Aspidiskeー10ー

「ともかくも、今は時期が悪いですよ。いざと言う時に充分な応戦体勢が――」

 あくまでごね続けるキルクスに、半ばうんざりした調子で、怒鳴り、かえ、そうと……。

「待て、もう一度、今の台詞を言え」

「時期が悪いですよ」

 不貞腐れたようにキルクスが呟いた。

 なにかが、急に一本の糸にまとまりつつあった。


 いや、気付くための切っ掛けはこれまでもたくさんあったんだ。思い当たってしまえば、どうして気付けなかったのか不思議ではあるが……。

 俺も先入観に捕らわれていたのかもな。

「ドクシアディス」

「どうした?」

 声の調子が変わったことに気付いたのか、神妙な声でドクシアディスが応じた。

「海洋国家で、冬に海戦を行うか?」

「否、だ。可能な限り、波が穏やかな時期に行う。その方が、操船に利があるからな。冬だと、集結前に流されたり、味方同士でぶつかる危険性がある」

 これまで何度も聞いた話ではあるので、頷いて考えを更に強固にする。次いで、キルクスへと向き直り、前回の戦争について問い質した。

「キルクス。前の戦争で、艦隊決戦の時期を決めたのは、季節の影響も考慮してか?」

「はい、冬になれば戦線は膠着し、年を跨いでの戦争になると上層部は危惧しておりました」

 うん、うん……と、二回俺は頷く。

 他の人間は、どうもまだ気付いていない様子だった。クソ、使いでのない連中め!


「そうか……クソ。いや、気づかない俺がバカだったのか」

 ッチ、と、舌打ちで締めくくり、奥歯を噛み締める。

「どうしたんだ?」

「情報を改めて整理しよう。ラケルデモンは、お前等の戦争の決着を待っていたわけじゃない」

「は?」

 分かっていない顔のドクシアディスが、訊き返して来たが無視して俺は話を進めた。聞いていれば、すぐに気付く。気付けないバカなら相手にしない。

「たまたま、ラケルデモンが侵攻を意図した時期に戦争が終わったんだ。いいか? 陸軍国のラケルデモンは、海戦による兵士や船の喪失を嫌ったんだ。だから、海戦を避ける時期。冬の初めにアヱギーナに攻め入った」

「ちょっと待て、勝利の横取りを狙ったわけじゃないってのか?」

「ああ。ようやく俺にも絵が見えてきた。北エーゲ諸島、それに、地中海全域に殖民都市を構築しているアテーナイヱは、ラケルデモンにとって脅威だった。敵の敵は味方。おそらく、その論理でアヱギーナに接近を図ったんだろう」

「接近を?」

「まだ分からないか? ラケルデモンは、端からアヱギーナの水軍を狙っていたんだ。戦争を焚きつけた……かどうかは分からないが、二国間の戦争状態を歓迎していたのは間違いないだろう。多分、援軍と言う名目で、アヱギーナ島へと軍を送る準備を進めていたはずだ」

 そんな話は聞いたことがない、との反論も出たが、その辺はあくまで推測だし、重要ではない。要は、海軍力の弱いラケルデモンが、海戦を避けて島を奪取できるか否かという部分だけだ。そのために都合の良い口実として、救援という大義名分が使いやすいと思っただけで。それに、実際問題としてアヱギーナ島への上陸のタイミングが良すぎることを考えれば、アヱギーナの一部はラケルデモンにかなりの情報を渡していたと見て間違いないだろう。なら、接近を図っていたというのもあながち的外れじゃ無い筈だ。

「無論、アヱギーナ島のアテーナイヱ軍は邪魔になるので、駆逐する予定だったと思う。だが、本当の狙いは、アヱギーナ島の支配だ。位置的に、ラケルデモンの北にあるアヱギーナ島は、防衛線としてもアテーナイヱに突きつける懐剣としても絶好の位置にある」

 地図で島の位置を示しつつ、其々の国の支配領域を指でなぞる。国土……というか、傀儡政権の都市も含めれば海岸線を広く支配しているアテーナイヱの版図を見れば、一つ一つ潰していくのがいかに困難化が分かる。

 それなら、頭を斬り落とすのが手っ取り早い。犠牲の多寡によらず。

「多分、戦後のアヱギーナを甘言で味方につけた後、壊滅状態にあったアヱギーナ軍を糾合し、その武威を以ってアヱギーナを武力支配しているんだ」

「仮に、大将の言うとおりだとして、なにか現状が変わるのか?」

 暢気な質問の声に、ダン、とテーブルを叩いて俺は大声を上げた。

「戦争期間だ!」

「は?」

「多分、かなり無理をしても、ラケルデモンは春に軍を引かない。アテーナイヱが弱体化し、殖民都市を吐き出すまで、矛を収めないだろう。商業国の国力とは、農地ではなく、その商売圏にある。封鎖は最良の一手だ」

 ヘレネスの次代の覇権を狙う二国間の潰し合い。ようやくそこまで思考が至った面々の表情が引き締まった。

「この戦争は、長引くぞ」

 止めのような俺の一言に、場の空気が海の底のように沈んだ。


 それもそうだろう。

 ここに居る人間で、戦争の災禍を経験していないヤツはひとりもいないんだ。

 尤も、復讐や再起を望む俺と違い、コイツ等は逃避を選んでいる、という違いはあるがな。

 ……いや、だからこそ、か。


 手も思考も止まっている連中に、するべきことの指示を出していく。

「キルクス、長期戦になった場合の海運へ与える影響をまとめて報告してくれ。危険じゃない海域を探すんだ。ドクシアディス、テレスアリア以外のギリシアヘレネスの穀倉地帯の備蓄量や今年の秋の作付け面積を探ってくれ。他にも、例年なら春に取り引きが増える品の値動き、海路の封鎖による影響を調査してくれ……。他の者は……」

 まあ、どの調査結果も絶望的なのは目に見えているがな。エーゲ海の島、それに、中央付近にあるアテーナイヱは、交易の中継地点として最適な位置にあるんだから。

 ただ、数字で示すことでより現実感を持てるだろうし、楽観論を消し去るためにも役に立つ。それに準備や覚悟が出来ているか否かは、いざという時に即座の対応を可能にする。

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