Kornephorosー16ー
いける、と、思った。
新都ペラへは、予定よりも早い三日目の夜、城門が締まる前に着くことができた。
これまで見てきたマケドニコーバシオの都市は――王太子のために新設されたミエザの学園を除けば――、どこかしろアカイネメシス的な特徴があったが、新都ペラは完全なヘレネス式の都市だった。
都市の中央にアゴラが配置され、道は等間隔に南北に小路が並び、東西にそれよりもやや広い大路が……そう織物の縦糸と横糸のように、整然と走っている。
中央のアゴラも、南部の先進都市のアクロポリスと遜色のない広く大きな、そして、新しい建物であった。南の正門から町に入れば、正面に神託所や柱廊が並び、都市の中へと吸い込まれていくような独特の威容を誇っている。
そして、視線を軽く上げれば、アゴラの左上に、天に切っ先を衝き付ける様に、王宮が聳え立っていた。
地図上は、住宅街からやや離れた小高い丘に王宮があるんだが、市内の建物が丘の土台部分を隠しており、正面からの威容にも十分に配慮された都市設計だ。
遠目にも、王太子から聞いていたとおりの巨大な建物だと分かる。部屋の数は大小合わせて百を越す。予め内部の構造を覚えておかなければ、到底目的の人物を狙うことは出来ないだろう。
いや、そもそも侵入するにしても、都市を守る城壁とは別に王宮を守る城壁があり、その門の上部の櫓に明かりが点っているのが新都ペラの正門からでもはっきりと見えた。丘へと伸びる階段の先にあるのは議場や、拝謁のための政治・外交のための建物で、王族の居住区はその奥の西側の平屋の建物だと聞いている。
王太子の話では、常時の警護兵は三百前後。
ただ、篝火を見る限り、おそらく現在の警備は百程度まで減っている。国王自らが出陣しているせいだろう。まだ宵の内だから不確かな部分もあるが、王宮の東側の建物の明かりは、広さの割に少ない。
無論、兵が少ないという理由だけで決行に支障が無い、と感じただけじゃない。
都市の空気だ。
戦争を遂行しているはずなのに、緊張感が無い。
人は、目の前の現実を常に見ているわけではない。特に平時においては、金だったり酒だったり、女だったり……そうしたものに目を奪われ、些細な異状や兆候を気のせいとして流してしまう。
そういう風に出来ている。
もう都市に入ってしまっている以上、一応、王宮に向かって真っ直ぐに正面の通りを歩き始める。
擦れ違う人、そして、横道と重なった場所での目を遮るほどの人の流れ。
金山開発後に急速に発展しているという財政状況を反映してか、都市には外国人も多かった。本来は水と油であるはずのアカイネメシスのペルシア人商人が、大声で話しながら通りを横切っていく。
それだけではなく、南の古代王国方面の赤銅色の肌の女に……、今回も戦っているトラキア人――もっとも、これは奴隷で、発展後に他のヘレネスの都市国家と大規模な戦争をしていないからか、奴隷の大半がトラキア人だった。となると、今回の北伐は、新たな奴隷の確保の意味も強かったのか――に、……更に東から来ているのか、黄色い肌の、全く言葉の分からない連中さえもいた。
海洋の商業国家であるアテーナイヱに勝るとも劣らないぐらい、人種が多様で、人の往来が多く、活気に満ちていた。
多少見知らないヤツが紛れ込んでも、そう目立ちはしないだろう。
戦時景気を当てにした商人、もしくは自分を売り込みに来た傭兵……おそらく俺の容姿的に後者に見られているんだろうな、と、形だけは一般的な貴族の装いで、俺は頭の後ろで腕を組み、軽く口笛を吹きながら通り抜けていった。
王宮の入り口で――尤も、もう門は閉まっているが、衛兵に身分証の指輪を提示し、軽く肩を竦めてみせた。
「戦況報告なんだが、明日の方がいいかね?」
「悪い知らせか?」
と、聞き返した衛兵の言葉には、一辺も鋭さを感じられなかった。勝ち戦の報告は、既に山ほど届いているので、一戦、二戦、負けたり退いたところで大局に影響しないと分かっているからだろう。
俺は、もう一度、今度は冗談めかして肩を竦めて答えた。
「ダトゥが落ちた。奴隷と金品がどっと押し寄せてくる」
ピン、と、オリーブと梟の意匠の銀貨を一枚放れば、やや危なげな手付きでそれを受け取った衛兵。
反応を見るに、俺が第一報のようだな。
まあ、第二報以降にならないために急いだ部分もあるしな。当然だが。
これなら、多少探っても怪しまれないだろう。
「取次ぎ料として受け取っておくよ」
「あん? 現国王は戻ってないだろ? 拝謁までする意味もないだろ」
これからちょっかいを出す予定のヤツに面を覚えられたくは無かったので、呆れ顔でさもめんどくさそうに言えば、それもそうか、と、あっさりと衛兵は引き下がった。銀貨はしっかりと握り締めたまま。
ハン、と、皮肉っぽい笑みを口の端に乗せる俺。
「まあ、誰も、王妃の勘気を被りたくはないよな」
金の分は心を許したのか、衛兵は俺の注意を銀貨から逸らそうと世間話を差し向けてきた。
うん、まあ、ここまでが予定通りだ。後は、この男がどれだけ喋りかって所だ。
「例の件で?」
敢えてぼかした訊き方をすれば、シッと人差し指で口元を押さえた衛兵が、急に真面目な顔になって言った。
「噂になっているが、口には出すなよ」
「王妃以外へは……どうなんだ? 所詮、こっちは、よっぽどなにか無ければ呼ばれない程度の地方貴族だが、面は通しておいた方が良いのか?」
新都ペラでは、王位継承権が変更されるという見方が多いのか、と、暗に訊ねてみるが、今度は衛兵がさっきの俺を真似るように軽く肩を竦めて「今度の結婚式の後にしな」と、どこかめんどくさそうに答えた。
「それもそうか」
と、軽く苦笑いを返す。
ミエザの学園まで造って遠ざけたとはいえ、王太子からその称号を剥奪せず、のらくらしてた国王なんだから、王妃や王子王女の力関係は流動的、か。
いや、そもそもが現国王も傍流から王位を得た人物らしいし、前王の子息や他の親戚も含めてもっと複雑か。
「直ぐに発つのか?」
ちょっと思案していた隙にそう訊ねられ……不審を抱かせないように、ゆっくりと空を見上げてから俺は答えた。
「こんな夜にか? まあ、二~三日観光させてもらうさ。なんだ? 困りごとか?」
「町の巡察の兵士が欲しいところではあるな」
「拙いのか?」
町を見た感じ、そう大きな問題や犯罪は起きていないように見える。まあ、犯罪の起こりやすい夜間なのに、巡察隊とも出くわさなかったので、人手不足なんだろうとは思ったが。
思ったよりもあっさりと内情を明かされてしまったな、と、拍子抜けして訊き返せば、不貞腐れたような声が返ってきた。
「王宮の兵士を割くわけにも行くまい」
まあ、所詮は留守番の兵士ってわけだ。
喋って良い情報と悪い情報の区別もついていない。警戒しているというよりは、突っ立ってここに兵士がいるので悪さするなよ、と、これみよがしに見せているだけで中身は無い。
多分、明日俺が簡単な変装でここに来ても、この男はきっと俺だと気付かないだろう。
いける、と、思った。
明日一日を使い、警備が交代する時間帯を把握し、黎明か薄暮のより都合が良い時間帯に侵入を開始する。
夜が更けてからは、日が昇ってからと同じぐらいに危険だ。静まり返った建物では、足音や気配が異様なほどくっきりと際立つ。
始まる前だが、手応えは感じていた。
修羅場を潜って、危機察知能力はそれなりに磨いてきた。俺以上に、実戦を最前線で経験している人間はそうはいまい。
この俺が判断したんだ。
間違っていない。
迷いは、一瞬の判断を遅らせる。
ヤると決めた以上、慎重に偵察し、そして、隙を衝く。
それだけだった。
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