Alphekka Meridianaー14ー

 今後の方策が決まれば、後は時間との勝負になる。

 準備もせずに他国を攻めるバカなんていないんだから、こちらの動きが遅れる程、ヴィオティア軍による被害が拡大する。

 遠征のためには、兵士を集め、食料や武具を揃え、船による輸送計画を立て……と、することは多いが王の友ヘタイロイは優秀だし、ペラには既にある程度の兵士も連れてきている。準備に約五日で、船で一日移動し、敵に奪われた国境防衛線の再攻略に十日前後。その後、部隊を再編して、ヴィオティア侵略軍との決戦……まあ、決戦前にラケルデモンとの秘密同盟の締結が絶対条件だが、早ければ二十日、遅くとも一ヵ月半程度俺が現在の防衛線を維持すればなんとかなるって算段だ。


 と、まあ、そんな何度も考える必要もないことを再確認してしまうのは、この微妙な時間を持て余しているせいなんだと思う。

 馬車で俺の目の前に座っているのはパルメニオンで、二人で向き合っていると、なんというか……。

「…………?」

 しかし、どうも緊張感を纏っているのは俺だけのようで、そんな俺の視線に対してパルメニオンはとぼけた顔で首を傾げて見せてきた。

 ゆるゆると首を振る俺。


 準備が必要な王の友ヘタイロイに先立ち、テレスアリア人主体による防衛線を指揮するため三十名程度の供回りを連れて俺とパルメニオンがテレスアリアへ経ったのが昨日。しかし、戦場まではまだ一日と少し掛かる。

 テレスアリア国内ではさしたる脅威は無いとは言え、連れて来ているのが巧者だけだからか、供回りの連中は他の馬車に分散し周囲を警戒していた。

 するべきことをしっかりと叩き込んだ部下に、今更細かく指示を出す必要はない。溜息を飲み込んだところで、不意にパルメニオンに話しかけられた。

「わたしの息子について、どう思いますかな?」

「どう、とは?」

 大凡、パルメニオンが訊きたい事は察せたが、明言し難い部分があったのと、味方とは限らない人物に素直に答えるのも躊躇われ、誤魔化してみるが「隠さずとも平気ですよ。既に顔に出てますから」と、笑顔で続けられ、言葉に詰まった。

 パルメニオンは、別段気を悪くした風でもなく、俺の表情を覗き込んだままでいる。

「フィタロスは優秀なんだろ?」

 一昨日の王太子の話を聞くに、別働隊を任されるに値する優秀な重装騎兵隊の指揮官だってことだ。ヘクトルが……そう、なんていうか、身の回りの世話だけをするにしたって、若干物足りなさを感じる部分を差し引いても、パルメニオンの家は安泰なんじゃないだろうか?

 パルメニオンがなにを俺に言いたい――もしくは、要求したいのか分からないので、どうしても探りながらの回答になる。もし敵なんだとしたら、可能な限りこちらの情報は与えたくない。

「ええ、他にも国王の下で常備の重装歩兵隊を指揮するニカノルに……アナタ方が一番動揺した、国王の新しい王妃の叔父に嫁いだ娘もおります」

 いつの間にか眉間に皺が寄ってしまい、そのことに困ったように目尻を下げたパルメニオンの表情で気付き慌てて……いや、内容としては、充分に面白くない話であり、顔を顰めても良い筈なんだが、なんとなくパルメニオンの雰囲気のせいで、無理に表情を和らげてしまう俺。

「俺の進言では、王太子はお前を切らないと踏んで挑発してるのか?」

 軽く嘆息しつつ訊ねると、今度はパルメニオンが慌てて抗弁してきた。

「まさか! 貴方がその気になれば、今この場で私の首を斬り、戦死したと報告することも出来るでしょう?」

 図星ってわけではないが、正直、考えていたことのひとつではあったので軽く肩を竦めて答える。

 つか、警戒すべきは俺だけじゃなく、テレスアリアの連中もそうなんだけどな。

 マケドニコーバシオ王を統治者として戴くことには納得しているようだし、現状、俺達による新しい統治体制も受け入れられてきてはいるが、派遣した政務担当者が行方不明もしくは事故死したって事例も少ないわけじゃない。


 王権が及ぶ範囲はそこまで広くはないのだ。辺境へと向かう以上、なにがあっても不思議はない。

 とはいえ――。

「王権をどっちが奪っても、アンタは安泰ってわけだろ? そう簡単に手出しできるか」

 王太子、それに国王の両方に取り入っているパルメニオンになにかするには、時期尚早だ。

 軽く肩を竦めて皮肉に唇を歪ませる俺だったが。

「まさか! とんでもない」

 急に色めき立って反論してきたパルメニオンを不思議に思い、うん? と、首を傾げてみせる。

「アッタロスの件は聞いていないのですか?」

 俺の様子を訝しむように首を傾げたパルメニオンにそう訊ねられても、なんの事だかよく分からなかった。

「アッタ? 誰だ?」

 俺が訊き返すと、パルメニオンは勝手に何事か納得し――、それから、初めて明かな戸惑いの表情を見せた。

「言え、そこで止められると、拷問してでも吐かせたくなる」

 強い口調で追求すると、本当に言いたくないのか、明らかに沈んだ声でパルメニオンは話し始めた。

「貴方が、レスボス島を攻略している間、国王が七人目の后を迎えたのですが、その席で、私の娘を嫁がせていたアッタロスが『マケドニコーバシオの王家は、正当なるマケドニコーバシオ人の血によって継承されるように』と、祝辞を述べたのです。彼は、新后の叔父でもありました」

 は、と、短く息を吐くようにして笑う。

 アッタロス、か。正直、記憶にも無いし、パッとしない男だろうと思っていたが、中々度胸だけはあるヤツだな。

「おそらく、貴方の性格を見越して周囲は黙っていたのでしょうな」

 諦めたように呟くパルメニオン。

 それに俺は肩を竦めて応じるが――。

「聞いた所で、有力貴族のアンタの身内で王家と繋がりが出来た以上、簡単に殺せる立場の人間じゃないだろうが」

「いつかは殺すと言葉に隠れていますよ。まあ、それで良いのですけどね」

 思いの外冷静な視線を向けられ、軽く片頬だけを緩めて皮肉っぽく笑って見せたんだが、最後にパルメニオンが付け加えた一言が引っ掛かった。

「あん?」

「この結婚に、私は反対でした。マケドニコーバシオ内の貴族の力関係に大きな影響が出ますから」

 まあ、新后の実家は上流貴族ってわけじゃなかったはずだが、その身内がちらほら王宮に出入し始めていたし、俺達王太子派がテレスアリア統治で中央から離れている隙に、実績のないヤツがトラキア方面軍の副司令官になってたりと、色々とバカな人事もあった。

 プトレマイオス達の追放も、役職を空けさせる目的もあったんじゃないかと邪推したくなるほどだ。

 っと、プトレマイオスも本来は貴族なんだよな。今じゃレスボス島の太守みたいにになっちまってるが。

 こんがらがっている状況に苦笑いを浮べる俺。

「ええと、アンタの娘の旦那の姪が国王と結婚したなら……若干距離は遠いが、アンタも王家との繋がりが出来てよしとは思わないのか?」

 パルメニオンは、どこか寂しそうに笑い返してきた。

「そこで、最初の話に戻りますが、貴方はヘクトルをどう評価しておりますか?」

 一拍だけ考えてから、俺は率直に思ったことを答えた。

「無能だ。指示された事だけは出来るがそれだけ。だから、人質に出したんだろう?」

 そう考えるのが当然だと思っていた。

 しかし、パルメニオンは表情を変えないまま、どこか悲しそうに続けた。

「それでも、私にとっては五人の子供はみな同じなのです。貴方は一族は――」

 と、そこまで訊ねるも、アンティゴノスに前に訊かれた時と同じようにパルメニオンが不意に沈黙した。

「爺は暗殺、親父は戦死、腹違いの弟がひとり」

「母は?」

 多分、他国にとってはそれを訊ねるのが普通なんだと思うが……。

「知らん」

「知らない?」

「ラケルデモンでは、物心つく前に男子は集団教育、もしくは専属の監督官が付いて育てる。俺は、教育課程が終わる前に政変があったから、本当に知らんのだ。多分、生きてはいないと思うが」

 パルメニオンは絶句していたが、ラケルデモンではこれが普通なので特に何も答えることは出来なかった。


 一呼吸、そして二呼吸の間が開いた後、急にハッとした顔になったパルメニオンがゆっくりと吟味するように言葉を選びながら話し始めたが。

「なんとなくですが、貴方のことが、前よりも少し分かりました」

「それは困ったな。しかし、他人の意識を覗き見ることは出来ないぞ? 勝手な想像で自滅するなよ」

 勝手に理解された気になられても面白くないので、俺はそうぶっきらぼうに返した。

 なんとなく、俺の態度から俺が面白く思わなかったのには気付いたようで、パルメニオンは軽く咳払いして場の空気を落ち着かせてから、再び口を開いた。

「想像交じりではありますが、貴方の国では才能で人は篩にかけられ、弾かれた者は殺されていたのだと思います。しかし、他国では違う。我が子だから可愛いと思う親がおり、収入に不安のない自由市民だから、そんな子供でも大人になる。皮肉ではありますが、そうした、富裕層の無能な人間は、どうすればよろしいとお考えで?」

 正直、困った。

 パルメニオン程の男が、そういう部分に家並みを持っているというのは以外だったから。国王の前での話を訊いていたはずなのに――、いや、だからなのか?

 五人も子供がいるなら、その中の最も優秀な者が家を継ぎ、他を藩屏とすれば構わないというだけなのではないだろうか?

「無能でも、血脈を保つだけなら出来るだろ。俺は、有能な兵や将を取り立てることを優先する」

 本音を告げると、意外とあっさりとパルメニオンは納得してみせた。

「で、しょうな。そう仰ると思っておりました。そして、国王も王太子もそう申されるでしょうな」

「なにが言いたい?」

 だが、その態度が余計にパルメニオンを理解し難くさせている。

 家柄に秀で、複数の派閥に身内を分散させて保険をかけ、自分自身もどちらの王からも重用されている。

 言っている事と、やっている事がばらばらだ。

 俺のそんな視線に気付いてか、パルメニオンはしたり顔で続けた。

「基本的に、人は短絡的で矮小なのです。しかし群れれば、その自分自身の手の中の小さな世界を守るために、予想以上の力を発揮することもある。誰にでも、我欲があるからです。どうか、変化を望まぬ凡人に、その足元をすくわれませんように」

 結構な皮肉を言うんだなとは思った。

 分かっていない、訳ではないと思う。

 かつて、武装商船隊を率いていた時は、その凡人共による保身と我欲に俺の野望は打ち砕かれた。

 同じように、王の友ヘタイロイが急拡大すると共に気心の知れない人間も増えてはいるが、かつてのミエザの学園で確立された教育方法は充分に機能している。俺という異国人が、重用されていることも、外国人の王の友ヘタイロイの競争心を煽り、かつ、門戸は平等に開かれていると示している。

 一見して、すべては上手くいっているように見えるが。

「我々は充分に注意していると思うが、なにか粗を見つけたのか?」

 もしそうなら、辺に意固地になるよりも素直に訊ねた方が結局は得になる。

 しかし、素直に訊ねた俺に反し、パルメニオンは顎に手を当てて軽く頭を捻っていた。

「そうではありません。いえ、それだけではありませんと言った方が正確かも知れませんが」

「うん?」

「体力は加齢によって衰えるます。今は実感がなくとも、貴方にも老いがくる。戦いの才能が貴方から去った時、貴方はどう生きるのですか? 過去の栄光を偲び、余生をただ無為に生きられますか?」

 静かな言葉だったが、だからこそ、不意に冷たい手を胸元につっこまれたような、そんな悪寒がした。

 俺自身も老いる事実から目を背けていたつもりはないが、まだ二十代であり、体力も気力も日々充実していくのを感じていれば、それを実感することは難しい。


 いや、違う。実感できないなら、恐怖も感じ無いはずだ。

 ……そうか、俺は片目を以前失ったことで、力が、才能が、自分からこぼれていく感覚を既に知っているのか。


 でも、どうなんだろうな、と、思う。

 ずっと、戦場で死を迎えると思って生きていたのに、今更になって剣も持てなくなるほど老いる事を急に考えるのは難しかった。

 いや、アデアを娶り王族となれば、そんな日も来るのかもしれないが――、それは、とても不確かな未来で、なにひとつとして想像することは出来なかった。

 だが……。

「その時に縋るのが子供だと? 悪いが、それには共感出来ない。親であれ、子であれ、一人の人間なら、自分の人生を自分で歩くものだ。俺が訊きたいのは、才能を失わない方法と、その先にある老境でなにを娯楽にするかだ」

 アルゴリダで異母弟を助けたこと、その上で王太子の元へと戻った時に、俺は決めたんだ。ラケルデモンの継承ではなく、変革を。

 そして、俺自身も変わることを選んだ。元々、身内の復讐というよりは、俺自身から取り上げられたラケルデモン王を取り返したかっただけだが、そんな受動的な目標ではなく、自分の人生を自分で選び――皆と共に歩んでいく事を選択した。

 子を心配したり、血族の今後を憂慮するのも、まあ、そういうこともあるんだろうが、最後の瞬間まで俺は俺自身であることだけは変わらない。

「いえ、……私もまだまだ現役ですので」

 ふんす、と、鼻息荒く訊ねた俺に、今度はパルメニオンがどこか戸惑ったような顔でそう言葉を濁してきた。

「まあ、そうだな。だが、その時が来るのはアンタの方が早いだろ? もし、アンタがその人生で上手い答えを見つけられたのなら、それを俺にも教えてくれ。もっとも、まずは目の前の戦いが先決だがな」

 ひとつぐらいは勝ったかな? とかも思ったが、漠然と、歳をとったり子供が出来ても大変なんだな、とはなんとなく分かった。なので、取り合えず引き分けにしようと思う。

「不思議な人ですね」

 しみじみとパルメニオンが呟くので、俺は景気良く笑って答えた。


「そうでもない。王の友ヘタイロイでは、まだ、常識人の方さ」

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