Alphekka Meridianaー12ー

 ともかくも、島の特産品ということは、島を押さえれば資金流入はある程度止まるという事だ。

 位置的にはマケドニコーバシオから直接向かうには遠いが、現在のマケドニコーバシオには……いや、王太子派には充分な数の軍艦とその扱いに慣れた海軍があり強襲作戦も充分に可能だ。

 島の規模次第だが、テッサロニケーに集めた軍船でも占領できるかもしれない。

 と、具体的な遠征軍の編成と、航路から考えた所要日数と必要物資を計算しようとしたんだが、それを遮ったのも王太子だった。

「兄弟、自分で段階を踏めと言ったのに、いきなり飛躍しようとするな。補給もなく大部隊を送り込めばアテーナイヱのシケリア遠征の再来だ」

「俺が直接指揮を執ってもか?」

 周囲の王の友ヘタイロイは、おそらく俺を辺境で完全に自由にさせる事を危惧してざわついたんだろうが、反面、目立った反論も出なかった。既にレスボス島における占領統治で実績があり、常に最前線に立ち武勲を挙げてきた以上、俺以外の適任者はいない。

 まあ、良い印象を持ってないヤツもそりゃいるだろうが、働きぶりに関しては信用してるって事だ。

 もう一度、右目で王太子を視界の中央に捉える。

 王太子は、ゆるゆると首を横に振って、軽く微笑んで答えた。

「兄弟には、別の事を頼みたいから言ってるんだ」

 別のこと? と、誰かが呟くも、王太子は俺に向かって続けた。

「少し思う所がある」

 珍しい言い回しだと思った。

 いや、仲間内に敵の間諜がいる前提では動いているが、だからこそ王太子が発する言葉は充分に吟味されているのが常である。仲間であるはずの王の友ヘタイロイを前に、隠し事をしていると宣言しているようにも受け取られる言葉に引っ掛かりを覚えたのは、だからだ。


 態度には出さずに視線で訊ねる俺に答えず、王太子はそのまま戦略を話し始めた。

「まずは、テレスアリアに侵入してきた遠征部隊を分断して殲滅する」

 巧者は、さっきの言い回しに潜むなにかに気付いている様だが、主である王太子がそれ以上話さないのであれば、無理に問い詰めるような人間は……。いないと言い切れない部分はあるが、王の友ヘタイロイが全員集合している今は詰問すべきではない、と、隣のクレイトスも思っているようで、椅子に踏ん反り返る態度だけで止めているようだった。

「アーベルは少数の投石兵を率いて現地へ陸路で向かい、テレスアリア軍及び北部から西部にかけての防衛線の指揮を行ってくれ」

 ――っと、周囲の様子を窺っていたことで流しそうになってしまったが、最初の命令の時点で充分に変だった。

 いや、確かに俺は騎乗出来ないので騎兵を指揮するわけにはいかないんだが、軍団兵ではなくテレスアリア兵を使えってのか?

 ……俺もテレスアリアの軍制改革に関わってる身で悪いが、マケドニコーバシオの常備軍と比べれば、テレスアリアの自由市民による重装歩兵隊なんて、囮か数を恃んだ脅しにしか使えないと思うんだが。

 マケドニコーバシオ式の斜線陣にしたって、その新式のファランクスを編成展開したら絶対に勝てるというわけではない。むしろ、斬新な戦術だからこそ、その戦術を兵士や指揮官が熟知し非日常である戦場において使いこなせなくては意味がないのだ。

 そういう意味ではテレスアリア人が指揮するよりは、俺が良いのかも知れないが……。

 しかし王太子は、溜息を辛うじて飲み込んでいる俺に、大きく頷いて見せた。

「そうだ。船と水夫はこちらで貰うぞ。騎兵を敵後背へと輸送し、山岳地帯の敵兵站線を撹乱の後に壊滅させ、防衛線を再構築。敵を盆地内に閉じ込めてから、殲滅する。その間、敵の目を引き付けておいてくれ」

 はっきりと命令として発せられれば、否とは言えないんだがな。あんまり面白くなさそうな仕事でも。

 テレスアリア兵は兵站線だけが強みだ。連中にとっては祖国での戦いである以上、兵士を集める事は容易であり、損耗には強い。敵の挑発に応じず、守りに徹していれば防衛線を維持することは出来るだろう。

「包囲網が完成したらどうする? 敵がそちらに向かうようなら野営地を確保するが、篭城するようなら……」

 敵が一戦を志向すれば、騎兵とテレスアリア兵で包囲殲滅できる。だが、篭城されれば厄介だ。

 その場合、俺達マケドニコーバシオ軍の降伏勧告を受けるとは思えない。テレスアリアの土地を蹂躙した以上、退却中に現地民やテレスアリア軍から攻撃を受けることは分かり切ってるだろうからな。

 王太子が盆地の出口に蓋をすれば尚更だ。

 当てのない篭城でも、少しでも長く生き延びる方を人は選ぶ。

 力攻めで被害を出すよりは、死体を使った疫病で攻めれば犠牲を最小限に抑えられると俺は踏んでいた。時期的には申し分ないし、かつて篭城を選択したアテーナイヱのアクロポリスに甚大な被害を出した事も分かっている。


 だが、意外な事に王太子ははっきりとそれを否定した。

「駄目だ。農業地に疫病を流行らせてどうする。毒も使うな。己の予想が当たっている場合、敵は勝手に自滅する。もし外れるのであれば、それがヴィオティア軍の本隊であり、やはり武威を以て倒すべきである」

 言っている事は分かるが、王太子の内心は読み取れなかった。

 ラケルデモンは農業国であり、現地を長期間汚染するような毒や病を使わない事は王太子も知っているはずだが……。奴隷として酷使されているであろうテレスアリアの現地民を、巻き込むことに対する人道敵見地だけでは上手く納得出来ない。

 戦術を制限する以上、なんらかの戦略的意味があるはずだが、それはいったい?

 考え込む俺を他所に「それと、作戦を伝えるためパルメニオンを呼んでくれ。ああ、それと、もう夜も遅いのでパルメニオンと同行するアーベル以外の者は先に休んで遠征に備えてくれ」と、王太子が会議をまとめる。

 ……まあ、パルメニオンもあくまで督戦として参加し、かつ、ヤツ自身が騎兵じゃないのなら俺に就ける意図も分かる。俺にパルメニオンを就け、テレスアリア兵を指揮している場面を見せることで手の内を隠す。

 まあ、古参の王の友ヘタイロイは別としても大半はそれが王太子が隠している秘策であり、『思う所がある』と言った部分だと納得した様子だった。

 その程度に世界が単純なら、物事はもっと簡単に進むんだがな。やれやれだ。

 聞く限り、ヴィオティア軍も弱卒ってわけじゃないんだから、あんまり面倒な付帯事項は設けられないといいんだがな。


 各自自室へと戻る関係上、手元のランプを手に部屋を出てゆくから、人が減る度に壁が闇に塗りつぶされていく。クレイトスが悪戯っぽく俺のランプを吹き消そうとしたので、座ったままで膝を上げて、今日は俺がクレイトスの尻を蹴っ飛ばした。

 躓き掛けて態勢を立て直したクレイトスが「バーカ」とか言いながら、王の友ヘタイロイの最後尾についてリュシマコスと一緒に部屋を出る。入れ違いに、パルメニオンが部屋へと入ってきた。

 アンティゴノスは古強者と紹介していたが、年齢的には戦士……いや指揮官としては丁度いい時期なんだろう。頭髪に微かに白いものが混じっているようだが、部屋の暗さに苦労している様子もない。


 パルメニオンの背中で、衛兵によって木の重い扉が閉められる。

 宵闇の薄明かりの中で浮かぶパルメニオンは、容姿の部分ではどこかとぼけているようにも見える。アンティゴノスよりは若く、俺や王太子よりはかなり年上ではあるはずなんだが、物腰が柔らかいせいもあって威厳というものはあまり感じられない。

 まあ、こういう言い方では、大半の王の友ヘタイロイが該当してしまう年齢層だが。多分、クレイトスより十ばかり年上って所か?

 意図して凡庸に偽っているのかどうかはちょっとよく分からないが、王太子の近習のヘクトルとそっくりな潰れた鼻の形からは、多分に血筋による部分も大きいのだと思う。

 足元に気をつけている素振りを見せているが、暗がりの気配を――誰かを物陰に潜ませていないか――慎重に探っている。だが、こちらとしても、そうした足運びや腕の振りから、腰の剣以外にも脇腹に短剣を忍ばせている事に気付いているのでお互い様ってところだろ。


 部屋にいるのは三人だけである、と、確信が持てたのか、パルメニオンは俺の隣ではなく王太子の左側の席へと着いた。

「……おい」

 軽く嘆息し、武装した上で必殺の間合いに王太子を捉えるパルメニオンに呼びかける。

 いつでも立ち上がれるように椅子には半分しか腰掛けていないが、ここからだとテーブルを跳び越す間にパルメニオンが王太子へ斬りかかる方が早い。

 俺が国王の前に居た際と逆になる形でパルメニオンの動きを警戒し、親指で斜め後ろを指し示し、俺の横へ移動するように促したのだが、それを止めたのは他ならぬ王太子自身だった。

「この男は大丈夫だ」

「あん?」

 パルメニオンは、一度俺を見てから王太子の表情を窺っている。王太子がパルメニオンに頷いているが、俺はどうにも訳が分からなくて首を傾げるだけだった。

「ヘクトルは知ってるな?」

 王太子の右腕として戦場を駆け回り、また、平時においても身内としてアデアと一緒にいるこの俺がヘクトルを知らないとは思っていないだろう。ここで訊いているのは、より正しくは、ヘクトルはこの男の身内だと知っているな? と、いう事のはずだ。

 どっか既視感を覚える場面だな。

 っていうか、つい最近それを教えられたばかりだ。敵側の陣営から。

「ああ、ってか、国王に接触された場面でその話も聞いた」

 王太子は、少し驚いたような顔をして俺からパルメニオンの方へと視線を移した。

「なんだ、親父殿はお前を控えさせてたのか」

 お前、という言葉の響きに警戒する色は薄く、それどころか、どこか親近感を感じ、俺はちょっと首を傾げて見せた。

「ヘクトルは近習だが、人質として差し出されたという側面もある。王の友ヘタイロイのフィロタスも知ってるだろ?」

「組んだことがないので詳しくはないが、騎兵隊を率いる王の友ヘタイロイのひとりだろ」

 クレイトスからはフィロタスもかなり出来る男とは聞いているが、俺に対する向こうの印象があまりよくないのか、直接話をする程ではなかった。まあ、つるんでいる連中から判断するに、俺のような外国人の王の友ヘタイロイへの印象があまり良くない一派なんだと思う。

 確か、フィロタス自身が貴族の名家の出だとも、どっかで聞いたっけな。

「ああ、そういえばそうか。アレには別働隊を任せることが多かったからな。って、お前は興味のない人の名前はとことん覚えないな。フィロタスもパルメニオンの子供だよ」

 あっさりと告げる王太子。

 ううむと、腕組みして唸る俺。


 正直、訳が分からない。

 いや、確かに俺は戦争や裏工作を担当することが多かったが、細かい身辺調査なんかは必要に応じて説明を受ける立場であり、正直そうした縁戚関係については他の仲間から聞かされる事が多かった。プトレマイオスや追放された王の友ヘタイロイに関しては、島で働いてもらってる関係上、俺が連絡を付けなきゃならんので本国に残っている血縁とかも詳しいんだが、反面、本土の細やかな人間関係についてはどうしても後手になってしまう。

 っつか、することも多いし、レスボス島の主要な顔役や、テレスアリアの要人を覚えるのを優先していたし、警戒心の強い王太子のことだから、身辺には充分に気をつけてると思っていたので、内偵のようなことはあまりしていなかったのだ。

 俺自身は、調査よりも暗殺や工作を行なうと決定してから出向くのが常だった。

「あの子は母親似ですから」

 と、パルメニオンがどこか照れ臭そうに言えば、確かにフィロタスは鼻筋が通っていて容姿がパルメニオンやヘクトルとは似ていないのを思い出したが、その程度だ。

「誰が敵で、誰が味方なんだ?」

 アンティゴノスもそうだし、現国王派の重臣でもあるパルメニオンの態度――正直、王の友ヘタイロイのフィロタスや人質兼近習のヘクトルの事を考慮しても、パルメニオンが完全に味方だとは思えなかった。

 いや、確かに、旧都アイガイで俺の行動を止めたのは、その後に起こるであろう国のゴタゴタを考えれば、王太子派である振る舞いとしても間違いは無かったように思うが……。別の見方をすれば、アンティゴノスとパルメニオンの二人ともが味方だったなら、殺った後で上手く理由をつけて王権を簒奪出来なかった場面ではない。いや……、そう、穿った見方をしなくても、単に、第一印象が第一印象だったせいか、どうにも俺はこの男が信じきれないんだよな。

「それが分かれば苦労はせん」

 呆れたような顔で王太子が憮然とした様子で呟き、パルメニオンは肯定も否定もせずに「誰もが味方であり、潜在的には全てが敵とも言えるでしょうな」と、常識人の顔の中にどこか野心を混ぜた眼差しで答えた。

 まあ、な。神話の時代から、他人が何を考えているを読めずに不幸な擦れ違いや、誤解から取り返しのつかない結末をもたらした、なんて良くある話、か。

 ただ、当事者になってみれば、ここでパルメニオンを信じるのが正しいのか、疑って処分するのが正しいのか、正解が見えないもどかしさを感じてしまうがな。

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