Castorー1ー

 奪った装備で変装して関所へと向かう。

 距離はそれほどでもなかったし、街道に残してきた脅しが大分効いたのか、背後を衝かれる事も無く、俺達は旅の終わりを迎えようとしていた。大きな感動も感傷もないままに。

 砦というほどではないが、奴隷の村よりも大きな門前広場と、石造りの門が見えた時、ふと立ち止まって横を歩くエレオノーレに問い掛ける。

「後は、ひとりでも平気だな?」

「……え?」

「そんな途方に暮れた顔をするな。まあ、関所を越えるまでは一緒にいてやるさ」

 冗談のつもりで言ったわけではなかったが、両親の元から離される幼子のような目を向けられると、関所を無事に越えるまではいてやるか、という気にさせられる。

 まあ、関所で問題があると拙いし、ここまできたらちょっとの違いだ。旅券を得て公共市場都市への道までを世話した方が、今後の無事を確信できるしな。

「うん……」

 頷くエレオノーレの表情は晴れなかった。

 その意味は、正確に理解しているつもりだ。

 ただ、俺はこの国から逃げることまでする気は――それほどは無かった。例え、それがどん詰まりの道だったとしても。生き方を変えるには、きっともう遅い。随分と長くこの道を進んでしまっているから。

「随分と賑やかだな。あ、市も――」

 エレオノーレが、きょろきょろと周囲を見回している。

 門前広場には、食事用の屋台や他国製の雑貨、それに武器防具を売っている店が並んでいた。本当は、外国の品をラケルデモン国内で販売するのは、現在の国王の経済政策のせいで非常に難しい。だが、ここはギリギリ国内という非常に曖昧な場所のため、適応される法が関所の役人によってころころ変わる。ぶっちゃけ、賄賂を渡せば案外すんなりと一通りの事は済む。だからなのか、他の町と比べれば、まずまずの活況を呈していた。

「田舎者。この先の公共市場都市と比べたら、お遊びみたいなもんだ」

 バカにするように告げると、エレオノーレは全く気を悪くした様子もなくキラキラした目で問いかけて来た。からかいにも気付けないほど、初めて見る町に興奮しているらしい。

「そこはどんな町なのだ?」

「一応、ラケルデモンの都市だが、ヘレネス――ああと、そう言ってもお前には通じないか……。ヘレネスとは全ての都市国家市民をさす言葉で、どこの都市市民でも、ある程度、自由な生活が保障されている。対外交易のための港のある都市だからな。信仰する神も自由で、共通憲法に違反しない限り問題ない」

「共通憲法?」

 話を遮って、不思議そうに問い返してきたエレオノーレに、首を横に振って答える。

「対外貿易をしない限り、常識の範囲で行動していれば問題ない」

 それに、まあ、女なら決闘を申し込まれることも無いだろうしな、と、口には出さずに心の中で付け加える。

 エレオノーレは、ふーん、と、一応は納得した様子だったが、少しだけ声を潜め不安そうに言葉を続けてきた。

「でも、ラケルデモンの都市なら――」

 言いたいことは大体分かるが、それは、そもそも心配する必要の無いことなので、……ただ、説明しだすと、都市国家間での交易と国内での物流のための港の違いや、都市国家間の関係性など、長くて難しい話でもあるので、軽く眉間に皺を寄せてから、要点だけを口にする。

「ややこしい説明は省くが、エレオノーレが他の都市国家市民なら拙いが、一応はラケルデモン出身なので問題ない。犯罪者の捜査は、自国民相手の場合は他国へと協力を要請できないし、勝手にそうした公共の場所にお前を追うような役人を入れるのも条約違反だ」

「初めて知った」

 驚いた顔をしたエレオノーレ。

「まあ、ラケルデモンは人や物、それに情報の出入はかなり制限されているからな」

 ラケルデモンは限定的な鎖国状態で、贅沢品の輸出入を禁じているし、人の行き来も吟遊詩人なんかのチャラチャラしたのは入国出来ない。また、出国も各町の監督官に御伺いを立てないと許されないし、それも大半は悪い影響を受けるとかで却下される。

 おかげで物流は滞りっぱなしだ。質実剛健なんて言葉で着飾っても、国の内実は正直で、過去のメタセニアとの戦勝の遺産を食いつぶして貧乏人に戻りつつある。

 しばらく感心したような目を俺に向けていたエレオノーレだったが、ふと、小首を傾げ、しばし口元に手を当てて考えた後、俺に尋ねてきた。

「なら、なぜアーベルはそんなにくわしいのだ?」

 薄く笑っただけで俺は答えず、手続きに行け、と、促す。

 エレオノーレは、納得していないような顔ではあったが、不承不承、俺の元から離れて、門に備え付けられている小さな小屋の窓口へと向かった。

 アイツは、どこかドン臭いから役人に疑われるか、とも思っていたが――。

 あっさりと仮の旅券をせしめたようだった。

 まあ、少年隊にしろなんにしろ、無防備な連中を見つければ襲うからな俺達は。そんなに変な話でもないか。

 なら、この後することもないので、このまま別れようかとも思ったが、踵を返す前にどこか恨みがましい視線を向けられたので、嘆息し俺も窓口へと向かう。

「脱走した少年兵を追ってる部隊の者だ。国外逃亡の可能性から、周辺の調査に出向きたい」

「はい」

 身分証の奪ってきた指輪を渡すと、役人はそれに墨を塗って紋章を記録した。番兵は特に疑いもせずに、緊急事態に上の指示を仰がずに発行出来る黄色の旅券の木片を、俺に渡してきた。

 そして、そのまま――門前広場にある程度、人が集まってきたのを確認し、大きな木のハンドルを四人がかりで回し始めた。ハンドルの支柱に太い綱が巻き取られ始め、大きな木の門がゆっくりと持ち上げられていく。

 そっと――、あまり自然な動きではなかったが、エレオノーレが俺の隣に並んだ。

「あとは、真っ直ぐ一本道。ゆっくり行っても半日の行程だ」

 周囲に聞こえないように注意しながら耳打ちしたが、エレオノーレは安心して表情を緩めるどころか、きつく唇をかみ締めて、ゆっくりと開いていく門を睨んでいた。

 いまひとつなにを考えているか分からないエレオノーレに肩を竦め、他人の間合いに離れる。

 俺が離れた一歩を詰めようとした足に「不自然な振る舞いをするな」と、地面だけを見て叱りつける。

 迷った足は半歩で止まっていた。

 門が開き切る。

「あの!」

 エレオノーレが呼ぶ声を無視して、トン、と、背中を押す。流れる人並みの中、エレオノーレが前へと押しやられていく。最後の警戒線は、気付いた時には越えていた。

 これが顛末とは、あっけないものだな。

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