Alphekka Meridianaー11ー

 慌しく台上に地図が広げられるが、資料はそう多くない。文官の誰かが「シケリアでの大敗北後のイオニア諸島、か」と、呟く声が聞こえる。

「ラケルデモンへの降伏に時間が掛かったことで、アテーナイヱが地中海の西部との交易の窓口であったイオニア諸島――の指導部が逃走する時間的猶予が出来たのでしょう。これまで動向は不明でしたが……」

「辺境都市だし、向こうはカルターゴーや、アカイネメシス統治下の古代王国の影響が強い。さして注目される土地じゃなかったが、軍資金はあるのか」

 俺とクレイトスの話の際には黙っていた文官が俄然元気になるが、反面、プトレマイオスがもたらした情報以外には情報が乏しいようで、具体的な資金量や資金源については言及されなかった。

 まあ、見逃してたって事だよな。実際、俺もあまり西側を意識したことは無かった。シケリアにしたって、ラケルデモンは特に支配することに意欲的ってわけじゃない。

 統治するための物理的な距離の限界に当たるんだ。

 政策を決定したとして、それが施行されなければ意味がない。法令を充分に理解出来る指導部がいなければ、裁判も刑罰も意味を成さない。

 それに、アフリカの旧古代王国やカルターゴー、それにギリシアヘレネスの文化を吸収しつつ勢力を拡大させている共和制ローマなんかもあるにはあるが、基本的にはギリシアヘレネスの西は蛮族の部族集団が割拠する未開の地だ。

 現在のギリシアヘレネスの政治機構では、それらをまとめることは出来ていない。

 アカイネメシスも旧古代王国を支配するにはしているが、古代王国時代の国体を維持し、傀儡の王ファラオを選んで送り込むという形式だし、文化的な同化や軍制を統一する意思を感じない。

 おそらく、俺達が世界政府を目指すのなら、もっと違った制度――統治機構が必要になる。

 ……その辺、王太子には案があるんだろうか?

 現状、テレスアリアにおいても問題が起こってから対処するというような状況となってしまっていて、完全に統治しているとは言えないんだし。


 横目で王太子の様子を窺うが、一見すると居眠りしているようにも見える仕草で薄く目を閉じて話に耳を傾けているだけだった。

 と、王太子を右目に捉えている俺の顔の傾きに気付いたのか、クレイトスがくしゃっと俺の髪を掴んで声を上げた。

「具体的な金額や金策はともカく、方針は二つなんじゃねえのかネェ?」

 他人の心の中を覗くことは出来ない、ということなのだろう、多分。

 俺も具体的な戦略の話に移りたいと思っていると解釈したのか、クレイトスが話題を攫っている。

「イオニア諸島もしくはヴィオティア本国を攻めるか、防衛戦に専念してテレスアリア遠征軍だけを潰すのか」

 クレイトスは指をひとつ立て、それから言い終えてからもうひとつ立て、皮肉っぽい笑みを口の端に浮かべて、過去の交易に関して議論している文官を視線でひと睨みした。

 が、本国を攻めると言う言葉に、支配の限界距離ということを考えていたこともあって俺は少し噴き出してしまい、クレイトスの手をやや乱暴に頭から跳ね除け――。

「お前は、話を聞いてないのかよ……。ヴィオティアはめんどくさいんだから、停戦交渉で手間取る事を避け、ヴィオティア本国以外から包囲を狭めるのが良いに決まってるだろ」

「じゃあ、連中のアクロポリスをほっぽっとくっつうノかよ? また、攻められて迎撃されての繰り返しカ? ラケルデモンがしてた泥沼の戦争と変わンねえだろ、それ」

 俺に反論されるとは思っていなかったのか、クレイトスが食って掛かるが「倒す敵の段階と順番を見誤るなって話だ。テレスアリアは肥沃な農業国だ。秋には大麦を蒔く必要があるし、果実の収穫や加工も無視するわけにはいかない。ヴィオティアが多方面作戦を展開中ならまずは遠征軍を叩くべきじゃないか?」と、指摘すれば、クレイトスは完全に納得していないものの、議場全体では俺の意見に同意する者がやや多いように感じられた。

 実際問題としてテレスアリアの農耕地帯を確保したのに、麦が得られないのでは来年の国庫に響く。

 それに、元々がテレスアリアは大穀倉地帯なのだ。ヴィオティアを攻めて補給線を脅かしたとして、遠征軍が冬越しの食料を現地調達するのは充分可能であり、倒せる敵を放置して来年度の収入を減らすことはバカげている。

 常備軍を有するマケドニコーバシオにとっては――とはいえ、装備を自弁する他国の市民軍でも遠征中の物資に関しては国庫負担になるだろうが――戦争だって、無料じゃ出来ないんだからな。


 他に戦略に対する意見が出なかったので、皆の顔が王太子へと向かうと、穏やかな調子を崩さずに王太子が口を開いた。

「イオニア諸島の資金源については、実は多少は心当たりがある」

「と、言うト?」

 クレイトスがいつもの調子で王太子に訊ねると、何人か眉を顰める者もいたが、クレイトスの軍人としての功績と、王太子自身が気にしていないことで、この場で会議を中断してまで咎める者は出なかった。

「これだ」

 王太子がテーブルの上に転がしたのは、突起のある巻貝の貝殻で、なぜこれが資金源なのか俺はよく分からなかった。食料としては小振りだが……まさか、西方では貝殻を貨幣にするとか言わないよな? レスボス島には、大昔の東の果ての国で使われた貨幣と言う貝殻が持ち込まれたこともあったが……。

 俺が訝しむようにそれを見ていると、王太子は苦笑いで続けた。

「アーベルには馴染みがないか? 紫の染料で、西方では王の色として重宝している。己や兄弟の服にも使っている物もあるんだがな。地中海の南東の方が産地だが、七つの島でも多少は獲れる」

 悪いがあんまり俺は着る物に関しては拘ってなかったので、ああそうか、としか言えない。まあ、ミュティレアで取り扱う染料も高いのはあったはずだが、それを自分で使おうとはあんまり思わなかったしな。

 着る物に金を賭けるぐらいなら、その分兵士を増やした方が結局は得だ。

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