Kornephorosー11ー
戦闘後の会談を終え、王太子率いる騎兵の駐留には、劇場――馬の世話のために広い場所が必要だった――とその付近の公共施設を接収することで話がまとまった。黒のクレイトス達の現国王軍は、高級住宅を占拠し、さっそく市内で略奪を始めているようだった。
もう少し早く着いていれば、もっと稼げたはずなのに。
ともあれ、都市内部の参政権のある自由市民は始末したし、しばらくはこちらが自由に占領統治出来る体制は整った。
しなきゃいけない事が済み、王太子と一緒にとりあえず劇場に場所を移した所で――役者の
「いったい、どうしたというのだ⁉」
王太子と顔を見合わせ――、改めてプトレマイオスに向き直る俺達。
王太子のすぐ右を歩いていたので、劇場に入るなり足を止めたプトレマイオスと若干距離が空いていた。
そういえば、さっきからずっと押し黙っていたなプトレマイオスは。
「うん?」
「どうした?」
そこまで激昂している理由をいまひとつ掴みかねて、素直に訊ねてみると、俺までもがキョトンとした顔を返したのが意外だったのか、プトレマイオスは一瞬だけ怯み……しかし、すぐさま怒鳴り返してきた。
「やり過ぎだと言っている! 確かに、黒のクレイトスの暴走でシナリオは修正が必要だったが、あれではまるっきりアーベルが汚れ役ではないか!」
……んん、む。
いや、庇ってくれてるのはありがたいんだが……。
王太子の方を横目でチラッと窺ってみるが、この場では己が言うと余計に悪化する、と、目で訴えられ、仕方なく俺が話すことになった。
「あそこまでが作戦だろ?」
「お前が嫌われてどうする。処罰を受けたという事実は、正式に――」
声を荒げるプトレマイオスの発言を遮って俺は早口に言った。
「俺が処罰を受けるから問題無いんだ」
「うん?」
今度は、本当に分かっていない顔をしたプトレマイオス。
「アーベルは、確かにミエザの学園で
王太子が、改めて状況を語り始め――プトレマイオスも、どこかすっきりしていない顔ではあったが頷いた。
「ただし、新都ペラでの民会や、貴族の評議会で認められた将軍ではないな?」
再び頷いたプトレマイオスだったが、すぐさま王太子に訊ね返していた。
「しかし、ミエザの学園では公式な文章に任命の事実を記載されているはず」
うむ、と、今度は王太子が頷く。
「ただ、それはあくまで己が独断で任命した形だな?」
「
「いや、知っていると思うが、基本的には、新都ペラで全て追認させている。まあ、向こうじゃどうせ地方の事と大して精査しないので、落ちない。ただ、今回は、北伐に際し、まだその作業が終わっていない」
書類上の事で、実際にはもう任官されているだろうという顔のプトレマイオスは――。
「ので、アーベルの将軍職の推薦状を止める」
――という王太子が続けた一言で、再び烈火のごとく怒り出した。
「バカな!」
「いや、この国を出て行くんだから、大した効力は無いだろう」
邪魔するつもりは無かったんだが、流石に肩書きひとつで騒ぐのもどうかと思って口を出してしまい「大有りだ!」と、叫んだプトレマイオスに、将軍職の特権と義務と正当性と正統性に関して、ぐちぐちと――座学の時間に、問題を解けなかった時に聞かされたような小言を、延々と続けられた。
「分かった。俺が悪かった」
まだ言い足りないという顔をしていたが、俺は適当にはいはい頷いてプトレマイオスが言葉を区切ったところで話をまとめ――。
「しかし、今回の処罰にはちゃんとした理由もあるんだ」
どんな? と、再びプトレマイオスは顔を王太子へと向けたが、俺は構わず説明をし始めることにした。
「俺達のレスボス島攻略作戦は、ある程度は現国王の耳へとはいっているはずだ。それなりの数が追放される予定なんだからな。船を奪うのも、向こうも織り込み済みだろう」
だからこそ肩書きが――、と、言いかけたプトレマイオスを割り込ませず、俺はそのまま続けた。
「しかし、いくらエレオノーレ達、戦災難民を先頭に、そしてキルクスとイオを理由にアテーナイヱ内部の問題と喧伝したところで、マケドニコーバシオの軍の色が強くてはダメなんだ」
現状、ラケルデモンで手一杯のアテーナイヱがマケドニコーバシオに攻めてくる公算は低い、が、アテーナイヱはラケルデモンに攻囲されているとはいえ海運を軸とした商業国家だ。
物流面で締め出しをされたら、いや、むしろ攻め込まれるよりもそうした間接的な政策の方が、現状、マケドニコーバシオへの損害が大きくなる。戦争のおかげで、マケドニコーバシオ産の革製品も、徐々に値上がりしているから。
報復として流通網を遮られれば、マケドニコーバシオ本国としても、レスボス島に逃れた一派を放置とはいかなくなる。
「言っていることは分かるが……」
結局は、マケドニコーバシオの人間が大挙して島へと向かうので、そこは変えようが無い、と、思っている顔だ。
「ラオメドンは故郷に帰るだけだろ? ついでに、腐敗を嘆いて戦災難民の革命勢力に助力した。ネアルコスは貴族ではない。将軍ではあるが、基本的には猟師なんかの兼業傭兵部隊を指揮している。領土的な繋がりはマケドニコーバシオには無い。追放されたついでに、傭兵として雇われ同道した」
「しかし、結局は私や――」
「うむ。それを口実に……まあ、同盟を結ぶのか、戦争になるかは、諸外国の反応次第だな。親父殿の反応にもよるし」
言い終え、軽く鼻で笑った王太子の横顔。
視線の暗さと鋭さを感じてか、プトレマイオスはなにも言い返さなかったが、だからこそ表情は雄弁だった。
俺としても、若干意外だったところもある。プトレマイオス相手には、王太子もそう言う表情を隠さないんだな、と。まあ、元からの幼馴染なので、既に知られているってだけなのかもしれないが。
どこか重くなった空気を払うように、俺はなにも気付いていないふりをした声で話し始めた。
「ちなみに、もう一点」
うん? と、一呼吸の間を空け、二人の視線が俺に向けられた。
「庇うわけじゃないが、黒のクレイトスはバカじゃない。多分、俺達がこの戦域に間に合わなかったとしても、なにかしらの理由をつけてエレオノーレの一派と連絡し、船を渡して補給を依頼したはずだ。ただ、今回の問題は戦術じゃなくて戦略なんだ」
とりあえずは成り行きを見守るつもりなのか、真顔で耳を傾けているプトレマイオスに「かつての教え子の講義で申し訳ないが」と、前置きする。
「いや」
軽く顎を挙げ、すぐに顎を引いて真剣な眼差しを向けてきたプトレマイオス。
「聞かせてもらおう」
頷き返し、俺は手振りを交えて説明を始めた。
「戦術とは、ひとつの戦場における勝つための手段だ。兵種であったり、陣形であったり、装備であったり……。奇襲か、強襲か、そうした状況判断も含めた、目の前の戦場を支配する技術なんだ」
二人からは特に否定意見が出なかったので、俺はそのまま続けた。
「対して、戦略とは、目的を達するための段階的プロセスなんだ。兵站線の遮断や、水源地の奪取、拠点の構築なんかを含む、戦争に勝利するための手段になる。戦術の失敗は戦略で修正可能だが、その逆はほぼ不可能に近い。今回のような大掛かりの作戦の場合、特に序盤の狂いは、最後にどんな影響をもたらすか分からない」
かつての俺自身が、ラケルデモンから脱出した時のように。たまたま正規軍が戦争準備で移動を始めていて、たまたま後方の治安維持兵しか残っていない状況で、最も国の外に逃がしたくは無かったであろう俺が逃亡に成功した。
言うほど昔の話でもないんだが、運と偶然とノリで突っ走ったバカな記憶が蘇る。
ふ、と、つい――鼻で笑った、とも、笑みが漏れたとも、どうとでも捉えられるような息が漏れた。
「良い意味でも、悪い意味でも、普通ならありえないことが起こる。それが非常時、戦時なんだ。常識に沿った思考は、極限状態には当てはまらない場合もある」
つい先だってのアテーナイヱ・アヱギーナ戦争でも、アヱギーナがアテーナイヱに敗北し、両国が疲弊したまさにその瞬間、海に弱いはずのラケルデモンが強襲揚陸作戦に出て、アヱギーナ島を支配したように。不測の事態は、生じて当然なのだ。
それに備えるためにも、余力は、誰が見てもわかるような部分の修正ではなく、誰もが予想できない事態に備えて温存しなければならない。
黒のクレイトスの計画の修正案がどういったものであったか、今となっては分からないが、船の引渡しのためだけにエレオノーレの一派をテッサロニケーから動かしたくなかったし、逆に、船の移送のために一時的に北伐が中断することも――裏の計画のためには――避けなくてはならなかった。
「で、その修正のために殴られた、と」
どこか根負けしたような顔で――そこまで考えてのことなら、もうとやかく言うまい、ということなんだろう――大丈夫か? と、若干今更ではあるが俺の傷を診たプトレマイオス。
「軽く口の中を切っただけだ。大したことはない」
「大したことがあったら問題だ」
「違いない」
軽く笑い合った後、王太子がさも今思いついた様子で言った。
「養生が必要でもないだろうが、出発は明日にしろよ。明日なら、現国王の本陣に連絡に行っているリュシマコスがかなり近くまで来ているはずだ」
「徒歩か……制圧した手の地域を突っ切るぞ、平気か?」
プトレマイオスが心配そうに――、って、さっき王太子を問い詰めてたのも含め、ほんとにどこか過保護だよな。この男。
俺は、いつも通り肩を竦めてみせる。
「俺が戦闘で平気じゃなかったことが無いだろ。まあ、それに、俺が船に乗っては、さっきのあの――」
「ディオンとフォティス?」
プトレマイオスに名前を出され、頷く。が、呼び捨てにしていることにちょっと違和感も感じた。
「貴族の文官で、さして領地も発言権もある連中じゃない」
王太子が俺の疑問を察したのか、さっきの二人とは初見の俺のために簡単な説明をしてくれた。
「そう、その二人が、大した地位じゃないのなら尚更。俺が軍団連れて船で後方に帰されたなら、集団脱走とか反乱するかもしれないとか報告するかもしれないだろ? 兵士を率いていないなら、取るに足りないことだし、下手なことを報告して現国王の機嫌を損ねたくないと思ってくれるだろ」
王太子に軽く目配せされ、俺は頭の後ろで腕を組んで、話は終わりさ、と、歩き始めた。
嘘をつく際には、人は雄弁になり過ぎる。説明がくどくなり始めた、と、プトレマイオスと付き合いの長い王太子が判断したなら、俺はそれに従う方が無難だ。
「アテーナイヱ名産のオリーブオイルでもかっぱらって、晩は騒ぐか」
なんて、いつものノリで王太子とバカ話を始めるが、立ち止まったままのプトレマイオスは、真面目な声で俺の名前を呼んだ。
「アーベル」
「うん?」
動揺は顔に出さずに振り返る。疑念を抱かれてはいない、と、思うんだが。
「私達は仲間だな?」
「…………? ああ、勿論だ。どうした?」
「前に、いつか話すと約束していた悩みはどうなった?」
悩み? と、王太子が首を傾げて見せた。
流石に、あの夜のことまでをプトレマイオスにも話すわけにもいかず俺は、大したことじゃないと王太子に向けて軽く首を横に降り、プトレマイオスに向き直った。
「問題ない、もう解決した」
どこか納得していない顔のプトレマイオス。
……ああ、そうか。
プトレマイオスはプトレマイオスなりに、前に出過ぎているように見える俺が――いや、俺としては最前線に居られない方が鬱憤が溜まるんだが――、生き急いでいるように見えて不安なのか。
ふ――、っと、長い溜息を吐く。
こんこん、と、俺の隣の王太子の肩当を右手の裏拳で軽く叩く。
ん? と、俺よりも頭半分背の高い王太子が、首を傾げて俺に視線を向けた。
「俺は独りじゃない、そうだろう?」
もしかすると、ラケルデモンの経験から俺の人付き合い――と呼ぶには物騒すぎるかもしれないが――は、基本的に斬ってみてから始まるものだったのかもしれない。
だから、エレオノーレにあんなに拘っていた。
大半のヤツは、対話にならずに斬られて死んだからだ。
分かり合いたいが分かり合えない、そういう部分の根源がそこだったのかも。
でも、今は違う。
一歩前を歩く、兄のような存在がいる。自分と同じ影を持ち、自分よりも光を手にしている。
いつか、自分もそこに至ることが出来ると信じられる。
俺達なら、世界統一を成し遂げられるはずだ。
俺と王太子にしか、成し遂げられないはずだ。
「当然だ」
プトレマイオスは、俺が予定したとおりに誤解してくれたのか、晴れやかで屈託の無い笑みを浮かべ、小走りで俺と王太子に並び――。
「もう少し、器用に振舞えよな。損な役割をすることだけが、仲間のためってわけじゃないんだぞ」
最後に、やっぱりらしさ溢れる一言を付け加え、俺の背中を押した。
「勿論さ」
ふふん、と笑い返す俺。
プトレマイオスは仲間だ。
しかし、俺達ほどには闇が深くない。
でも、それで良いんだと思う。
人は其々だ。
俺と王太子には出来ないことを任せれば良いだけ。
そして、俺が今やらねばならないことは――。
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