Maasymー2ー

 基本的には城壁内の土地の値段は、主要な通りに面している場所や、飲用水を汲める場所、広場に近い場所ほど高くなる。逆に、利便性が悪い区域は、地価が低いために無産階級――奴隷労働による不労所得を持っていない者――が入り込み、その結果として更にその区画が寂れるという悪循環を起こしてしまう。

 どこの都市にでもそんな貧民街は形成されるし、珍しいものではない。

 ただ――。

 巡察のルートで通ったことのある道とはいえ、一般的に軍務をこなすような階級ではない人間――通常、常備軍も市民軍も装備を自弁できる自由市民で構成される――の住む区画へと足を向ける俺に、アンティゴノスがどこか遊び半分の調子で訊ねてきた。

「また、変わった連中に会いに行くもんだな、アーベル」

 これから会いに行く男は、クレーテ出身の……元は公共事業で建材の輸送を請け負っていたらしいが……。大規模な都市整備が済むと仕事が減った――まあ、立地的に敵に攻め込まれたり、城壁が崩れることも無いんだしな――ものの、なぜかここに留まり、簡単な家や道の補修で食いつないでいるらしい。

「そうでもないだろう」

 適当にアンティゴノスに答える。長距離投石兵で有名なクレーテ人を試してみたいという気持ちは分かっているはずなので、全部言う必要は無い。

「私は反対なんだがな」

 声は本当に不満そうだが、それはなにも俺の選んだ人間――環境的に、腐り始めている男だと、名簿作成時に散々反対された――に対する不満だけではない。軽くではあるが、朝の少年従者の様子をそれとなく伝えたせいで、プトレマイオスは初っ端から不機嫌だった。

 今朝まで付いてたヤツが不出来ってわけではないし、そういうことをいたす抵抗があるってわけではないんだが……。

 ん、む。

 なんていうかな、俺としては別にそうしたコミュニケーションは必要ないと思っているんだよな。

 確かに、俺は皆を仲間だと思っている……と、思う。

 共同体に組み込まれることに、抵抗があるわけじゃない、とも、思う。

 が、んんむ。

 どうも、こういう上手くまとめられない気持ちを表現するのは苦手だな。昔は自分自身の感情にも行動の動機にも頓着しなかったから。ラケルデモンでは、理由や原因がどうであれ、イラついたという理由だけで人を殺していた。


 しかし、ひとつだけ文句を言わせてもらうなら、毎度同じ経過を辿っているのに、根本的な解決を図ろうとしてくれないプトレマイオスにも、一~二割は非があると思うんだがな。

 もっとも、俺の性格上、話し合いでなんとか出来ないだけと判断されている可能性も否めないが。

「その男は――」

 俺とプトレマイオスの間の微妙な空気を察してか、老獪なアンティゴノスが仲裁というわけではないが、目の前の仕事に集中しろという意味で解説を始めた。

「軽装歩兵としての従軍経験はある。が、味方に合わせて行動出来ず、すぐに除隊した事があるな」

 軽装歩兵は、富裕層の市民が自らの政治的影響力の拡大のために無産階級の市民に装備を渡して自分の配下として一緒に従軍させる場合や、動員数を増やしたいために民会で予算を決めて徴募する場合がある。状況から察するに、おそらく前者として従軍し、途中で帰されたってことだろう。

 ほれ見たことか、と、腰に手を当てたプトレマイオス。俺はプトレマイオスの不満に気付かないふりをして、アンティゴノスに向かって答えた。

「いや、確かに個人的傾向が強いことは、ファランクスを組む上では邪魔になるが、手前で考えて動ける人間は、遠距離戦闘を戦う上で重要になる」

「お前の提唱した、騎兵と行動を共にする歩兵という概念も、いまひとつ有用性に疑問はあるんだがね」

 現状、マケドニコーバシオの軍は、俺が打ち負かされた演習がそうだったように、重装歩兵を左翼に厚みを持たせて斜めに配置し、弱点の右翼を隠しつつ左翼で敵を突破、包囲殲滅することを基礎に運用されている。

 しかしながら、十分な騎兵を投入できる場合は、逆にファランクスの弱点である右翼の縦列を増やして防衛をしている間に、重装騎兵で敵を突破もしくは迂回し、後方や側面を攻撃する鉄床戦術も、地形から判断し、都度実行される。

 一見して、隙は無い布陣だが……。

 軽装歩兵は、おまけじゃないはずだ。防御力に難はあるが、速度と対応力では重装歩兵に勝る。そして、防御力は技量や戦術で補えるはずだ。身軽さを活かした回避行動や、三日月盾や剣、投擲用の短槍を使った受け流しによって。

 それだけでなく……。

「騎兵だけを戦場には送らないだろう? だが、重装歩兵を伴えば行軍速度はそれに順ずるものになる。必要最低限の糧秣と装備で、迅速に展開が可能な即応部隊は必要だろう。軍の動員には、とにかく時間が掛かるものだからな」

 敵に攻められ、もしくは、敵が国境線に軍を集めているという情報を元に対抗を始めても、やはり一日二日の遅れは出てしまう。その間に村や城を落とされては、街道の寸断や人死に、略奪の一時的な損害もそうだが、復興費用だなんだと、戦後の統治にも影響が出てしまう。

「時間稼ぎを?」

「それだけじゃないさ。間合いで言えば、長槍の六十倍の距離を弓矢は攻撃出来るし、弓よりも風の影響を受けず遠くへと飛ばせる投石器は、更にその倍だ」

 弓矢は狩人等扱える人間が少なく、また、習熟にもかなりの時間が掛かるが、放牧の際に羊を追うことにも使う投石器は、猟師以外にも広く普及している。海戦で多用されているのは、だからだ。ドクシアディス達でさえ、そこそこには戦えていたんだから、きちんとした兵に運用させれば、強力な兵器になる。

 もっとも、戦果を認定し難いので、陸戦で投擲で敵を倒しても名誉とは言えないが、その分、遠戦は味方の被害を抑えつつ敵を効率的に減らすことが出来る。

「補助や敵の漸減を中心に行うのか? 確かに、現在の軽装歩兵は活躍しているとは言い難いが、それは――」

 プトレマイオスが言いたいことは分かっている。が、しかし、俺の斬り合いの強さは既に広まっているし、武勲を立てて人気を取るというのも――それはそれで重要な役目だとは分かるが――少し自分の目的地とは違っている気がした。名誉がいらないわけじゃない。人並以上に、出世欲はある。

 だが……。

「別に、俺が欲しいのは名誉だけじゃない。既に充分に負け続きだ。ああ、別に、悪く開き直ってるわけじゃない。諦めてるわけでも。ただ、誰かが率いらなければならない部隊で、有効活用のためにその改革も必要なのだとしたら、既に自らの部隊のある他のヘタイロイではなく、俺がやるべきだと思った」

 他のヘタイロイが均した道を追いかけるのは、俺では無い気がした。皆の得た教訓は、活かす。しかし、単に取り込まれ、その他大勢になるのは我慢がならない。

 仲間だが、馴れ合うだけでなく、好敵手でもある。それが、王の友ヘタイロイだ。極論を言えば、俺を指導しているプトレマイオスともいつか競い合う関係になるかもしれない。単純に一言で言い切れる間柄じゃないんだ、俺達は。

 教育課程が終われば、俺も皆と肩を並べることになる。その時になって、後ろへと追いやられるわけには行かない。自らの望みを手に入れるためにも。

「必要な時に、必要とされる部隊を、必要とされる場所に配置する。それが王太子の『帥』としての役割であり、俺達『将』の役割は王太子の選択肢が増えるように、其々の特性に応じた軍を率いるんだろう?」

 最後にしたり顔を二人に向ければ、口元に笑みを湛えながらおどけたように手を打ったのはアンティゴノスで、プトレマイオスはいつまでたっても扱い難い――ひねくれたヤツだとでも言いたげに嘆息した。


 今は、まだそれでいい。

 軍を持たず、結果も出していない俺はまだまだ末っ子だ。口でなにか言うことが、するべきことじゃない。発言力を増すには、それを担保する実力が必要だ。


 今回の作戦の圧倒的勝利を以って、並び立ってやる。

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