揚な態度で王太子は許可を出した。むしろ、そこまであっさりと了承されると思っていなかったのか、キルクス達の方が動揺している。
アンティゴノスと、黒のクレイトスは……どちらかと言えば、アンティゴノスの方が露骨に不満そうな顔をしているが、王太子の指示には従うつもりらしい。王太子が言い終えると同時に腰を上げていた。
かつての子飼いの連中との密談なんて、謀反の相談にしか見えないだろうに。
信用されている、ということなのかもしれないが……。
「今のお前等のリーダーは俺じゃないだろ。つか、俺だけに相談しても構わんが、その内容は俺だけに留まらんぞ? 簡単な商売の相談なら内々でもいいが、兵の派遣や都市の拡張なんかは、会議の議題にあげる以上の約束は出来ない」
コイツ等がどんな感覚で俺に助力を求めているのかは知らないが、ここでの俺はあくまで学園の生徒であり、部隊を指揮していない以上、立ち位置的に微妙なところはあるが見習いに毛が生えたような階級にいる。
個人的に相談……いや、要請を受けるのなら、けじめの意味でもここから去らねばならない。だが、コイツ等のためにそこまでの事を行う理由が無い。
そもそも、今、キルクス達と行動を共にする必要があったとしても、以前と同じ結末にしかならなという確信がある。
俺は、まだ、途上にある。
この場所でそれを知った。
そして多分、王太子は、俺がどの程度自分自身を知ったのかを量るためにこの予定外の事態を利用している。
「私は、戦友だが教官でもある。同席させてもらいたいが」
ポン、と、俺の肩に手を乗せたプトレマイオスが、神妙な顔つきでキルクス達を見る、というか、やや睨むような視線をキルクス達に向けた。
しかし、その直後、アンティゴノスに「男の嫉妬はみっともないぞ」と、からかわれ、逆に不審がられるほどにうろたえていた。
「ば、違う!」
ははは、と、俺達は笑ったが、キルクス達はそんな余裕は無さそうだった。表情が硬い。
ん――、と、少し唸ってから俺は訊いてみた。
「どうする? もう一度、お前等だけで相談するか?」
しかし、キルクス達の動きは鈍かった。……いや、そうか。コイツ等は名目上の代表はエレオノーレだが、アイツに組織を導く能力は無い。都市の運営も、世情の流れに任せるような形となり、主導的なヤツがいないのか。
キルクスが頭ひとつ分前に出ているようには見えるが、多数派のアヱギーナ人には好かれていないんだし、全権を得ているとは言えないようだしな。
軽く王太子の方を見て、一度退席してみようか、と、提案しようとした時、キルクスが少し強い声で訊いてきた。
「アーベル様は、以前に計画されていた北東エーゲ諸島の都市奪取の計画を覚えておりますか?」
「ああ」
キルクスの後ろの連中は、最初こそ驚いた顔をしたものの、他に手段が無いとは感じているのか、表立ってキルクスを止めるヤツはいなかった。
しかし、テッサロニケーへと戻る途中で、様々な問題が発覚したのでうやむやになった話だ。既に頓挫した計画だと判断していたので、ここに来てからそれを誰にも話していなかった。
さわりの部分だけでも皆に伝えようとしたところ、キルクスが俺の反応を見ながらも喋り続けた――まあ、あの当時、俺が考えていたことを全部を話してたわけじゃないので、確認したいんだろう――ので、説明もキルクスに任せることにした。
「……おそらく、アーベル様は都市の不満をあぶりだして、反乱に加担と言う形で中枢に紛れ込み、暗殺と懐柔で都市を掌握するつもりだったと思うのですが」
「うむ」
間違いが無いので頷く。
最初の寄港地で、キルクスに少数の奴隷を買えと命じたのはそうした情報収集のためだ。
当時の俺らしいといえば俺らしい作戦だが、保険や退路を考えていない、運任せの一発勝負に、プトレマイオスが呆れた顔になった。
……あの頃は、焦っていたし、地歩を固めると言う考えが無かった。隙を見て攻め、やばそうなら引くと言う獣みたいな思考回路だった。
しかし、今は違う、と、プトレマイオスに反論しようと――したが、キルクスが喋り続けていたので、そこまでの猶予は無かった。
まあ、いいか。
今の俺が、過去の俺を思い出して恥ずかしく感じるのと同じように、未来の俺にとっては、この時点の俺の思考もまだ幼いと思ってしまうんだろうし、今の時点で少しばかり反論したところで意味は無い。
「解放した奴隷から、二つの情報を入手しました。ひとつは、レスボス島の主要都市ミュテレアの上層部が、戦費の横領を行っていること。そしてもうひとつが――」
即座に作戦会議室のテーブルの上の地図で位置を確認する。
かなりアカイネメシス寄りの位置にある島だな。しかも、規模が大き過ぎる。主要都市は……ああ、前に立ち寄った港町だな。しかし、他に、やや規模が劣る第二の都市があり、幾つかの小規模な都市は山によって守られている、か。
農業に漁業、畜産、それに冶金術……産業のバランスも良く、糧秣の現地調達は可能なので、兵站の海上輸送の負担は減らせるかもしれないが、その分、ちょっと行って攻め落として来れるって規模でもないな。
俺達が位置と都市の規模を確認し、顔を上げたところで、キルクスが溜めていた残りの言葉を吐き出した。
「アテーナイヱ離脱と、ラケルデモンへの同盟を民会で可決したとのことです」
「ラケルデモンはそのことを」
「いえ、つい先だっての交易で得た最新情報ですので、おそらくは、まだ……」
アンティゴノスと黒のクレイトスはニヤニヤ笑いで、俺とプトレマイオスはやや渋面、王太子はあくまでも普通の顔でキルクスの話を聞き終え――。
「かなり大きな島だが、ラケルデモンからは距離があるな」
プトレマイオスが、最初に口を開いた。
「聞く限り、現行の艦隊の指揮官の性格から言って、冒険するようには思えないが……。アテーナイヱ艦隊への反攻の機会を狙っていたとしても、連携が取り難過ぎる位置だしな」
プトレマイオスを補足するように俺も答えるが、黒のクレイトスは「逆に、アテーナイヱの戦力を二分出来る機会と考えてンじゃネーのかね?」と、どこかこちらが困るのを楽しむような態度で言ってきた。
まあ、それも正しいんだが……。
「いや、単に戦力を分散させたいなら、ラケルデモンは援軍を送らないだろう。しかし、その場合は、本当に離脱するかは未知数だがな」
そう言ったのはプトレマイオスで、俺もそこは同意見だった。
離脱をちらつかせて、アクロポリスからなにか有利な条件――戦費の減免等――を引き出す瀬戸際外交の可能性もある。
「アテーナイヱにとっては、東端の辺境とも言える位置にあるからな。暫くは様子見で、実際に軍が動き、戦闘がおこって……都市が疲弊したところでの威力調停が、最小限の労力で最大の成果が得られると思う」
こちらへ要請が来るとは思えないが、ラケルデモンが進駐して都市部でやんちゃするとか、アテーナイヱの懲罰軍との戦闘で少なくない損害を受けるとか、そうした場合に武力をちらつかせて影響力を強めるのが得策だろう。
現状、様子見で話がまとまりつつあり、それだけか? と、キルクスに改めて視線を送る俺。
キルクスは、さっきよりも難しい顔をしていたが、意を決したように細い目を開いて言ってきた。
「現国王が北方のトラキア人征伐を検討しておるのは?」
俺は知らなかったので、王太子の方を見るが、あっさりと頷かれた。
「先日の話だ。詳細を詰めるために、王都ペラにクレイトスと出向くことになっている」
ああ、だから今回はヘタイロイの
トラキア人は、マケドニコーバシオの北方に居住する蛮族だ。国家は未成立で、小規模な村に別れて暮らしている。友好的な部族ではなく、食料が少なくなる冬に、度々、商隊が襲われたり、村が襲撃され家畜と農作物を奪われたりしていて、小規模な衝突はよくある。
だから、まあ、基本的にはよくある蛮族討伐の遠征なんだし、具体的な派兵の規模が決まるまでは、話に上げるほどでもないってことだったんだろう。プトレマイオスの雰囲気からも、俺が除け者にされたと言うよりは、まだ内々の情報だったようだ。
ただ、キルクスの口からそれが出たと言うことは……。
「外港都市ダトゥも、その遠征での攻略目標に入っております」
まあ、そうなるだろうな。
商人を前に、戦争の隠し立ては出来ない。兵の動員に、糧秣の取り引き。人と物が大量に動けば、市場価格にも影響が出る。
あくまで学園であるここよりも、情報は早い。そうしなければ儲からないからだ、儲からないからだ。
「つまり、上手くいけばアテーナイヱは大陸北端の拠点を失い、北東の島嶼部の動揺は更に広がる、ということか?」
「……はい」
難しい場面だな、と、思う。確かに、外港都市ダトゥとは小競り合いが多いようだし、攻め落とすには良い時期といえばそうだ。
キルクス達は知っているかいないかは分からないが、こちらの内偵から、トラキア人とマケドニコーバシオとの小競り合いで兵の損耗も多く、維持の難しさの割に交易拠点として役立ってもいないので、アテーナイヱがあの殖民都市を最近は持て余し気味との情報もある。
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