Miaplacidusー6ー
「ドクシアディス。俺はしばらく休む。異常があれば呼べ」
わざわざ言わなくても分かってはいることかもしれないが、一応そう言うだけ言って、俺は夕暮れの甲板から船室へと降りた。
襲撃から二日が過ぎ、陸が見えた頃には船は既に平時態勢に戻っていた。
船の連中は、単純に二度目の襲撃が無かったことだけを喜んでいるが……。
どうにも、ラケルデモンの動きが読めないな。らしくない。
アテーナイヱを包囲した上で兵糧攻めしているとするなら、商船に対する攻撃が不十分だし、本国から離れた都市を味方に引き込もうと唆しているなら、商船への攻撃は合理的じゃない。戦況に関して、もっと情報が欲しい。
マケドニコーバシオへと戻ったら、大規模な戦闘状況の有無や勝敗についてもっと積極的に情報収集をしよう、と、決めた。
ちなみに、ここ数日、俺が長時間にわたって甲板で警戒していたのを知っているからか、夕暮れ時に早めに休息に入ることを誰も不審に思ってはいないようだった。
多分、食料の窃盗犯がこちらの様子を窺っているとしても、疑問に思ってはいないだろう。
俺の中では、ラケルデモンからの襲撃の可能性が下がった今、船の中の不穏分子をあぶりだすのが第一目標に切り替わっている。いつまでも怠け者に楽をさせておく気は無い。
水夫の反応から、密航者及び、それを船の連中が匿っている可能性も考慮し、夕刻からずっと船倉で息を潜めていると……案の定というか、端から潜む気も無いのか、足音も高らかに人が降りてくるのが分かった。
日が暮れて、まだそんなに時間も経っていないはずだ。
舐められたもんだな、と、思う。
……いや、俺以外の連中が甘過ぎるから、こんなことになるのか。
物陰に潜んだまま、敵の動きを確認する。
ひとりだな。背は高くない。しかし、灯りを持っていないにも関わらず、随分と慣れた足取りだ。初犯ってわけじゃ無さそうだ。
敵に勘付かれないように、匍匐で階段の下まで進む。
上で周囲を警戒しているヤツはいないな。本当に、たった一人で盗んでいるらしい。しかし、それにしては減っている量が多いのが気になるところだ。
長期間にわたって盗んでいるのか?
中腰に姿勢を変え、足音を忍ばせて敵の背後を取る。
ゆっくりと焦れる気持ちを抑えながら近付き――。
「動くな!」
間合いに入ると同時に飛び掛り、首に短剣を当てる。
「ひぃ、あ……え?」
事態がまったく分かっていないのか、敵は滅茶苦茶に身体を捩ったので、不本意だが俺は背後に短く飛んで距離を取った。なんの情報も吐かせないまま殺すわけにも行かない。仲間がまだ要るかもしれないんだし。
「動くな、これが最後の警告だ」
低く告げれば、ようやく敵が静かになった。
女、だな。悲鳴や、首に短剣を当てた感触なんかからそれは分かっていた。今、この船に乗っている女は少ない。そして、声や体格が分かった今、消去法で答えはすぐに出る。
ったく、だから監視しとけって言ったんだ、俺は!
「あ、あの」
おそらく、ティアと思われる影が、近くにあった木の器かなにかに手を伸ばしたのが闇の中でうっすらと確認できた。
「キサマ!」
抵抗するつもりだと判断して、ティアの肩を掴んで壁に叩きつける。
「動くなと言っているのが分からないのか!」
抵抗できないようにさせるだけだ。まだ殺すわけにはいかない。日が昇った後で、全員の前に引きずり出して、裁判をする必要がある。
コイツについて保証したニッツァに対しても、責任を取らせなければならないし、船でのこの女の行動に関して再調査を行う必要もある。
状況証拠は押さえた。
後は、拷問でもなんでもして知っていることをあらいざらい吐かせてから殺す。現場を押さえたのに、すぐに殺せないっていうのは、なんとも、ストレスの要ることだが。
「や、やめてくださいよ。……い、いいいきなり、なにを」
壁に強かに背中を打ったからか、ティアは壁際で膝を抱え、縮こまっている。鼻声を不審に思って、顔を近づけて確認してみると、泣いてあがった。
鼻水と涙でぐしょぐしょになった顔だ。しかし――。
「……ッチ」
女の吐く息は酒臭い。日が落ちて間もない時間にも拘らず。間違いなく、酒を盗んだのはコイツだな。
ドン、と、今度はさっきよりは軽く女の肩を突き飛ばす。
「食料の管理のルールは聞かなかったのか? 聞いてたんだよな? だから夜中にこっそり忍び込んできたんだろ?」
ティアは泣き止まなかったが、身体の強張りから解っている上でルールを破ったという確証は得られた。
「なにをするつもりだった?」
ティアの手が得物に伸びないように押さえつけてから、耳元に囁きかけ。唆すように。
「あ、あの……寝付けなくて、ちょっと、お酒を」
「瓶を空にするほど飲んで、ちょっとか?」
「え、あ、そんなには……」
戸惑っているだけ、多分、他の連中ならそう判断する。しかし、俺は泣き落としで誤魔化されるつもりは無かった。
っていうか、女子供の泣き声は嫌いだった。虫唾がはしる。殺してでも黙らせたくなってしまう。
ラケルデモンでの……略奪の日々が、人を殺す手応えが、不意にフラッシュバックした。
無抵抗な――油断している人間の心臓に刃を差し込んでいく手応えが、右手にある。
なんで、今、殺すのを我慢しなくちゃいけないんだ? この俺が。
言い訳なんていくらでも利く。
現場を押さえた。
殺しても問題は無い筈だ……。
「演技するんじゃねぇよ。本当は、毒を仕込みに来たんだろ?」
ティアの両腕を押さえている左手にも、自然と力が入る。ティアが眉間に皺を寄せるのが分かった。夜の暗さには、もう充分に目が慣れてきている。
「……え?」
「お前等の船で、毒物が見つかっている。こちらが、なにも知らないとでも思ってるのか? 答えろよ、お前の狙いを」
尋問において、こちらがなにを知っているのかを相手に伝ええるのは得策じゃない。分かってる。でも、なぜか胸の中が落ち着かない。
そうか、女を殺すのが久しぶりのせいか。
ラケルデモンを出てから、兵士や山賊なんかの戦える相手との戦闘しかなかった。少しだけ……ほんの少しだけ、ラケルデモンに帰れたような気持ちがした。俺が、今も、国に留まっているような――。
きっと、殺したらもっとそういう気分に浸れる気がする。
「ないです。なにも、ほんとに」
俺の状態に気付いたのか、ティアの弁明の質が変わった。涙の後は顔にあるが、新しく目から零れ落ちているって状況じゃない。
殺気に気付かれたのかも。
まあ、別にいいけどな。
今更もう見逃す気にはなれない。
「わからないですよ。なんで疑うんですか。自分の船も沈められて、なにもなくなってるのに、どうしてウチが」
「ラケルデモンと取り引きした可能性がある。俺等が船に行くまで短くない時間があった。なぜ、お前だけが生き延びれたんだ? 教えてくれないか?」
「知りませんよ! 必死で、隠れてたんです。怖かったんですよ。悲鳴は……今でも、耳の奥にずっとこびりついてて」
「仲間を見殺しにした、と? 助けを求める声も聞こえないふりをして? ふーん、そうか……」
ティアの目の前に顔を突き出して、にんまりと笑ってみせる。
ティアは、息を飲み、顔を背け――、でも、すぐに俺を睨み返してきた。
「なんですか! なんで、ウチばっかり、こんな、いじめられないといけないんですか!」
成程、声を上げて他の連中を呼ぶつもりか。
最初にティアを壁に叩きつけた音、そして、言い争いの声を聞きつけたのか、上の船室で人の動きが慌しくなってきているのが分かった。
混乱しているような態度を取っているが、意外と冷静だな、コイツ。
やはり黒か?
証言させるためにも、他の連中が来るのを待って、生かして裁判する。それが最良だって頭では分かってる。
でも、それだとすぐには殺せない。
手早く始末するのなら、今、この瞬間しかない。
ほんの少しだけ……右腕を突き出すだけで、コイツは死ぬ。首を裂くか、心臓を突くか……心臓の方が良いな。
首の動脈を斬るよりも、手応えがはっきりとしている。より、殺しているって実感できる。
「もう、いやなんです。痛いのも辛いのも苦しいのも。教団でだってバカにされて、でも、他に行くところが無くて、なのにその船が襲われて。ウチにどうしろって言うんですか!」
「知るか。手前の実力で生き抜けよ」
逆上した女に、冷たく言い放つ。心臓に突き立てるように、短剣は逆手に持ち直した。親指を柄尻に添える。
「弱い人は、それだけでダメなんですか? なんでですか? たすけてくださいよ。助けてくれるんでしょ? そう言ってたじゃないですか」
ラケルデモンでの記憶と感覚が蘇ってきていたせいだと思う。弱い人、という言葉で切っ先が鈍った。
刺すような目は、エレオノーレと少しだけ被った。こんな、垂れ目じゃないのにな、エレオノーレは。
…………。
俺は、違う。
この女とは。
俺は、強くなった。
俺以外の……進歩も無く弱いままでいいと思っている人間とは、なにもかも、違う。
そして、エレオノーレともこの女は違う。
現状に不満を言うだけのクズじゃない。エレオノーレは。扱いやすいヤツじゃないが……エレオノーレは生き方に筋を通している。
アイツを助けた夜とは、なにもかもが違う。
違う……のに。
一度、その姿が被ってしまうと、どうしても、無理みたいだ。
「俺じゃなく、女衆がな。それも、お前の素行が問題なかった場合の話だ」
「やだ、いやだ。なんで! どうして! わからない! やだ!」
結局、冷静な顔で俺に向き合える器じゃなかったのか、再び頭を振り乱してそんなことを言い始めた。
「話にならんな。ガキかお前は」
頭を冷やしてやる意味でも、女の目の前に刃をちらつかせる。
「強くて、手下もたくさんいるアナタには、分からないんでしょうね。ウチみたいな人間の気持ちなんて」
「……知る必要も義理も無い」
負け犬の気持ちなんて、俺には不要だ。
階段から、兵士が降りてきたのがわかった。三人だ。身体の力を抜く。立ち上がって――短剣を腰に収めた。
とっくに、そういう気分じゃなくなっていた。
「窃盗犯だ。拘束しろ」
兵士達は、かなり戸惑っているようだったが、睨みつけると素直に俺に従ってティアに縄を打った。
踵を返し――ふと、思い立って肩越しに振り返り、ティアへと視線を向ける。
「今のお前は、自分の境遇に嘆いて、周囲に文句を言い、あげく他人の食い物を盗むだけのただのクズだろ? 不幸だったら、なにをしても許されるとでも思ってんのか?」
ティアは答えなかった。
兵士を見たことで、酔い、そして、俺との言い争いでの熱も冷めつつあるんだろう。
視線もしっかりとし始めている。
「この船の連中は、元奴隷や戦災難民だ。無能なのが多いが、それでもなんとか俺が使いこなしてやって、日々の糊口を凌がせてる。自分以外の人間は楽してる? そう思いたきゃ思ってろよ。いつまでも最下層でな」
気がつくと、周囲の兵士の視線までもが俺に集まっていた。フン、と、鼻を鳴らして再び背を向けようとすれば……。
「ここで……」
「あ?」
「やりなおさせてください」
少しはましな目になったティアがそう言って来た。
周囲の兵士が戸惑っているのが分かる。
俺は、こんどは、ふふん、と、皮肉っぽく笑ってから戸惑った顔をしたティアに近付き、襟首を掴みあげる。
「まだ分かってないのか?」
「え?」
手を離すと、ティアは床にへたり込んだ。
「俺が、簡単に懐柔出来るような甘い男だと思うなよ。罰も与えていないのに、お前を自由にしてどうする。罪を償え。損害以上の価値を示せ。出来なければ死ね」
連れて行け、と、周囲を固めていた兵士に命じる。
兵士に腕を取られて連れられていくティア。その呆然とした視線は、いつまでも俺に向けられていた。
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