Kornephorosー13ー
今回の北伐における占領地の拡大に伴って設置された、臨時の関所で指輪を渡し、その紋章を確認させる。
指輪は、単なる装飾品というだけでなく、その紋章から身分を証明するという実用性も持っている。もっとも、無産階級や資産規模の小さな自由市民が身に着けている安物は大体が飾りだし、商人連中は金で関所を通るのが基本なので、貴族階級以外では、やはり単なる飾り物でもあるが。
「用向きは?」
役人は、俺が渡した指輪に墨をつけ、紙にひと転がししながら――そう、紋様の確認はこうして写してから記録と照合するので、指輪と言いつつも身分証として使用する物は指にはめていないことが多い――どこか暢気に話を振ってきた。戦時中で、しかも前線からそう遠いとはいえない場所なのに。
完全に気が抜けているな。
これなら、突っ込んだ話はするまでも無い、か。
「仔細は話せないが、戦況に関する報告さ」
これも、別に珍しい理由じゃない。
確かに現国王は出陣しているが、全ての戦場を指揮しているわけではない。王太子が率いている別動隊が大規模なものではあるが、現国王の本陣もあちこちに部隊を派遣して分散している。大まかな戦略と、経路と日程は指示されているが、其々の軍を率いる将軍が割りと好き勝手に戦っているのが実情だ。
まあ、相手がしっかりした組織で無い以上、ちょっと過激な遠足ってのが兵士の本音だろう。
ちなみに、俺が今回王太子から譲り受けた指輪は、マケドニコーバシオ中部の日和見の貴族の紋章だ。政争に加わらず、王権を奪った人間に媚を売る程度の中流貴族。浮きも沈みもせず、ただダラダラと続いているだけの家柄だ。
ふん、と、癖で鼻を鳴らしそうになったが、なんとか飲み込んだ。
死なないだけの人生なんて、なんの意味があるってんだか。子孫に期待? 生まれた子供も子孫に期待して、それがずっと無意味に続いていく。
ぞっとしない話だ。
俺も王家の血筋だが、それだけを頼っているわけじゃない。権力は、強い人間が握るべきだ。精神も、肉体も。
淀むなら、いっそ死ねばいいのに……。
「ちょっと待っててくれ」
俺以外にも、何人かの兵士や……多分、観戦に来ていた貴族の紋章を写した紙を手に、役人は後ろの小屋へと向かおうとしていた。
隣に別の役人もいるので、片方が裏に下がっても業務に支障はないんだろうが、受付と実務者が別にいないということは、役人の数が足りていないことの証左でもある。
「何日も足止め、なんてのは勘弁してくれよ」
隠す必要も感じなかったので、露骨に眉をひそめて俺はその背中に向かって短く叫んだ。
「今日中には終わるさ」
まったく……。戦時中だってのに、後方の連中は暢気なものだな。
人と物の流れを制御するという関所の役割を考えれば、手抜きの無い規範通りの作業に安心できるが、現状、日程的には余裕がある状況ではないので、焦る気持ちも少なからずある。
しかし、身分証にある日和見貴族としての振る舞いを考えた場合、無理に押し通るわけにもいかず、俺は肩を竦め……関所、の周囲へと足を伸ばした。
この関もそうだが、進軍経路に補給物資の集積所を設ける必要から、戦争に前後して新たな村や流通拠点が自然と出来ることは、よくあることだ。もっとも、戦争後に廃れるか、村になり、町になり、やがては城壁を備える都市にまでになるかは、時と場合によりけりだが。
ここも、既に関所というより、商業拠点になりつつあるようだった。
兵站を維持するための、穀類やワインなんかの詰まった瓶や、医薬品、武器防具類の木箱なんかが所狭しと積み上げられている。
それだけではなく、周辺の低木を適当に継ぎ合わせて骨組みとし、布で幕を張ったテントの仮宿や、馬車をそのまま利用した屋台なんかも出来つつあった。
駐留している兵士は、ざっと見た限り二十前後で錬度もあまり高くは無さそうだが、療養中の負傷兵や輸送隊の護衛も留まっているし、即応戦力としては百名程度が駐留しているんだろうな。
半日も走れば最前線なんだが、ピリピリした空気はあまり感じられない。
やはり、トラキア人は南へと逃れようとはしていないんだな。予定通り北へ向かったか、アカイネメシスを頼って西へと落ち延びたか……。ああ、後は、素直に屈服したか、か。
まあ、屈服したところで、今回は領土へ侵入し略奪を行った報復の出陣なので、好き勝手に村を蹂躙されるだろうけど。
いつ終わるか分からない身分照会なんだし、食えるときには食っておくか、と、屋台を覗いてみる。ほとんどが、その辺の獣を狩って作ったスブラキ――塩とハーブで味付けした串焼き――の屋台だ。
露営地って事を考えれば妥当と言えば妥当だし、嫌ってわけじゃないが、単調なので飽きやすい食事なんだよな。
いや、まあ、食うけどさ。
戦利品で、かつ、今回の路銀としていくらかをくすねてきたアテーナイヱ銀貨一枚を渡し、兎の肉のスブラキ四本と林檎の果汁をコップ一杯受け取り、釣りに怪鳥が模られた小指の爪ほどの小さく薄い銀貨と、どこにでもある単純な模様の鉄貨を少々取った。
「暴利過ぎじゃないのか?」
近くの店はどこも同じような値段なので値切る余地は少ないが、それにしたってミエザの学園の三倍の値段だ。アテーナイヱ銀貨が切り下がった可能性も考え、そう言い返してみるが――。
「戦争中なんだし、そんなものさ」
と、言い返されただけだった。
アテーナイヱ銀貨の質の低下は、まだ広まってはいないのかもしれない。
ただ、まあ、アテーナイヱ銀貨一枚は、無産階級の市民が二日間公共労働をして得られる賃金と同じなので、ここみたいに一食でその四分の一の価値を使っていては、普段ならとてもやっていけないだろうが。
勝ち戦に乗っかってるのは商人も同じか。
適当にその辺の資材に腰掛け、ひと串をひと口で頬張る。食えんことはないが、ミエザの学園の店と比べると、やはり味の深みが感じられない。
溜息を軽く鼻から逃がし、周囲の喧騒に耳を傾けると――。
「今回の北伐で得た奴隷は、既に五百を超えるって話じゃないか」
景気良さそうな声が、すぐ近くから飛び込んできた。
「女子供の価値のあるのがどの程度いるか、だな。北部の蛮族なんだ、大人の男は馬鹿だし、女も火事や農作業でくたびれた中年の醜女なんて値段がつかないからな」
応える声は、やや慎重そうだ。
街道を行き来するのは、戦場から逃げる難民だけではないし、輸送部隊の兵士だけということでもない。
戦争奴隷の買い付けを行う商人に、略奪品を運ぶ馬車に御者。力仕事が多いため必然的に男手が多くなるが、だからこそそれを当てにした娼婦や、娼婦にくっ付いてきて新しい女の奴隷を探す女衒の連中も入り混じり、良い具合に混沌とした空気が漂っている。
戦時中だからこその人の行き来は多い。今回のような勝ち戦なら、尚更。
俺のように、よく見れば顔立ちがマケドニコーバシオ人らしくなくても、許可を得た公共市場都市――対外貿易のための町で、都市国家の主権が一部制限され、他国の人間の権益も充分に保たれる都市――の商人と混じれば、それほど違和感も出ない。
ダトゥを離れる際に、特徴的な長剣も軍団兵に預けてきたしな。
適当に――おそらく、奴隷商人の会話を盗み聞きし続ける。秘密の話なら、大声で人のいる場所でしなければ良いだけなんだし、咎められる理由は無い。それに、喧嘩を売られても買うだけだしな。
しばらく奴隷の質に関してあーだこーだと言い争っていた二人だったが、ふと陽気な方の男が声色を変えて「いやいや、王太子の保護領の新興の都市では、奴隷だったらなんでも高く買い取る町もあるらしいぞ。まとめてそいつらに卸せば良い」と、得意そうに言った。
「あれは、南部の先進諸国の奴隷しか買わないって話だぞ?」
これは、多分、あれだよな。
見覚えがあるっつーか、聞き覚えっつーか。心当たりは、アイツ等しかいない。
ただ、まあ、船の時のようにエレオノーレのいうことをそのままってわけではなくなったんだろうな。キルクス辺りが上手くエレオノーレの発言を曲解して、ドクシアディス辺りが渋い顔で、でも上手く反論出来ずに流され、解放奴隷の人口比が傾いた。そんな所か、エレオノーレがミエザの学園に離された切っ掛けは。
……ま、今更背景に気付いたって意味は無いけどな。
レスボス島攻略作戦にアイツ等を利用するのは、既に決定事項なんだし。その際に、多少間引きするのも、俺の裁量だ。
「そうかぁ? まあ、適当に言いくるめればなんとかなるさ。ダメで元々、売れればぼろ儲け、ってね」
しかし、なんだかんだで、アイツらも有名になったもんだな。
どこか感慨深く、けれど、若干の疎ましさも感じて手早く食事を済ませた。
関所の通行許可は、まだ出ていないようだった。
関の前には、通行を待つ人がぽつぽつと訪れてはいるようだったが、柵が開けられる気配は無い。
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