Kornephorosー17ー

 王宮へは、町から延びる一本道を使った。警戒は、無論、されている。だが、逆に周囲の丘を登ればそれ以上に人目につく。他に選択肢は無いし、それに、要は城門付近で身を隠せば良いだけだ。

 そのために偵察に一日を使ったんだし、潜入する時間も選んだ。


 夜の明ける前。

 空から星が急激に消えていた。

 冬、雨季の近付きを感じさせる薄い雲が空の三割を占めている。夜通し焚かれていた篝火が消えた。兵士の交代の時間だった。大門は開かれず、兵士の出入のための小さな勝手口は、十名弱の兵士の出入でまごついている。

 姿勢を低くして敵の視界を避け門に取り付く。

 早番の兵士が所定の位置に着き――引継ぎの内容を確認し、また、仕事を始める前の伸びをしている空白で、勝手口を抜ける最後の兵士の後ろに中腰になって近付き、王宮へと侵入した。

 ここだ!

 勝手口を抜けた兵士は、おもむろに閂を取り――閂を右手に持っている、ヤツは右利き、高確率で右回りに振り返るはずだ。

 四つん這いになって姿勢を安定させ、足音を殺す。予想したとおりに右回りに振り返り、閂を差し、再び右回りに姿勢を戻して、先に場内へと戻った兵士。その真後ろを維持し、つつ、先行して場内へと戻る兵士の動きをも警戒し――。

 門の施錠後に一瞬動きを止めた兵士。

 次の動作を予想し、さっと左右を確認し、篝火のために準備されていた薪の陰に身を隠す。全身は隠れられない。紺の外套を被るが、近付かれてしまえば容易に見破られてしまう。

 いや、それ以前に、篝火が消えている今だからこそ隠れられているわけであって、これが夜中に松明を片手に視線を向けられていたなら、気付かれていたと思う。昼間なら、言わずもがな。

 来るな、と、心の中で呟きながら、次善の策を探す。王が謁見などに使う政務館へは一本道で、脇道は無い。壁は、マケドニコーバシオの重装歩兵の使っている長槍でも届かないほど高く、これを人知れず登るのは不可能だった。

 外套で視界を遮り、打ち身を当てれば、あるいは……。


 今は、動くわけには行かず――身じろぎした場合、はっきりと相手に違和感を抱かれる。動いている人間を見つけることは、じっとしていた相手を見つけるよりもはるかに簡単だ。射程の長い投擲物を回避・防御するため、動体視力は兵士の必須の能力なんだし。

「ん~? んぅ」

 おそらく俺の気配を感じた兵士は、しばらくこちらに視線を向けていたが、結局は首を傾げながらも政務館の方へと向かって、小走りに駆けていった。


 ただ突っ立ってるだけ、というわけでもないらしい。流石に、少しは焦ったな。殺すわけにもいかないし、気絶させて騒ぎを大きくするのも好ましくない。


 先行する夜勤の兵士から充分に距離を取り、王太子から教えられた見取り図を思い出しながら、進み続ける。外的の侵入を防ぐため、また、ここで敵をすりつぶすため、長い東への直線の通路の後、直角に短く北上し、今度は西に向かって同じ距離歩かせ、突き当りで少しだけ北に進める。そんな迷路のような構造が、暫く続く。

 王族の居住区の西にある大櫓は、まだ篝火が焚かれており、それを灯台のように鏡で反射してその通路に当ててくる。

 不審者が居れば、槍・投石・弓矢と盛大にもてなせるって寸法だ。

 鏡によって反射されている光の中に入るわけには行かない。


 姿勢を低くするのは当然として、壁際や、敢えて道の中央など、照明を避けるようにじぐざぐに、……走れば一瞬の距離をもどかしいくらいゆっくりと進む。


 気付かれていない。

 大丈夫。

 もう少し早く這っても平気。


 ……あと少し。

 いや、そういう時間が一番危ない。気を抜かずに――。


 第三関門である、兵舎と将軍詰め所が見えてきた。

 まあ、将軍詰め所は今は空のはずだが、だからこそ、嫌われ者の、もしくは人気者の将軍の待機室にちょっと立ち寄る兵士は多い。私物をかっぱらって、お守りにしたり、売って小銭に替えて飲み代に当てたりするから。

 マケドニコーバシオの軍は常備軍であり規律も良いが、それでもやっぱり戦っているのは二十代三十代の若者が中心で、そうしたちょっとした悪戯は、ある程度寛容にしておかなければかえって士気に影響する。前線でもないこんな場所なら尚更。

 今回、夜勤から戻った連中の行動は――。

 パッと、おそらく、食堂の明かりが点いた。

 その瞬間、俺は兵舎の横をすり抜けた。迷い無く、一直線で。

 大櫓からの死角が全くな居場所で、這って進むよりも黒の外套を被って突っ切った方が、距離のある視線には夜がうごめいているようにしか見えないと判断した。だから、建物に戻った連中が、窓の近くに来るか否かを警戒していたんだし。


 そして、王太子に聞いていた、有事の際の抜け道のひとつ。……そう、ラケルデモンの少年隊が、獲物や略奪品を隠す床下の小部屋へと続く木の扉のようなそれを俺は開け放った。

 四つん這いになった大人一人がやっと通れる程度の大きさの穴があった。まるで冥府にまで続くように真っ暗で、先は見えない。有事のためなのか、知る者が少ないためか、手入れはあまり行われていないようで、黴の臭いが鼻を衝く。


 ふん、と、鼻を鳴らし、俺は夜の底のようなその穴へと飛び込んだ。


 息が少し苦しい。

 手足が地面に触れているから、そして、一本道だから勧めるが、視界はまったくなかった。指先さえも見通せない。耳を澄ましても、聞こえるのは自分の息遣いと……鼓動、衣擦れの音。

 少し、肌があわ立つ。

 良くない傾向だ。

 夜陰に紛れての奴隷狩りで鍛えていなかったら、とっくの昔に参っていただろう。果たして、この抜け道を作ったヤツは、自分で使ってみたのかね?

 まあ、そんな気軽に抜け道を使わなきゃならない状況ってのも笑えないがな。


 息苦しさに、洒落にならないほどに苛立ちを感じ始めた時、ようやく中庭へと抜け出すことに成功した。

 そう、まだ終わりじゃない。

 ったく、クソ程広い王宮を建てあがって。ちっとは、ラケルデモンを見習えっての。


 片側を壁、もう片側を柱列で、中庭の植物を見通せるようになっている通りへと――ぬけようとしたが、物陰で息を潜めた。見張りが居る。

 王太子の話では、王宮内部の見張りは居ないはずだったんだが……。

 いや、現国王自らが出陣中なんだ。王妃や側室の監視も含め、兵を置いておいてもおかしくは無いか。そう、有事だったら、平時とは違うことが起こるのは、むしろ当たり前だ。

 気持ちを切り替え、俺は見張りから充分に距離がある場所の、壁のオイルランプの油を抜き、芯が惰性で燃えている間に、その横のオイルランプを消した。


 警備兵が暗がりに目が慣れるまでの数秒が勝負だ。

 不意に夜明け前のこの時間に、急に暗くなったのを不審に思った警備兵が周囲に視線を巡らせ――。明かりの消えた場所を不審に思った警備兵が、出入り口を離れた。

 柱を盾に擦れ違う。

 足音は立てていない。

 気配には気付かれなかった。


 そして、最初に油を抜いていた方のオイルランプが消え、パニックになった警備兵が「え? あ、なんだ⁉」と、声を上げた。

 よし。

 目の前のドアの様子を窺うが、向こうに人の気配は感じなかった。逆に、反対側の柱列の突き当たりのドアから数名の兵士が出て来た。


 いけるという確信があった。

 ドアを開ける。

 王宮の最奥へと、ついに俺は足を踏み入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る