Kornephorosー12ー

 夜が更けてから、ミエザの学園へと持ち帰る報告書の整理……と銘打って、王太子との打ち合わせを始めた。

 会合場所は、あくまで一時占領中の劇場の一室――おそらくは役者が使っていた部屋だろう――ではあるが……。

「良い部屋だな」

 劇場に隣り合う柱廊――二列の柱の列で、屋根があるので、普段は演劇に合わせた出店などが並ぶ。片方はそのまま広場に面しているが、もう片面は倉庫として使われていたらしい、十人程度で打ち合わせするに丁度良い広さの部屋が二十並び、壁を作っている――は、表面をモルタルで丁寧に整えられ、むら無く彩色されている。

 また、この小部屋にしても、ミエザの学園のように石を積み、とりあえず表面を削って整えたという間に合わせの部屋ではなく、石を切り出す時点で綿密に計算され、仕上がりの美しさを意識されている。

 壁に掲げたオイルランプも、予言の巫女の姿が細工されていて、良く言えば華美、悪く言えば成金趣味を体現していた。

「ラケルデモンは質実剛健だろ」

 と、呆れたような顔をした王太子ではあったが、午後に戦利品を検めていたので、やはり羨む気持ちもあるのかもしれない。声が、若干いつもの調子と違う。


 ふふん、と笑って俺は言い返した。

「今だけさ。欲望のひとつも肯定出来ない生き方なんて、俺は御免だね」

 言いながら、今回の戦利品の目玉の一つであるアテーナイヱ銀貨を取り出す。

 片面に女神、もう片面にオリーブの葉と梟が描かれた銀貨だ。しかし――。

「……悪銭だな」

 目を細めて王太子が言った。

「ああ」

 アテーナイヱは商業国だ。そのため、アテーナイヱ銀貨は他国でも広く流通している。独自の貨幣を持たない都市国家ポリスでは、国家予算の決済に関してアテーナイヱ銀貨が用いられているところもあるほどに。

 しかし、今回戦利品として押収した銀貨の約一割は、銅が混ぜ込まれている粗悪品だった。

 いや、鋳造の際じゃない。精錬段階から銅が混ざっていれば、まだらな銀貨が出来てしまう。中心部に銅、周囲を銀で覆い、継ぎ目を溶接した銀貨だ。

「戦費に困ってるんだろうが……ん、む。厄介だな」

 うん? と、少し不思議そうな顔をした王太子。

 ああ、まあ、王族なんだし、そこまで金に詳しくはない、か? いや、貨幣政策は重要なんだし、それでは困るが。

「広い範囲で流通しているからな。商業価値が下がった銀貨が出回れば、一気に物価がおかしくなる」

 ああ、と、王太子は納得はしたようだったが、そこまで深刻に受け止めてはいないのか「しかし、マケドニコーバシオ金貨も流通に乗り始めているし、戦時中はそこまでの影響は出まい」と、軽く返してきた。

 確かに、マケドニコーバシオも最近、急速に発展し始めている。それは、分かるし事実だ。しかし、物は作るだけではダメで、流通を考える必要もある。過剰在庫は場所をとる上、保管中の劣化で価値も下がる。価値が変わらないのは、金だけだ。必要とされる地域に、必要とされる品を運ぶ。その点においては、まだまだアテーナイヱの方が力量が上だ。

 だから、流通量が増え始めているとはいえ、新しい貨幣は、価値が安定しないかもしれないとも思う。

 いや、まあ、確かにマケドニコーバシオを追放される今は、急ぎで対策を練る話でもないかもしれないが。


 ピン、と、指で銀貨を弾き上げ、中空で掴む。

 そして、そのまま腰に下げた皮袋に仕舞う。ひと目で俺だと分かってしまう、いつもの長剣は背負っていない。軍団兵に預け、先に船で運ばせているから。今は、皮袋よりもやや尻に近い位置に、ありきたりなコピスを一本ぶら下げただけだ。


「結果論だが、全て上手くいった」

 王太子が、はっきりと断言した。

王の友ヘタイロイの仲間も、この偽装には気付いていない。現国王派への駆け引き、そして、レスボス島攻略作戦の準備のためにお前が抜けると信じている。……黒のクレイトスの独断も、結果的には役立った」

 若干、扱いにくさを感じてはいるのか、黒のクレイトスの名前を呼ぶ際に眉が少し動いたが、短所よりは長所の方が多いと思っているのか、声に苛立ちは感じられなかった。

 ま、理想の部下というのは、中々に見つからないものなんだろう。有能な人間が野心が旺盛なように、忠実なヤツは応用が利かないのと紙一重なように。

 俺と王太子が、同類だが若干癖が違っているように。


 軽く肩を竦めて、確認がてら、話を継いで続ける俺。

「軍団兵を先に帰らせる口実、そして、俺自身が軍団兵と自然な形で分かれて行動する理由を、大多数の目の前ではっきりと示せたからな」

 現国王派の貴族――後で訊いた話だが、黒のクレイトスといた二人はプトレマイオスのような領土を持った貴族の家で、正式な将軍というわけではなかったらしい。まあ、現国王の結婚に関しての国内貴族連中への権威付けの一環だろう――の前で、懲罰としては当然の処置だが、兵と別けられて送還される。

 味方には、馬に場所を取られる騎兵ではなく、徒歩で身軽な俺の軍団兵が船を奪うために必要な、そして、止むを得ない結果だと思われている。

 現国王派の間者がいても、更に裏がある、とは夢にも思わないはずだ。

 道具袋、そして水袋とは別に別けて懐に仕舞いこんでいた、例の毒薬を取り出して王太子に見せる。

 薄く笑った王太子に、どうだ? と、目で問われたので「既に戦争奴隷で試している。体格を見れば、確実に狂わせられるさ」と、俺は応じた。


 そう、北伐に参加したところから既に偽装は始まっていた。

 おそらく、現国王は留守の新都ペラを急襲されるのを防ぐために、王太子を今回の北伐に同行させ、そして、進軍経路として、海岸線を指定したんだろう。それなら、もし謀反を起こされても、王都へ続く街道を現国王の軍が先に押さえられ、待ち伏せが可能になる。

 国外追放にするんだから、船は、まあ、あまり良いとは思っていないんだろうが、くれてやるのも仕方ない、ぐらいの判断なんじゃないかな。隔日でリュシマコスに状況報告をさせているが、自分で乗り込んでくる気配はまるで無いし。

 もっとも、王太子の軍を監視に来て、暗殺されてはたまらない、というのも本音かもしれないが。


 だから、隙が出来た。

 最も堅牢であるはずの、マケドニコーバシオのアクロポリス、新都ペラに。

 軍は遠く離れ、王位継承権のある人間に対する守りが崩れている。


 俺は、単身、新都ペラに乗り込み、王太子の異母兄に――毒を盛る。

 殺しはしない。殺してしまえば、王太子に疑いの目が向く。そうなれば、こちらへの対処は追放に留まらず、より厳しくなるだろう。

 病気に見せかけ、かつ、殺す直前で止める手加減をしなくてはならない。

 他のヘタイロイには、命じても実行できない困難な作戦だ。いや、王太子を祭り上げためには、命じた時点で終わりだ。

 この必要なのは、友人じゃない。

 同類の……、王権の業を狙う、そして、供に背負える狡猾な共犯者だ。

「精神問題を理由に、継承権を放棄させられれば上々」

「ダメでも、健康面の不安から、もしもの際にアンタを殺すまでの強攻策を現国王は取れなくなる」

 跡継ぎ問題は、国の根底を揺るがす。ラケルデモンのように、王家を二つに分けているわけでも、アテーナイヱのように非世襲制の民主制を布いているわけでもないマケドニコーバシオでは、尚更。

 王太子と見つめ合う。

 先に視線を外し、微かに嘆息したのは王太子だった。

「とはいえ、それも今度の結婚で男子が生まれなければ、だがな」

 未亡人に熱を上げてる、というアレか。

 まあ、枯れたって歳でもないんだし、現国王もそりゃはりきるんだろうけど、よお。

「生まれるようなら、覚悟を決めるしかないんだろ?」

 自分の親父でもないのに貶したり当てこするのは流石に気が引けたが、かといって庇いたいとも思えなかったので、俺は無難にそう返した。

 もし、現国王が新しい王妃に男子を産ませ、後継者として指名するなら、国を戦って奪い取るより仕方が無い。

 内戦は、国を疲弊させるのであまり好ましくは無いが――。


 ん――、と、かなり悩んでいる様子の王太子は、やんわりと首を振って独り言を呟くように、ぶつぶつと……。

「隙を衝き、少数の騎兵で新都ペラを急襲……」

 あまり現実的な案ではないな。騎兵は脅威だが、万能というわけでもない。布陣に制限のある地形、籠城、対策は幾らでも立てられる。現国王が、それが出来ない程度の俗物なら、ここまで手を焼かされはしないだろう。

「状況次第だろう。数が足りないなら、裏で謀る方が効率的な場合もある」

 今回の潜入で、二回目が可能かどうかも探れれば、あるいは……。

 王太子は、俺が言葉に折りたたんだ意味を正確に汲み……しかし、難しい顔のままで応えた。

「……本音を言うが、お前さんでもこの作戦は五分五分と見ている。無理だと判断したら、退け、約束だ」

 まあ、な。

 国王や、その一族の暗殺計画なんていくらでも転がっている。

 歴史において、権力者の暗殺の成功例はたしかに耳に心地良い物語になっているが、その実、何千何万の失敗が足元にある。

 失敗し、そんな路肩の石になるのは、俺は御免だった。なにより――。

「ああ、俺の死体が現国王側に押さえられたら拙いからな」

 王族を狙った上、それが他国にいるのが珍しいラケルデモン人なら、徹底的な調査が行われるだろう。

 結局は王太子やミエザの学園の皆が疑われることになる。

 失敗は、決して許されない。

 まあ、王宮に立ち入るだけなら、将軍推薦の取り消しを不服に思って直訴しに来た、という言い訳も準備されているが……。

 不自然な状況は好ましくない。どこにどんな影響が出るか分からないからだ。王の友ヘタイロイの皆は、間違いなく不要な王宮への回り道をした俺の行動を不審に思うだろう。

 王宮に侵入して見つかるぐらいなら、無駄足になることを恐れず、実行を見送るのが当然の判断でもある。


 王太子は、ちょっと意外そうな顔で目を二~三度瞬かせた後、砕けた調子で笑い。

「ばーか」

 と、軽く俺の額を小突いてきた。

 アン? と、斜めに睨み上げれば――。

「応手のひとつふたつ浮かばない己達じゃないだろ? 死ななきゃ、何度でも這い上がれる。それも実感してるだろ? 負けて、死んで、はいお仕舞いと納得できるか? 己達が勝つまで終わりじゃないんだよ」

 フン、と、鼻を鳴らす。

「そうだな。その通りだ」

 敗北は、味わった。

 それでも、誇りを持って潔く死ぬことは選ばなかった。


 いつかなにもかも奪い返してやるために。

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