夜の始まりー3ー

 リュシマコスを疑っているわけじゃないが、改めて伝令の話を聞くと細かいニュアンスにおいて誤解もあった。

 まず、動員を開始したというのは本当だが、現国王子飼いの盾持ち部隊ヒュパスピスタイが移動を開始したため、選抜重装歩兵ペゼタイロイの動員を開始し、主力が留守の間の国内の安定を図ったとのことだ。部隊規模と作戦行動の開始時期は、饗宴で聞いた際に思ったものよりも小さく早くなる。しかも、どこと戦うのかはもったいぶっているようで、マケドニコーバシオ南端の港湾都市テッサロニケーに全軍団を集結させてから宣戦が布告されるとの事だ。

 とはいえ、名目上は先の和約違反を理由に懲罰に向かうという形をとるとのことだし、アカイネメシスや一部の国には既に戦うべき相手が通達されているんだろうけどな。

 なので、相手側が折れて金で解決する……なんて落ちもある。実際問題として、経済活動としての戦争は利益も大きいが危険も大きいんだし、以前のような大規模な戦争が連続して起こっている方が異常だ。

 主力が移動し、治安維持の部隊が動員されたからと言って確実に戦争になるとは限らない。


 なので、馬車に揺られて初夏の夏草の穂を眺めている顔が微妙になってえしまうのも仕方がない事だろう。

「大将がそんな顔をしていちゃあ、いかんぞ」

 むくれている俺を楽しそうに眺めながら、馬車の隣で馬に乗ったリュシマコスが苦言を呈してくる。が、俺はより一層不機嫌な顔で答えた。

「今回の俺はおまけだ」

 名目上、今回の視察の責任者は俺になっているが、その理由はミュティレアで金を集めて来たからであり、実際に馬の仕上がりの良し悪しはリュシマコスとその近習の判断に委ねられている。

 財布としてありがたがられても、なぁ。

 それが解っていて煽ってくるリュシマコスを睨み上げるが、身体も気も大きいリュシマコスには鷹揚に流されてしまう。

「いや、いや。アーベルが居るから、こっちは楽をさせてもらっているんだしなぁ。……強いて言えば、夕餉の予算を倍にして、ワインも瓶で付けて欲しい所ではあるが」

「ダメに決まってんだろ。つか、お前は食い過ぎだぞ。俺の倍は食ってんだろ」

 しれっと願望を混ぜあがったリュシマコスに釘を刺すも、こっちの財布の中身に意識が向いてしまい……余計に気が滅入った。

 マケドニコーバシの敵はもう南にしかいない。と、言うことは、だ、どこと戦うにしてもテレスアリア領内を進軍する必要がある。同盟国内での略奪を抑えるためには、大きな街道の都市に食料の備蓄を指示し、神殿やアゴラで宿泊できるように寝具を用意させ、軍道の補修と点検の依頼を出しつつ、大きな水源の近くには臨時の野営地の増築もさせる必要がある。そして、それらは当然ながらタダじゃない。

 元々、ミュティレアで商取引をするための買い付けのために、多少は余分に金を持って来てはいるが、戦準備に充てる金としてはまるで足りていない。供回りを最低限とし、宿泊費も食費も切り詰めてなんとか手付金が捻出できるかな、って程度。港湾都市イコラオスに着いたら、テッサロニケーに向かう前に追加の軍資金をプトレマイオスにせびって要所にばらまかなけりゃとても間に合わない。

 あー、クソ、と、毒づきながら再び金勘定を始める俺。

 そんな俺を苦笑いで見つめるリュシマコス。

「アーベル以外にここまで上手く遣り繰りができる者はいないだろ。多分、だからこそ動き出したんだろうなあ、あの王様も」

 まあ、中途半端に手伝われたところで邪魔にしかならないんだが、だからと言って遠い目をして自己完結されるってのは腹立たしい。せめて、ちょっとは遠慮して飯と酒の量を減らせ。


 元々、農閑期である夏と冬に戦争は起こりやすい。農奴や無産階級の動員がスムーズに進むためだが、テレスアリアの軍馬の仕上がりの報告が目前の今になって動き出したっていうのは、俺が視察に出ているのそれを見越して動員を開始されたような気はする。だが、だからこそ余計に面白くない。

 ギリシアヘレネスの夏は乾季だ。地面が乾いて固まるので、重装備の兵士でも移動が容易になる。だが、その分糧秣……特に水の補給に腐心しなければならない。逆に言えば、補給さえしっかりとするなら冬よりも軍事行動は取り易いと言える。

 面倒な部分を王太子派こっちに押し付けて、現国王派自分達は派手なパフォーマンスをしているとか、嫌がらせ以外のなにものでもないだろ。

 もう何度目かも解らない溜息を吐く俺に対し、瞳の奥の王の友ヘタイロイとしての鋭さを隠しもせずにリュシマコスが問いかけてきた。

「これだけ準備に金が掛かってるんだ。戦わずに済むとは思っていないんだろう?」

 リュシマコスと視線がぶつかる。

 普段通りのどっか穏やかな表情の中に、静かな闘志と恫喝を感じる。

 ただ、その判断に甘さがある、と、俺は感じた。

「それは、向こうの出かた次第だろ」

 議論が熱くなりそうな間合いを外すようにして、俺は顔を一度横に向けて馬車の進路を確認してから、軽く目を閉じ……開けて、再びリュシマコスを見る。

 当てが外れたためか、おや? という顔になったリュシマコス。

 兵の掌握という意味では俺みたいに細か過ぎるのも良くないが、リュシマコスの様に大雑把なのも問題だ。

 現状、軍事行動を起こすための予算は十分であり、政策の実現のための国庫の余裕もある。他国から分捕る必要性はあまりない。

 それに、戦争を経験していない新兵も増えてきている。訓練や演習はさせているが、有事の際には訓練や演習ほど十分な準備が出来ていない事も多いし、戦場では何が起こるか解らない。実践までいかなくとも実際の行軍多少の不測の事態を経験させ、頭の使い方を覚えさせるには良い時期だ。

 また、マケドニコーバシオ側の都市に対してもいつでも戦争が出来る態勢にあることを示し、結束を再確認する価値は十分にある。

 しかも、現国王が自ら出陣してるって事実も重要だ。王太子派こっちからの圧力ではなく、現国王が自発的に動かした理由を察するに……。


「ちなみに、アーベルは、今回の相手はどこだと思うんだ?」

 ラケルデモン、と、即答したい気持ちもあるが、現実的にその可能性は少ないように思う。現状、攻める理由が無い。

 申し訳ないんだが、あの国は戦後の立て直しも大してうまくいっていないし、経済基盤のメタセニアを失っている以上、商売圏で結託する国も無い。むしろ、以前は同盟国であった大陸側との玄関口であるコンリトスとの関係も冷え込み始めている。外征を始めた可能性も――メタセニアを攻めた際も国内がまとまっていなかったので、無いとは言えないが、かなり低い。

 戦後、ヴィオティアに対してはラケルデモンが積極的に干渉を行い、国力弱体化に努めていた。そのため、マケドニコーバシオはラケルデモンの動向を注視していた。こちらの密偵に気付かれずにどこかと同盟したり侵略したとは思えない。

 となれば、消去法ではあるが……。

「レスボス島の事も考えれば、アテーナイヱかもしれないな。現状、ミュティレアの海軍力でエーゲ海の半分を支配してはいるが、こっちが押さえてるのは北半分だからな」

 多くの戦争で疲弊していたとはいえ、やはりギリシアヘレネスにおいては南部の方がかなり発展している。領海を二分しているとはいえ、経済規模ではエーゲ海の南半分の方が北半分の倍以上の取引量がある。

 俺が顎に手を当てて悩みながら答えたせいもあるかもしれないが、リュシマコスは俺の考えに同意せず――しかし、自分自身の考えは隠したままで首を捻りながら呟いた。

「あの現国王がレスボス島に気を回すかな」

 そこなんだよな。

 王太子派の経済基盤が交易による商取引なのに対して、マケドニコーバシオのアクロポリス等を押さえている現国王派の経済基盤はあくまで大都市の内需だ。なので、外拡に積極的な俺達に対し、現国王派は国内の有力都市の統制の方に関心が強く、国境警備以上の軍事行動への意欲は薄い。

「いや、レスボス島に興味が無くとも、アテーナイヱ銀貨の流通量が増えているからな。現国王が推進したパンガイオン金山の開発によるマケドニコーバシオ金貨の流通に影響が出てる」

 一応、そんな言い訳もしてみるが――。

王太子派こっちの恩恵の方が大きいのにか?」

 だよな、と、項垂れて見せる俺。

 レスボス島でエレクトロン貨を鋳造しているのは広く知れ渡っている。そして、アテーナイヱ銀貨とエレクトロン貨は、ギリシアヘレネス以外の国家との売買において競合している。しかし、マケドニコーバシオ金貨は広く世界に流通させることよりも、造幣をアテーナイヱに独占させないための自国貨幣としての保健的意味合いが強く、マケドニコーバシオ国内の物価の調整さえ出来るなら、無理して数を揃えなくても良いと思っている節もある。


 んん……。

 しかし、アテーナイヱ以外の国となると、ラケルデモンと関係が深い国しか残らないんだよな。

 あの和約では、ギリシアヘレネスの各都市国家は独立自治する旨が記されてあるが、マケドニコーバシオがその周辺国と事実上の縁戚・同盟関係が続いているのと同じように、ペロポネソス半島の国々――ただし、先に独立させたメタセニアは除く――の同盟であるペロポネソス同盟も生きている。

 一応、クレーテとか、諸島部で独立路線を貫く都市もあるにはあるが、ラケルデモンよりも南にある国だぞ? どうやって攻め込むってんだ? 東回り航路もあるにはあるが、だったら以前に奪った北東の端の港――外港都市ダトゥが集結地点となるはずだ。


「ちなみに、そう言うリュシマコスはどこと戦うと思うんだよ」

 半ばやけくそになってそう訊き返してみるが、リュシマコスの反応は単純シンプルだった。

「知らん」

「おい」

 俺の意見にあんだけいろいろ言ってきたくせに、威張って言うんじゃねえよ。

「だが、なんとかなるだろ」

「おい」

 どこか無責任にも見える態度で、ガハハと笑ったリュシマコス。

「その為に、俺達ヘタイロイが居るんだからな」

 ニッと笑うその自信たっぷりの横顔。


 リュシマコスの意見正しい。

 正しいんだが……、よく言うなら真っ直ぐ過ぎるし、悪く言うならやや浅いんだよな。俺が汚れ仕事……もとい、裏工作を得意とする王の友ヘタイロイであることを抜きにしても、戦略的――もっと言えば、謀を企てる上では、誰が相手でも勝つというだけでは足りない。場合によっては、政争のために負けておいた方が良い場面もある。その加減も覚えて欲しい所ではある。

 まあ、今回俺とリュシマコスを組ませたのは、そういう足りない部分を補い合うためであったとは思うんだが、開戦準備まで見越した上でだったのかねえ、王太子兄弟の判断は。


「なら、せめて、金勘定をもっと覚えてくれ」

 言いたい事を飲み込んで、嫌味のひとつも返してみるが、身体が資本だから食うのも仕事だとか、今度は裏のなさそうな顔で言いあがる。

 まったく……。

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Celestial sphere カクヨム改稿版 一条 灯夜 @touya-itijyou

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