Alphekka Meridianaー24ー

 表面上は、全ては滞りなく運用されている。そこに、疑いの余地は無い。

 強いて誤算を上げるならば、テレスアリア軍の自主性に期待した俺がバカだったのだ。あくまでこの戦争は自国テレスアリアの防衛であったはずなのに。

 兵の犠牲を最小限に抑えるための包囲分断作戦――兵糧攻めというよりは、連絡線遮断によってヴィオティア遠征軍を動揺させ、降伏もしくは自滅させる意図があった――は、士気の低下を招いた。複雑な機動が出来ない弱卒テレスアリア兵だからこそ、数頼みで囲んで直接的な戦闘を避けたんだが、長期の対陣で敵に向かうはずの武力は内側へと向いて行った。……有利であるはずの内地で、仲違いで自滅したのはこちらの方だった。

 普通の兵市民軍にとっては、ここが限界なのかもしれない。

 甘やかせばつけあがり、締め付ければ反発する。利己的で、大局を見る目を持たない愚民。どうせ自分達だけでは自国の防衛も領土の拡張も出来ないんだから、せめてこちらの命令に忠実に従えばいいものを、矜持だけは一人前だから、そんな真っ当な指摘には激昂する。

 小賢しいだけのそういう連中をどう統治するのか、自問自答したところで答えは見えてこない。


 時間は、砂を食んだ時の様に、重く苦く、じゃりじゃりと心を磨耗していくようだった。

 前も、こんな時があった。

 エレオノーレ、キルクス、ドクシアディス……そうした面々と旅をして、決定的な溝を生じさせた時と同じだ。

 そう考えてしまうと、自分の進歩の無さに愕然ともしてしまう。

 以前と違うのは、身分だけだ。だが、それによってテレスアリア軍の崩壊が防げていた。

 ……いや、それだけではなく、戦線が停滞しているおかげもあるだろうな。

 余程上手く戦端を開かねば、戦闘が始まった時点でテレスアリア軍が勝手に撤退しないとも限らない。いや、必ずそうなるだろう。

 最早、数合わせ以上の仕事は期待していない。


 表面上は、全ては滞りなく運用されている。そこに、疑いの余地は無い。

 しかし、敵の攻撃が始まれば終わる。勝つつもりも無く布陣している軍に、果たして意味はあるのか?

 俺の言葉は、今更届きはしない。現状を維持できているのは、運だけによる。出来ることが、敵が攻めてこないように祈るだけとは、皮肉も甚だしいがな。


 ただ――、本音を言うならば、市民軍の限界が露呈しているのだと感じていた。ギリシアヘレネスは、都市毎に自立し独自の国政を持つ。それは、古い王制から脱却するための大いなる試行錯誤の過程であり、次代へ向かうあらゆる試みはこの地でなされている。

 ……断言する。

 遠からず、必ず、軍の形は変わる。装備を自弁できる自由市民が、民会で扇動し、目先の利益を追うものではなくなる。王と民会、そして、専門職課した軍人により、外交と内政、軍事は運用される。

 国土の拡張や富の簒奪が効率化され、商業化され、そして、高度な技術体系となる。

 常備軍こそが、未来の軍隊となるのだ。


 もしもの時に備え、アデアに向けた書をしたためていたのだが、いつのまにか愚痴に変わっていて、自分でも苦笑いしてしまう。

 短い溜息をひとつ。

 そして――、無意識に机の隅を指で叩いていた時だった。

「敵の糧道の遮断及び、輸送部隊の壊滅に成功したそうです」

 ドアを開け、報告してきたのはパルメニオンだった。危機を脱したという安堵からなのか、本来は伝令に任せるはずのそれを直に俺に伝えに来てくれたのは確かに喜ばしい。が、ほんの一押しで崩れかねないこの状況を良く思ってはいなかったのだろう。その表情は、手放しで祝福しているそれではなかった。

 パルメニオンの視線が机の上の木札に向いたのに気付き、それを乱暴に手で払い落とす。

「分かった。……ありがとう、苦労をかけた」

 俺の言葉はテレスアリア兵に届かない。なので、本来は軍監だったパルメニオンが間に入って動いてくれていたことを知っている。

 その一言で全てが無かった事になり、終わりよければとならないことは自分が一番分かっているが、ずいぶんと手間をかけてしまっていたのは事実なので、素直にそう告げられた。

「らしくないですよ。まだ、終わったわけでもないのですし、出迎えの準備を始めましょう」

 パルメニオンは珍しく表情に出して驚いていたが、すぐさまいつも通りの空気をまとい、そう言い残すと部屋を出て行った。


 ヴィオティア軍の捕虜から得た情報が、どの程度事態を加速させたのかは分からない。

 かつての国境周辺を再攻略。後方遮断に成功したのは、第一報を送ってから十一日後の事だった。


 篭城しているテレスアリア遠征軍はどうするのか、アカイネメシスの出方は?

 自分自身がここで終わる可能性は見えていたが、この混迷する事態の終局は、まだ見えてこなかった。

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