Alphekka Meridianaー10ー

 正直、ヴィオティアに関しては俺よりもここにいるマケドニコーバシオ生まれの王の友ヘタイロイの方が明らかに詳しいと思うんだが……。

 まあ、だからこそ、先に俺の聞き及んでいることを話せってことかもしれない。

「元々、ラケルデモンとヴィオティアはだらだらと戦い続けていたが、その原因は昔のアカイネメシスのギリシアヘレネス侵攻まで遡る。開戦当時は、ギリシアヘレネスは全都市の参加する祭りの最中で、充分な兵力は送れなかったが、だからこそラケルデモンを中心とした小規模連合部隊がテルモピレーで足止めを行なった。その際に、ティーバの兵はアカイネメシスに投降し、以降の戦いではアカイネメシス側としてギリシアヘレネスと戦った」

 当時、マケドニコーバシオもアカイネメシス側で戦ったからか「しかしあれは、圧倒的劣勢であり、抵抗だけが唯一正しい道ではなかったはずだ」と、反論が飛んできたので、俺は一度頷いてから続けた。

「それは否定しない。ただ、当時のギリシアヘレネスは連絡部会によって抵抗を決めていて、決戦の準備を整えるためには誰かが足止めをしなくてはならなかった。その中で最後まで戦わずに敵に投降し、あまつさえその戦闘以降は国家そのものが敵側に寝返ったとなれば、心象はすこぶる悪い」

 実際、その時のラケルデモン軍は、戦場の王――ラケルデモンには、通常内政と外政を担当する二人の王がいて、常に片方の王が戦場で指揮することで兵の士気を上げている――を含むすべての兵士が死ぬまで戦っている。

 その事実は確かに誇るべきことだった。昔の俺なら、正しい行いと信じて疑わなかっただろう。

 ただ、十倍以上の戦力差で踏み止まり武勇を上げたラケルデモンは、その後は軍事を偏重した政策へと傾倒していき……いや、今はそんな話じゃない。

「ティーバがその後、どうなったかは、知っていると思う。アカイネメシス遠征軍の策源地となるが、反撃に転じたギリシアヘレネス連合軍と、現在のアテーナイヱとヴィオティアの国境周辺で戦うも敗北し、都市は破壊され、一度は都市国家としての権利をも剥奪された」

 まあ、その後の都市国家間の諍いや、色々な駆け引きがあり、最終的には十年かそこらで許されてはいるんだがな。

 アカイネメシスが侵攻してくる以前から向こうに組していたマケドニコーバシオとの扱いの差はそこだろう。マケドニコーバシオに関しては、ごく最近までギリシアヘレネスの一員とみなさない風潮もあったんだし。

 いや、ラケルデモンとギリシアヘレネスを二分する勢力となった今でさえも、感情的な部分でマケドニコーバシオへ加担するのを嫌がり、ラケルデモンに向かった都市もあるぐらいだ。

 過去の因縁に決着がついた、とは未だ言えないのかも知れない。

 とはいえ、いつまで過ぎた事に拘るんだって話だが……。そういう、連中は新たな戦いで叩き潰さなくては結局目が覚めないんだろう。

 時は流れる、時代は変化するモノだ。

「現在のヴィオティアは主権を回復してはいるが、ラケルデモンは未だにテルモピレーを忘れていない。和平を考える指導者はラケルデモンにはおらず、戦争によって決着を望んでいた……はずだったんだがな」

 軽く最後に自虐して見せたのは、話している内に一部の王の友ヘタイロイの機嫌が悪くなっていることに気付いたからだ。

 別に、人の顔色を窺って喋るつもりも無いが、今後の戦術戦略の話で足を引っ張られても面白くはない。


 って、若手のつまらない言い合いをバカにしていたってのに、俺達は俺達でそんな部分にも気を回すってのもなんだか皮肉な話だな。

 ただ――。

「つか、なんでその陸戦最強国様様が、ヴィオティアに梃子摺ってたんダぁ?」

 横のクレイトスが挑発してくることで、他の連中は黙った。

 って、そもそも、文句を言いたがってた大多数が俺と仲の悪い財務管理なんかの事務方の王の友ヘタイロイなので、前線にいる俺達二人の言い合いには混ざりたくないんだろう。俺とクレイトスのはどこまでがおふざけで、どこからが喧嘩か分かり難いって話しだし。

「いや、実は初期はラケルデモンもティーバの権利回復に関わっていたらしいんだ。ラケルデモンと同盟関係にあるコンリトス側からの働きかけと、アカイネメシス戦で戦功のあった海軍国――アヱギーナや、民主制アテーナイヱの前進になった都市国家群との対立からな」

 嵐の中で立てられた誓いは、平穏の中で忘れる、とは上手く言ったものだと思う。

 アカイネメシス戦後の各国が共同で出し合った軍資金の奪い合いで、場所によっては都市国家同士の対立が激化した地域もある。

「ほンとに、それだけか?」

 顔を寄せ、にやっと口の端に笑みを乗せるクレイトス。

 クレイトスがしつこく訊いて来ることから察するに、純粋にマケドニコーバシオ人のクレイトスとしてもさっきの話はあんまり面白くなかったのかもしれない。

 俺は――ここで嘆息するわけにもいかず、軽く一度目を伏せてから返事した。

「現状を見れば、負け惜しみとしかとられないかもしれないが、正式に開戦していれば、ラケルデモンは勝利したと思う。ただ、ヴィオティアと戦うのか、その中のティーバとだけ戦うのかといった部分で色々と揉めたらしい。ラケルデモンと敵対していたのは主にティーバだが、それ以外の都市は対立を回避するものもあったし。ただ、戦端が開かれれば団結する、そういう変な国だから、訓練も兼ねてだらだら戦ってるのだと思っていた」

 実際、ラケルデモンとヴィオティアの戦いは、旧コンリトス領で独立を果たしたメガリス――とはいえ、独立初期を除いてラケルデモン及びコンリトスとの関係は良好で同盟……より厳密には保護国化しているため形式的独立だが――近辺で、膠着した戦線で、どちらかが大勝することもなかった。

 メガリスからは軍事費を奪い、ティーバ人の奴隷を適度に得て、たるんだラケルデモン軍団に活を入れる。そうした、経済活動としての戦争だと俺は思っていた。


 しかし、俺の話を聞いたクレイトスはにんまりと笑って立ち上がり、話題を奪った。

「アーベルの言ってることも間違っちゃいねえが、本当の理由は別にある。コンリトスもメガリスも商業国であり、ラケルデモンとヴィオティアの両方に軍需物資を売って儲けていた。あの戦争は終わってはいけなかったんだ」

「別に、よくある話だろ?」

 ぶっちゃけるなら、テレスアリア兵を救援したランプサコスの戦いの際の俺達の行動も、ラケルデモンを支持するとマケドニコーバシオが国家として表明してる以上、褒められたものじゃなかったし。それとそう変わらない。

 同盟だなんだといっても、最後の最後では自国の利益を取るし、それが普通だ。

「次に、これまでラケルデモンがティーバを攻め切れなカった理由だが、ヴィオティアにおける軍事革新もあル」

「……いや、俺の知る範囲でだが、斜線陣を使われたことは無かったはずだぞ?」

 もし、あの戦術が実戦で使われたのなら、ラケルデモンの戦線にかなりの被害が出たはずだ。

 メガリスがたとえコンリトスに武器を売っていたとしても、戦ってる現場の兵士や指揮官としては手加減していたとは思えない。メガリスと商取引を続けることと、ラケルデモンの影響力を駆逐することは矛盾していないから。

 もし、そうした新しい戦術や、今マケドニコーバシオで主力となっているサリッサ――これまでの槍の二倍近くの長さのある槍――のような新兵器を用いられたのなら、俺がいた場所が辺境だったとしても、なんらかの注意や対策が伝達されたはずである。


 俺の指摘に、クレイトスはどこか嫌そうな顔をしたものの、説教と言うよりは授業でもするような教えてやるって態度で答えた。

「アレは、その粋だ。それ以前の試行錯誤の過程で、徐々に戦力を五分に持っていったンだよ」

「では……」

「おそらく、今回コンリトス、メガラがラケルデモンを裏切りヴィオティアについた」

 いや、俺はその試行錯誤の過程を聞きたいのであり、戦力が互角になってなんとかその二国を引き込んだって当然の帰結を促したかったわけじゃないんだがな。

 しかし、ふんすと鼻息を荒くしたクレイトスは俺のそうした心の機微には気付いていないのだろう。

 どうも、こういう部分ではクレイトスとリズムが合わないな。


 本音を言えば、国王から伝え聞いたエパメイノンダスという人物に関して、その軍事改革に携わっているのかどうか、裏を取りたかったって部分もある。それと、王太子派の面々がソイツを知っているのか、知っているならどう思っているのか、とかもな。

 中々、こういう搦め手は上手くいかなくて困る。

「……なぜ、そうなった?」

「そりゃ……なンかあったんだろ。なンか、が。理由まで探ってどうするよ」

 いや、どこの勢力までが敵なのかを知る上では、そこそこ重要じゃないかと思うんだが。最初の俺の物言いが気に入らなかったとかはあるかもしれないが、それ以上に、ラケルデモンは戦争続きで人的資源の損失が多く、かつ、戦後処理による賠償金の大量流入による兵士の質の低下といった情報に依存し過ぎている気がする。

 ラケルデモンが敵国となったが故の侮り、とまでは言えないんだろうが……。

「急にヴィオティアが拡大政策へと切り替えたからには、なにか新たな裏付けがあると思うんだが……」

 そう呟きながら、ちらっと王太子の方を横目で窺うが、無言で会議の成り行きを見守っているところから察するに判断に迷っている、もしくは決断するには材料が足りないと思っているんだろう。

 一応、議場全体に視線を巡らすが、ひそひそ話はあるようなもののどれも決定力に欠けるのか、ヴィオティアの急な侵攻とその行動分析、国情に関して補足出来る者はおらず、中途半端な間が開いてしまった。


 情報が出てこない以上、取り合えず分析はここまでにして、戦場の確認と動員する軍団についての話題へと切り替えようかと思った所で、急に扉の前が俄かに騒がしくなった。

「どうした?」

 最初、今回、目付け役で一緒にテレスアリアへと向かうパルメニオンが来たのかと思ったが、それなら揉める必要はなく、別室で待機するように衛兵が伝えるはずだ。前に会った際の印象からも、そこでごねるとは思えない。


 俺だけでなく、他の王の友ヘタイロイの視線も扉に集まると、おずおずと顔を出した兵士……? ああ、レスボス島の伝令だな。そんなに長い時間本国から隔絶しているわけじゃないんだが、既に若干の兵装の差異は生まれている。

 海に慣らしているからか、潮っ気を感じる立ち振る舞いは畜産や農業が根幹にあるこの国ではどこか浮いて見える。

 プトレマイオスからの伝令は、視線の集中に顔を赤くして、必要以上に畏まって報告を始めた。

「レスボス島より伝令。現国王派の策略に寄りアーベル様が……」

 右腕を上げ、ひょこっと顔を出して見せる俺。

「もう、皆、知ってるッテの」

 頭の後ろで手を組み椅子にぶっかかってクレイトスが言えば、リュシマコスは俺を親指で指差し。

「あと、そんな問題にもなってないし、これが殺して死ぬたまか?」

 一応好意的に受け止めるなら、リュシマコスの言葉の裏には暗殺のためにおびき寄せられた可能性があり、まあ、まだ優しさはあるってところか?

 どっか喜劇的になった会議の空気に、目を細めてから鼻で笑うと、クレイトスは俺の挑発に顎をしゃくって応じてきた。

 ただ、そんな冗談めいた空気は一瞬のことで、伝令が次いで発した言葉に議場は再び沸き立った。


「ま、また、プトレマイオス様より『取り引きを精査し、ヴィオティアに対しイオニア諸島より資金の大規模な流入を確認』とのことです。尚、戦争海域と交易していたガレー及び三段櫂船は、敵の接収を避けるためにテッサロニケーに退避、集結済みです。以降、アーベル様の指揮下に入ります」

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