Alphekka Meridianaー23ー
予想通りといえばそうだが、防衛線の本陣へと帰還した際、まず聞かされたのは敗戦だった。
蜂の巣をつついた様な騒ぎのテレスアリア人をそのままに、敗残兵の収容と手当てだけを命じ、マケドニコーバシオ人だけで使っている営舎で部下から戦闘の経過を聞き――笑ってしまった。
戦いそのものは、バカらしいとしか言えない。
斜線陣を敷けば勝てると勝手に思い込み、数で劣る上に通常のファランクスで応じる敵を侮った結果、先行する左翼が突出した。元々、ファランクスは無防備な右端を敵に晒さないように、右に斜行する性質があるが、気付いた時には、テレスアリア軍の最も厚みのある左翼と、敵の全てがぶつかっていた。
敵騎兵はテレスアリア軍の右翼を一撃離脱で撹乱し、進軍速度を遅らせることで分断したところで、敵重装歩兵は前衛を捨て、中段を敢て左右に分断されることでこちらの主力を誘い込み、半包囲した。
どうもカロロスは、ファランクスの前面における弱点である右翼で指揮を行い、自分自身が戦線を維持すると豪語していたらしいが、左翼が包囲された段階で逃走を開始し、結果、数の上でも劣勢になった左翼は壊滅した。損害は五百前後。
おそらくこうなってしまえば、相当数の捕虜も出ただろうし、身代金交渉もあるだろうな。敵を利するわけにはいかないが、放置も出来ない。面倒な後始末だ。
うんざりとした溜息を吐いたところで――。
「アーベル様、広場で騒ぎが」
戦況を報告していたのとは別の部下が、どこか困った様子で報告してきた。
元々、長期の包囲のせいで仲の悪い都市同士での喧嘩に始まり、装備の窃盗に糧秣の配給の不平等等、面倒事には事欠いていなかったが、敗北して多少はしょげるかと思えば、また性懲りもなく揉め事を起こしたらしい。
強い敵には抗わず、足の引っ張り合いばかりとは、とんだ保護国だ。
手足を縛った上で、猿轡して転がしていたさっきの捕虜の生き残りの首根っこを引っ掴み、パルメニオンを伴って兵舎を出る。
ここで一発かまして、軍紀を引き締めとかないと、後が続かない。
成程、騒いでるとしか言えないわけだ、と、アゴラ――
「なんだって騒いでるんだ?」
近くのテレスアリア人に聞きながら、だらだらと中央目掛けて歩いていく。
騒いでいるヤツは、このバカげた敗戦を指揮したカロロスだった。それも、周囲の都市代表に弾劾されているわけではなく、勝手に熱くなって喚いている。
この微妙な温度差は、あのバカには――伝わってたら、もっと殊勝にしているか。
短い溜息で、バカにどうすれば頭の使い方をしつけられるか考えつつ、まず主導権を奪う意味で「数で勝りながら敗北したそうだな?」と、カロロスの正面に立ち、他の都市代表達と離させる。
「違う! そもそも、敵に当たったのは防衛部隊のごく一部であり、全軍で攻めていれば勝てたのだ。それをみすみす……!」
「倍とまではいかなかったようだが、それでも数的優勢下で敗北した弁がそれか? 数だけそろえても、敵の規模や戦場の広さを考えれば邪魔になるだけだろ。なんだ、犠牲者が足りなかったか?」
皮肉を返すと、頭から湯気を――いや、本当に日が暮れ始めた秋風に、カロロスからは湯気が立ち上っていて、汗だくになってまで声を張り上げている。
こんなに元気が有り余ってるなら、戦場で右翼も突っ込めばよかっただろうに。
「これは、我々の責任ではない」
「は?」
同じ言語を使っているはずなんだが、言葉が通じていないとしか思えないその言い草に首を傾げる。
……ああ、もしかして、内通者でも見つけたのかと思えば。
「テレスアリアの戦い方をしていれば勝てた戦いである。それを、マケドニコーバシオによる軍制改革だかなんだか知らないが、その基本通りに布陣した結果がこれなのだ。これは、我々ではなく、あんた等の戦術が間違っていた証明に他ならない!」
唾を飛ばして喚き立てるカロロスの態度から察するに、罰を軽くさせたいがための方便というわけではなく、どうやら本気でそう思っているようだった。
報告を聞く限り、明らかに戦術の不理解からくる失敗であり、それをこちらの方針の誤りだと弾劾されても鼻白むだけだ。
絶対に勝てる作戦など、存在しない。どんなに先鋭的な戦術も戦略も、その強みだけでなく弱みも完全に把握し、弱点を補う手段を講じなければ敗北は必然だ。
そもそも、俺は別に斜線陣を使えだなんて一言も言っていない。それを勝手に基本通りにしたんだから、負けても落ち度は無いと主張されても意味が分からなかった。原因が、戦術によるものであれ、単純な兵力の差であれ、敗北は敗北だ。無論、俺にも任せた責任はあるが……。
なんなんだ、こいつは?
自分は無能なので、それでも戦わせた俺が悪いって言いたいのか?
……バカなのか?
「それで? 要するに、なにがしたくて騒いでるんだ? 負けたけど、責任はありません、イコールコス軍は変わらずに指揮させてくださいって陳情か?」
自分で予想しといてなんだが、流石に考えなしに騒いでいるのではなく、今後の発言力を失わないための演技もあると思ってそう訊ねてやったんだが、カロロスは「再戦だ!」と、腕を振り上げて叫んだ。
「はぁ?」
これもポーズなのかと思って様子を窺うが……。
「今はまだ、捕虜や死体を収容しているはずだ。即座に部隊を再編し攻勢に出れば、戦場を奪い返せる」
どうにも、本当のバカのようだった。数に勝るので、勝つまで兵を出すってことなんだろ。
いや、俺も前線の将なので、金勘定だけの文官みたいなことを言うつもりは無いが、単なる小規模な遭遇戦でどれだけ戦費を使う気をしてるんだ?
「だから、数的優勢でもお前は負けたんだろうが。どこから再戦なんて考えに至るんだ? 俺が指揮して戦えって言ってるのか?」
俺の方も、カロロスの話の通じなさにいい加減うんざりして、そう聞き返すんだが、カロロスは「違う! 失敗は、マケドニコーバシオの斜線陣にある!」の一点張りだった。
学び、成長することは誰にでも出来ることではない、か。
パルメニオンの言を思い出し――ふと、ここでカロロスを斬る俺自身も、ある意味では反省と成長から外れるのかとも思ったが、それでも、この状態では他に選択肢は無かった。
「カロロス、敗北し、無駄に兵を失った罪は重い。死んで仲間に詫びて来い」
カロロスが鞘から抜かずに子供が棒きれで遊ぶようにして振り回している剣を奪い、一撃で首を落とす。
カロロスの再出陣の主張にざわついていた周囲から音が消えた。沈黙と緊張が辺りに立ち込めている。
流石に殺すことまではされないとでも思っていたのだろう。カロロスも他のテレスアリア人も。
判断が甘いとしか言えないな。
失敗しても、尚も学べないなら、そんなヤツは要らない。無能な味方は、優秀な敵よりも厄介だ。
大気に怒りが混じり始めたのを見計らい、俺は捕虜を突き出した。
「これは、戦場付近で確保した、ヴィオティアの捕虜である!」
再びどよめきが周囲に起こり、――「本物か? 奴隷に演技させてるんじゃ」「いや、あの服装、確かに」――疑念が確信に変わると、いくつかの石くれが捕虜に向かって「死ね!」とか、芸の無い罵声と共に投げられた。
しばし、テレスアリア人の好きにさせておいたが、最初の大きな波が去ったところで俺は私刑にしようとする動きを手で制し、再び口を開く。
「情報によれば、この戦いはアカイネメシスの再侵略の前哨戦であり、当初考えられていたような局地的な土地の奪い合いではない! 安易な考えはここで、この敗北を以って改めろ!」
宣言すると同時に、混乱しているテレスアリア人に立ち直る隙を与えないように、捕虜の背中を蹴る。
捕虜は、つんのめりながらも、自分に与えられた役割を正確に理解したのかゆっくりと語り始めた。
「……ヴィオティアは、アカイネメシス、それに、アテーナイヱと手を組んだ。この遠征の資金も、アカイネメシスから出ている」
ひとつ頷き、俺は再びテレスアリア人の面々にゆっくりと視線でなぞり。
「諸君! 敵は遠征が企図された段階で、十分な準備を行っている。打ち崩すには、それなりの戦略が必要であり、そのための膠着である。目先の出来事に目を眩まされるな。大局を見よ」
しかし、アカイネメシスの干渉および、再侵攻の意図を明らかにさせた今も、テレスアリア人は理解していなかった。その意味を量りかねている。
交わされる囁き声も「なぜ今更アカイネメシスが?」とか「アカイネメシスはラケルデモンと辺境で戦っていたんじゃ」「いや、かつての大戦で敗北したのに、侵攻するはずが……」と、既に起こっている出来事としてではなく、論点のずれた雑談に終始している。
目の前の事実から敵の動きを予想するのではなく、勝手な思い込みの中にその動きを当てはめようとしているテレスアリア人。愚の骨頂だ。
――ッチ。理解できる頭も無いバカ共め……。
今度は、最早理解も納得も求めずに、冷徹に恫喝を込めて命じた。
「防衛に徹しろ。いいな? 一度は貴様等の主張を通して一戦させたが、数だけで敵わないことを未だ理解できていないなら指揮官とて失格だ。事態が大きく変わりつつある今、これまでのような甘い対応を続けてもらえるとは思うな」
その証拠と言うわけではないが、カロロスを殺した剣を手首を返して刃筋を立てて一閃させ、捕虜の首を刎ねる。安物の剣だったのか、二人斬っただけなのに刃がひん曲がり、波打っている。
ッチ、と、軽く舌打ちして剣をカロロスの死体の上に放り投げる。
周囲の連中は、もうどよめくことは無かった。
ぽつりぽつりと――無言で敗残兵の手当てや、薄くなった防衛線の人員配備の見直し、それ以外にも、通常通りの夕飯の準備といった業務に戻っていく。
おそらく、イコールコスの雑兵だと思うが、軽装の兵士がカロロスの死体に布を掛けて盾の上に乗せ――俺とは目を合わせない様にして運んでいく。
これ以上の騒ぎの起こりようが無いことを確認すると、俺も営舎へと向かって歩き始める。
「こんなことは、一度しか通用しませんよ。ここは、マケドニコーバシオではない。二度目は、貴方が殺される」
そっと隣のパルメニオンに耳打ちされ、無言で頷いた。
それが分かっていないわけじゃないんだ。
ただ、それでもヤっちまう時がある。
やりすぎってのも、まあ、否めん。
もっとも、簡単に命を差し出してやるつもりはなかったが、ここでテレスアリア人に離反されれば再征服するのにそれなりの手順と段階を踏む必要が出てくる。俺一人の失敗で、
アカイネメシスまで動いているなら、無駄な戦争で損害を出すわけにはいかない。
ただ――。
「もう一度、テレスアリア人が騒ぐまでに事態を収めなければ、どの道、先はない。早急に伝令で事情を伝え、王太子の方が梃子摺っているなら、百でも千でも援軍を出して決着をつけるしかないだろ」
パルメニオンも完全に納得している様子ではなかったが、アカイネメシスやラケルデオンに支配されているはずのアテーナイヱが動いているならば、テレスアリアで浪費する時間は無いという点では俺と同じ考えのようだった。素直に伝令の騎兵に書簡を渡し、色々と指示している。
……まあ、騎兵の視線から察するに、俺に不利益になる内容も含んでいるようだったが、国王もパルメニオンも有能だ。俺を更迭するなら、きちんと時機を見るだろうし、それでテレスアリア軍をまとめ直せるなら、安いものだとも思う。
それに、俺も内心では更迭を望んでいるのかもしれない。
王太子が、俺にこの防衛線を任せた理由が、俺の成長に期待したものなのか、それとももっと別の理由があるのかは分からないが――。
どうも、やっぱり、攻め……特に遊撃に主眼を置く俺に、防衛線の我慢は不向きのようだった。
溜息は、黒に塗りつぶされていく空へと吸い込まれていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます