Alphekka Meridianaー13ー
「というか、今回はパルメニオンに上手く渡りをつけてもらう必要がある戦略なんだ。そういう顔をするなよ、兄弟」
王太子が困ったような声を出すので、俺は苦笑いで応じた。
「……分かったよ。この男じゃなくて、兄弟への信頼によってパルメニオンも信用する」
子供じゃないんだ、個人的な好悪で作戦を台無しにするつもりはない。それが必要であるなら、警戒しつつも友として振舞える、と、思う。
どの程度、王太子は俺の言葉を信じたのかは定かじゃないが、やれやれと言った顔をしつつも説明を始めた。
「まず、今回のヴィオティア遠征軍は己達に有利に働いている」
「なぜ?」
さっきまでの王太子派内での会議の内容を覆すような王太子の発言に、訊き返す俺。
正直、現国王派はともかくとして、テレスアリア併呑に関して前面に出ている我々王太子派にとって、めんどくさい事この上ない動きだと思うんだが。
王太子は、あくまで冷静な顔で続けた。
「誰もが次の大戦は、ラケルデモンとマケドニコーバシオだと考えていたし、事実、数字の上ではこの二ヶ国で
頷く。
事実、経済規模も軍の人員でも、ヴィオティアはマケドニコーバシオやラケルデモンと比べても半分以下、軍の規模も戦力も三分の一程度……のはずだった。公になっている数字や、諜報活動による情報では。
「そして、前評判でいうなら、戦力的にはラケルデモン有利と言われていて、事実マケドニコーバシオと物理的な距離が近い島や都市でも、ラケルデモン側に付く例が多かったが、ヴィオティアが騒乱を起こしてから、その動きがぴたりと止まった」
「軍事大国、最強の陸戦国が、本土への侵攻を許したからな。信頼も揺らぐ、か?」
王太子が言わんとしている事も分かるんだが、正直、旗色を見て鞍替えするような連中は使い物にならないと思うんだがな。精々が輸送部隊や、拠点築城のための補助兵程度で、前線に立つような連中じゃない。
考えて動くと言うよりは、保身で動く連中だ。
いざと言う場面では、その逃げ癖で軍を乱すに決まっている。
「どこをヴィオティアが攻めたかは分かるか?」
皮肉を浮べた俺とは裏腹に、真剣な眼差しで王太子は訊いてきた。
「いや……コンリトスなんかが裏切ったってのはさっきまでの話なんだし、ラケルデモン北部の辺境都市じゃないのか?」
そういえば、具体的な場所については聞かされていなかったが、そもそもラケルデモンは秘密主義の国だし、また、物理的な距離もあってまだ情報が届いていないんだと思っていた。
ただ、消去法で考えるなら、ラケルデモンの防備が手薄だったコンリトス国境付近――古くからの同盟国、しかもただの商業国だと、甘く見ていた節がある――だと漠然と考えていた。
山岳地帯は守る上では有利とも言えるが、その分、行軍速度が鈍る。ラケルデモンのアクロポリスから援軍を出したとしても、山越えに時間を食われて間に合わず、交易用の都市や関所が陥落したというのなら、居留外国人のいる関係上、納得しやすい。
しかし、王太子は首を横に振って「ラケルデモン西部――かつて、メタセニアがあった場所だ」と、重くはっきりと告げた。
胸が、ざわつく。
嫌な部分を衝かれると動揺する悪い癖だ。アンティゴノスに国王の前での表情の変化を指摘されたばかりだってのに。
「……成程、確かにメタセニアなら、ラケルデモンでありながらラケルデモンではない土地か。ラケルデモンの指導部は、数で勝る奴隷の反乱を恐れていた。奴隷に奪われるのを警戒して、まともな防御施設は建てなかったしな。最盛期のラケルデモンならいざ知らず、アテーナイヱの富の流入によって格差の生まれた今は、占領地よりも自分の命が惜しかったんだろうな」
努めて冷静だったはずの言葉は、どこか拗ねている様な、いくつもの感情が綯い交ぜになったもので、到底将軍としてあるまじき台詞だった。
「……やるのか?」
二人の視線を受け、一度天を仰いでから視線を戻す。
既に頭は冷えている。
自分自身のやるべき事を忘れはしない。
俺の問い掛けに、王太子が頷いてみせる。
「既にメタセニアが落ちたのであれば、ラケルデモンと組み、ヴィオティアを征服し、最後にラケルデモンと改めて決戦を行った方が効率的だ。ここで、両者と戦うのは得策ではない。己達が勝ち過ぎれば、ラケルデモンとヴィオティアが組む可能性もあるからな。そして――メタセニアの件ではこちらに切り札がある。そうだな?」
試している、というと語弊があるが、俺自身が何者なのかを測るように、瞳を覗き込んでくる王太子。
いつかどうにかしたいとは思っていたが、それが今日来るとは思っていなかったんだが……。
アデアの事、エレオノーレの事。俺自身が得るもの、失うもの。
数年前、王太子からアルゴリダでの一件の後、アデアとの婚約の時は、結婚について漠然と必要だからする程度に思っていた。その事が、今、はっきりとした質量を持って掌の中にある。
俺に選べるのはひとりきりだ。マケドニコーバシオでは、妻を何人も娶れるとはいえ、守りきれる確信も無いのに女を侍らせる趣味はない。自分自身の出来る事と出来ない事を、マケドニコーバシオでの日々の中ではっきりと俺は理解している。
そして、誰に気持ちが傾いているのかも。
「……その通りだ。マケドニコーバシオの王族とエレオノーレの婚姻を進めよう。その上で、メタセニアの件は援軍と引き換えに独立を認めさせる。ラケルデモンは農地の約半分を失い、経済基盤も危うくなる」
パルメニオンはちょっと意外そうな顔を俺に向けたが、瞬きの間にはいつもの表情に戻していた。逆に王太子の方が、俺がそこまで明言すると思っていなかったのか、少し慌てた様子で訊き返してきた。
「いいんだな?」
念を押す王太子に、苦笑いで応じる俺。
「……ああ、待たせて悪かったな」
はは、と、王太子は軽やかに笑って「そういうのは、アデアに言ってやれ」と、嬉しそうにからかってくる。
……言えるわけないだろう、と、思う。
エレオノーレを守ろうとする度、ただ消耗していくだけのような、そんな徒労感を感じ始めていたなんて。気付いてしまえば、もうずっと昔からエレオノーレの前から逃げたかった、なんて弱い気持ちを。
エレオノーレが居たから、アデアと上手く関係を構築出来ているのだと思う。うん、俺の世界を開いたのは、間違いなくエレオノーレだった。
でも……、いや、最初から分かっていたはずなんだけどな。俺とエレオノーレの目的地が違うことなんて。
そして――、良い人であろうとして、沈んでいくエレオノーレではなく、我侭に奔放に振舞うアデアになにも持たずに旅立った頃の自分達の面影を見ている。
いや、それも正しい表現ではないな。
アデアはアデアだ。切っ掛けは、確かに忍び込んだ王宮でエレオノーレと見間違えたことだったのかもしれないが、今はもう違う。一人の人間として、男と女として向き合えている、と、思う。
「パルメニオン、督戦の傍ら、現国王派にラケルデモンとの同盟について働きかけろ。今は睨み合っているものの、ラケルデモンがアテーナイヱを攻めた際は支持してやったんだ。しかも、今回は共通の敵もいる。難しくはないな?」
どこか浮かれたような口調で王太子がパルメニオンに質問の形を取りつつ命令している。
「簡単でもありませんが、出来る限りを尽くしましょう」
パルメニオンがやや難しい顔をしながらも請け負えば、俺も防衛線の維持に関して「基本的には、遅滞戦闘で磨り潰して、ラケルデモンとの同盟成立後に叩き潰すって形でいいんだな?」と、確認する。
もっとも、テレスアリア兵だけで殲滅出来るとも思っていないが、ただ遊ばせておくのももったいない。実戦に勝る訓練はないんだから、
無論、損耗はするだろうが、地理的に補充は充分に可能なはずだ。
「ああ、パルメニオンが親父殿との連絡を受け持つ。が、誰を援軍に出すかは流動的だ。アーベルが前に出て向こうが嫌がるようなら、レスボス島から援軍を出す。あの島の帰属は曖昧にさせてあるからな。プトレマイオスへは己が伝えるので、アーベルはそのまま陸路で防衛線に合流してくれ。アデアとの結婚式は、戦後で計画を進める」
具体的になっていく結婚の話に、本当にこれでいいのかと不安になる気持ちがあるのは否めない。
ただ、もし、そうなるのであれば……相手はアデアしかいないとも、今は思っている。
俺はこれからも戦い続ける。戦う理由を変えることは出来ても、戦い続けることだけは変えられない。
そういう俺の側にいるのなら、アデアのような性格じゃなきゃとてももたない。
しかし――、ふん、と、軽く鼻を鳴らして思い出し笑いをしてしまう。
具体的な家族の姿なんて全く見えてこないが、アデアとなら滅茶苦茶なままでも、走り続けられそうだと思っていた。
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