Propusー7ー
その後、軽い朝食――時間的には昼食と夕食の間だが――を済ませ、出発した。
森の奥とはいえ、春先や秋には山菜を探す奴隷が入るし、時々は動物を狩る訓練中の初年度の少年隊も入るので、申し訳程度の獣道は存在している。
しかし場所によっては、野イチゴの棘のある蔓なんかが這い出しているかのをナタで切ったり、道に突き出ている若い竹の芽を熊革の足袋で踏みつけておいて――足を離した後で、どんくさい女にぶつかるのもアレなので――、先に行かせたりしてやるが、基本的に俺達程度の身体能力があれば苦労する道程ではない。
だからなのだろう。今日も今日とて無駄話を差し向けられたのは。
「初めて人を殺したときの事を憶えているか?」
女が喋りだす。どうにも、歩きながら喋るのが日課になってしまったらしい。
俺は口数が多いのは好きじゃないんだがな。沈黙は金だ。
「忘れた」
素っ気無く答えると、少し怒ったような声が返ってきた。
「嘘を言え」
「なぜ俺がお前にこんな嘘をつく必要がある?」
今は先を歩く俺が、肩越しに振り返って訊いてやる。
女は、怪訝な顔で俺を見つめていた。
「本当に憶えていないのか?」
問い詰められ、顔を前に戻すついでに仕方なく記憶を掘り起こしてみる。確か、少年隊の訓練でバルバロイ――言葉の通じない異邦人の戦争奴隷――か、重罪人を切ったのが初めてだったと思うが……。いや、それすらあやふやだな。略奪に押し入った時が最初だったかもしれない。
「意外とあっけなく死ぬものだなとか、そんなぐらいだった気はする」
右手を上げて、それだけだ、と付け加えるように背後に向かってひらひら振ってみせる。
「死んだら、それで終わりなんだぞ?」
少し怒ったような女の声。
「だから?」
死なない人間はいないんだし、生まれた以上、人は必ずいつか死ぬ。当たり前のことじゃないか。ごく普通の自然現象になにを思えっていうんだ?
「私は……。私は、アーベルの……その……仲間を殺したのが、初めてだった」
「だろうな」
人を殺した人間には、独特の冷めた空気がまとわりつく。命との距離が変わるせいだと、座学の時間にどっかのジジイが言ってた気がする。他国のガキは人を殺さないから、俺達程度の歳になっても幼いままだ、とも。
極限状態での頭の使い方、近くにある死の感触、そうしたものを理解出来ない人間の進歩は遅い。危機感がないからだ。
「死に顔が……いつまでも、頭にこびりついてる。寝ても、夢に出てくるんだ」
女の足を止めた気配と、助けを求めるような声に、向き直ってやる。
そういえば、あの俺のペットのどっちかも昔そんなことを言ってた気がする。しかし、それは、自分が殺した人間の顔ではなく――。
「ああ、そうか。お前等は生まれてすぐの間引きが無いのか」
ふと、奴隷との風習の違いに思い当たり、どうしてこの女が殺した人間の顔に悩まされるのか、なんとなく分かった。
「なに?」
間引き、という単語に弾かれたように反応した女。
刷り込みの効果は、随分と偉大なようだ。まあ、日常的にそれを理由に襲撃されていれば当然の反応か。
肩を竦め、奴隷に対するものではない――俺達自身の間引きについて説明してやる。
「俺達は、弱く生まれた子供は殺される。少年隊への入隊が出来なかった子供も殺される。青年隊への試験で落ちても殺される。その後の成人審査に落ちれば、市民になれず無能なのに生き長らえた罪で半自由人だ。死ぬのも殺すのも特別じゃない」
そう、死んだ人間にうなされるというのは、少年隊の初年兵に特有の症状だった。俺自身はなんとも思わなかったから――。……ふと、それ以前の嫌な記憶が疼いたので、蓋をする。弱みは人に見せるものではない、決して。どんな場合でも、誰に対しても。
「ともかくも、死ぬのも殺すのも見慣れている、ということだ」
そうまとめる。生き死には、心を動かされるような特別なことじゃない。
「そんなのは、おかしい」
憤りを隠さない女に、俺は冷たく答えて再び背中を向けた。
「おかしかろうが、それがこの国の法だ」
しかし、背後の女は、結局、歩いている間中ぶつぶつと同じことを言っていた。
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