Corona Borealis

夜の始まりー1ー

 食事というよりはワインが主役の饗宴であり……いや、饗宴と言うには、哲学的論議も祭神の装飾も少なく、実際はただの宴会と言った方が正しいかもしれない。

 俺以外にもヘタイロイ王の友は参加しているが、場所が場所だけに大身の者は少ない。しかも、俺と同じようにどちらかと言えば前線で戦って地位を得たような男が多いんだから、自然と小難しい論議よりも雑談と飲食が主役となっている。

 細かいルールに特に縛られず、低い三脚テーブルの上にある焼いた栗やレンズ豆、干しイチジク等を適当に摘まみながら杯を傾ける。杯が空けば奴隷がワインを継ぐし、瓶が空になれば屋敷の主がワインと水の比率を奴隷に指示して追加させている。

 血と脂肪のソーセージや、チーズは望めば出される程度。

 まあ、あまり意味のない宴会――饗宴といえば、普通は社交の場でもあり情報交換の場でもあり、政策のための根回しの場でもある――なんだし、その程度で十分だろうと思う。そもそもここは、マケドニコーバシオでもレスボス島でも無い。テレスアリア中央部の牧草地帯で、この辺の都市に本格的な饗宴を何度も行うような金は無い。

 ……もっとも、そのせいで、ミュティレアで鋳造した貨幣を運ぶなんてただの御使いをさせられる事になってしまったのだが。


「良い仕上がりですよ」

 干しイチジクを摘まんだ際にそう言われて、何の仕上がりについて言われたのか、直前の会話を聞いていなかったので、首を傾げながら干しイチジクの半分を齧る。

 少し硬めの皮を前歯で噛み切れば、程好くしっとりとした果肉の甘さが広がった。乾き具合は、まあ、俺の好みで良い仕上がりではある。

「テレスアリアの軍馬の仕上がりが、です」

 苦笑いで補足した重装騎兵ヘタイロイの訓練監督官に、軽く笑って俺は答えた。

「何度も聞いてるよ。より正確には、去年……いや、一昨年にここで馬の繁殖が始まった頃からな」

 元々、テレスアリアはギリシアヘレネスでは珍しく平野が多く、有数の穀倉地帯だ。十分な農産物が確保できるなら、軍馬の育成だってそう難しいものじゃない。きちんと下調べをした上で、供給の上限に達しつつあったマケドニコーバシオから牧場を移設してるんだ。むしろ、上手くいっていなかった場合には、原因究明と責任追及されて当然の仕事だと思ってる。

 もっとも、この重装騎兵ヘタイロイの訓練監督官にしたって、マケドニコーバシオからの出向で騎兵の調練を行っているため、本国側へ少しでも良い報告をしてもらおうと俺に擦り寄っているに過ぎない。そこまで分かっていても、きちんと現地の兵士を掌握する必要があるんだからこうした場を避けるわけにもいかない。

 お互いに仕事としての宴会ってわけだ。

「だからこそですよ」

「あん?」

 社交辞令として適当に話をするだけのつもりの俺に、耳打ちしてきた重装騎兵ヘタイロイの訓練監督官。

「育ちの良い馬は、三歳になれば繁殖が可能です。更なる騎兵の増員が見込めます」

 ようやく俺にとって面白い話になってきた。

 じゃなくて、本当に笑みを浮かべながら俺は更に訊ねた。

「どのぐらいの数だ?」

 平時においての常備軍は金食い虫だ。特に騎兵は維持費がかさむ。貴族でもなければ騎兵として戦場に立つことは出来ない。有能な者を登用する制度があるので、マケドニコーバシオここでは、貴族だけが重装騎兵ヘタイロイになってるってわけじゃないが、だからこそ定期的に資金を投入する必要がある。

 こちらの重要な戦力だからこそ、わざわざ俺がミュティレアからエレクトロン貨を運んでいるんだ。まあ、裏の事情としては、テレスアリア産の穀物の商取引をミュティレアの海運で一手に引き受けているので、売買の利鞘と造幣の大部分を王太子派で独占しており、テレスアリアの国庫にはさして金が入らないようにしているから、軍事予算を逐次運ばなければならないって理由もあるが。

「現在の馬の総数では三千ですが、軍馬として出せるのは千から千五百」

 俺が記憶している限りだが、牧場の最初期に導入された馬の数は五百に満たなかったはずだ。勿論、貴族の子弟が持ち込んだり、買い足した部分もあるが、この短期間で実践投入できる軍馬の数が三倍になっているなら上々だろう。

 ……もっとも、体型的に俺は騎乗できないので、その質までは判断が出来ない。だが、それでも数は力だ。

「素晴らしい。必ず、王太子にも報告しよう」

 俺の態度に真実味を感じたせいか、重装騎兵ヘタイロイの訓練監督官は破顔して追加の料理やワインの指示を奴隷に出し始めた。


 ――と、饗宴が一区切りつくのを待っていたのか、そこで新たに客が通されてきたが……。その客はすでに出来上がっていた。別の饗宴にでも参加していたのか、それともいつものように軍団兵を引き連れて飲み歩いていてこの饗宴の時間を忘れていたのか。

 抜けてるヤツではないんだが、そのどちらの可能性もありそうな面長な顔を見上げて右手を挙げる。

 そう、騎乗できない俺では軍馬の良し悪しは判断できない。そのために今回はリュシマコスが同行していたのだ。

 さっきの重装騎兵ヘタイロイの訓練監督官から聞いた話をすべきか、それとも先にリュシマコスの話を聞くべきか。杯で唇を湿らせて考えている間に、リュシマコスが先に口を開いた。

「現国王が動員を開始したぞ。……戦争だ」

 普通は、こっそりと耳打ちするような話なのに、リュシマコスは声を落とさずに言うものだから饗宴の参加者たちがざわついた。――が、宴会用の椅子の背凭れから身を起こし、他の出席者よりも頭一つ分高い位置から俺が「ようやくか」と、答えれば、最初のざわめきは収まっていった。

 まあ、それもそうだろう。情報操作による部分もあるが先のヴィオティアとの戦争で大戦果を挙げた指揮官として勲しを喧伝されている俺が、応えたんだ。しかも、武功を立てなければ出世が出来ない軍人の訓練施設で、だ。

 戸惑いよりも、期待が上回るのは直ぐだ。


 普通は奴隷三人で運ぶ石造りの宴会用の長椅子を片手で軽々と引き寄せ、勝手に俺の隣に座ったリュシマコス。重装騎兵ヘタイロイの訓練監督官は、多分、動員の開始の報告よりもリュシマコスのその行動に驚いている様子だったが、軽く肩目を閉じて合図してやれば、そもそも王の友ヘタイロイは常識外の人間が多い事を思い出したようで、取り繕った態度で、饗宴の主催者としてリュシマコスの分のテーブルや酒の手配をし始めた。

「嬉しそうだなあ、アーベル」

 言いながら、俺のテーブルの上の焼き栗をかっさらったリュシマコス。

 カリ、と、奥歯で栗を砕くリュシマコスの表情も、どこかにやけているようにも見える。


 当たり前だろう。ヴィオティアとの戦争以後、アカイネメシスを巻き込んだ和平のせいで五年も戦争から遠ざかっていたんだ。メタセニアも最低限国家としての体裁は整えさせたし、内政に専念するにしたって、得られる税収も開拓できる土地も限りはある。

 民も、兵も、戦費も十分だ。

 ギリシアヘレネスを、いや、世界を統一するために戦いを始めない理由なんてどこにもない。

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