Menkhibー5ー

「本当に、ヤれるのか」

 この中じゃ一番怪我の具合がましなはずのエーリヒが、一番ビビッてた。


 日が落ちて、夕飯の時間も過ぎ、他の少年隊の連中が床に入った後、自力で歩くとふらつくクルトを半ば引き摺るようにして、俺達は三人で外に出た。

 ちなみに、今日も俺の夕飯は無かった。午前中の座学で寝てたとか、午後の訓練で手を抜いていただのと、ジシス――名前は、今日エーリヒから聞いた。どうも、同期で一番優秀な男らしく、監督官にも甘やかされている節がある――が密告したおかげで。

 エーリヒは、一応飯には出れたらしいが、やはり満足な量は与えてもらっていないらしかった。クルトは、喋る気力もないのか、まともな返事を返さないので、飯を食えたのかどうか分からん。

 つか、クルトは明日まで持つか怪しいな。

 やはり、今日が勝負だ。

 ……勝負に出られるのは、今夜が最後の機会だ。


 生き延びたけりゃ、ヤるしかない。

 向こうに罪が無かったとしても、俺等が生きるためには、それが必要なんだ。

 監督官や、食事係の半自由人にはとても敵わない。他の少年隊の連中や、多少は私物を持てている青年隊にも。

 自分達よりも弱いと思われる、ヘロットを襲う以外に道は無かった。


「朝と昼の軽い食事だけじゃ、もう限界だろ、俺も、お前等も。なら、上の連中のように、メタセニア人を殺して食い物を奪うしかない」

 ひとりなら、返り討ちに遭うだけだと思っていた。が、三人なら、あるいはなんとかなるだろうと思いついたのは昨日で、だから今日は、下手に反抗せずに身体を丸めて傷を如何に浅くするかということにだけ気をつけていた。

 おかげで、まだ、歩けるし――。

「でも……、石ころとか、木の棒しか」

 投げるのに適当な石を四つ五つは拾い、適当な木の枝を折り、噛んで先端を尖らせることも出来ている。

 もっとも、エーリヒの言うように、武器としては貧弱過ぎるという自覚はあるが……。

「うるせえなぁ! 嫌なら帰れよ」

 一番怪我の程度が低いくせに、一番弱気なのが気に食わなくて、つい怒鳴ってしまっていた。

 エーリヒが抜ければ、成功率はグッと下がると分かっているんだが、それよりも初陣の緊張と興奮、それと……上手く言い表せない、焦れながらも、襲うことを躊躇っているような、そんな、綱引きしている感情を持て余していた。

 意図的に、乱暴で強い言葉を使っていなきゃ、足が竦む気がした。

「でも……、い、いや、行くよ」

 結局、エーリヒは、俺の肩に体重を預け薄く目を開けたクルトを見て――、視線を俺とクルトから逸らし、最後尾についた。


 俺達の同期で、メタセニア人の村を襲った人間はまだ居ない……らしい。ごく最近ここに来た俺は、詳しいことは知らないが、ひとつ上の年代でも略奪経験者は十数人で、二つ上の年代になって初めて全員が実戦を経験しているという状況らしい。

 成功すれば、少なくともこの少年隊の訓練所の歴史では最年少記録になる。


 半月と満月の間の中途半端な月、ごく僅かの千切れ雲、多くも少なくも無い星の掛かる空。秋の虫の声と――。

 道は、あまり使われていない道を草の状態を確認して選んだ。少年隊の訓練所から通じる道は、基本的に襲撃で使われるものしかない。しっかりと踏み固められている道は、他の少年隊の連中がよく使っているってことで、ヘロットの村も警戒しているだろうし、なにより、他の少年隊や青年隊と鉢合わせたくなかったからだ。俺達は、少数派だ。ここに集められた他の連中の不満の捌け口だ。見つかったら、遊び半分で痛めつけられ、殺されるだろう。


「フフン、フンー、フフフ、フ~ン、フ~」

「どうしたんだ?」

 エーリヒに問われるまで、自分が鼻歌を歌っていたことに気づけなかった。

「ん?」

 気恥ずかしくて、とぼけて見せるが、俺とエーリヒに支えられてようやく歩いているクルトが、俺の鼻歌の真似をしたので、少しだけ笑えてきてしまった。

「鼻歌、なんてさ」

 笑ってはいるが、疲れ切った声で訊いてくるエーリヒに、なんとなく、と、空を見上げた。ぼんやりとした天の川が、東から西へと天空を流れている。

「知らないか? 生ある間、輝こう、悩むことは無い、つかの間の人生、時間が全てを奪ってしまうんだから」

 節をつけて、割と知られた一曲を軽く早口で流してみるが、二人はどうもこうした娯楽に関する知識は無いようだった。

 無理もない、か。

 アクロポリスでは別だったが、質実剛健の政策が始まったのは、俺が生まれるよりもずっと前の事だった。

 ……なんで爺さんは、もうひとつの王家と中央監督官を討って、単独の王にならなかったんだろうな。中途半端に三権の釣り合いをとろうとした結果が、今のこの国の現状だとしたら、そこに正義なんて無いだろうに。

 ……ま、徹し切る覚悟は、俺の家よりも他の二つの政治機関にあったって事なんだろうよ。

 ちくしょう。

 クルトとエーリヒに向かい、再び、今度は意図的に鼻歌を歌いながら返した。

「どうせ死ぬなら、やるだけやろうや。そういう歌さ」

 うろ覚えの鼻歌で気を紛らわしながら――、クルトとエーリヒもそれなりに譜を覚えたようになった頃、村の明かりが見えた。

 小さな村だった。

 種まきの終わった麦畑が広がり、ごく小規模な果樹園を右手に、二十軒前後の家が村の中央に密集して建っている。


 住人は、百人かそこら。

 たった三人では、相手にならない数だ。

 村の中心部に近い家は襲えない。敵に連携されたら殺されるのは俺達だ。

 ゆっくりと村の外周に沿って右回りに回りながら、出来るだけ村の外れの――、他の家から遠い家を探ってゆく。出来れば、悲鳴が届かないような……そう、可能なら、ひとり暮らしの老婆とか、もしくは、多少傷んでてもいいので、なにか余り物を保管してある倉庫のような建物が見つかれば……。


 しかし、冬を前にした時期に、無防備に食い物を外に出していたりするはずも、倉庫に見張りがいないはずも無く、唯一他よりも襲いやすそうなのは、畑二つで隣家を隔てている、古い家だけだった。

 壁の状態を見るに、建てられてから結構長くたっている。指で強く擦れば、建材の砂が少し剥がれて指を白くした。

 戸口は締められているようだが、窓は開いていた。家から少しはなれ、窓から覗ける範囲で様子を窺い、再び近付いて物音に耳をそばだてる。


 家には、中年を少し過ぎたぐらいのメタセニア人の夫婦がいた。子供には恵まれなかったのか、それとも既に独り立ちしているのか、注意深く観察しても、他に人のいる気配はなかった。


 手招きで二人を呼び寄せるが――。クルトはエーリヒの肩に寄りかかるようにして、半ば眠っているようにも見えるし、エーリヒは足がすくんでいるのが見て取れた。

 下唇を噛む。

 二人とも戦力外だ。が、これでなんとかするしかない。

 俺が、敵を殺すしかない。


「お前等は、正面から行け。注意を引いた隙に、俺が後ろから突きかかる」

 エーリヒが息を飲んだのが分かった。

 そう、俺が窓から突入しなければ、単なる犬死になる。怪我していない自分が、なんで一番危険な囮を? と、顔に書いてある。

 視線をエーリヒから逸らし――。

「クルト、どうする? お前が、家のドアをノックするだけでも構わない」

 エーリヒが身体を竦めたせいで、地面にずり落ちていたクルトがか細い声で返事をした。

「やるよ。やって、やる……も、う、あとなんて、ないん……」

 クルトに頷き返し、意図的にエーリヒを無視して進めようと――。

 俺とクルトが動き出した瞬間、俺の腰当の裾を掴んだエーリヒが、俺の目を見て……怯えた顔ではあったが、それでも強く頷いた。

 微かに笑って頷き返し、其々の準備に入る。


 俺は、槍と呼ぶには心許無い、先端を鋭くしただけの木の棒を構え、つっかえ棒で保持されている木の窓の下に潜んだ。

 心臓の鼓動が早い。大きく耳に響いて煩い。

 本当に、俺達でヤれるのか? 奴隷だから殺すことを許可されてはいるが、本当に殺して良いんだろうか? いや、大人しくしてくれるなら、縛って食料だけを奪うって手段も……。

 二人の前では取り繕っていたが、一人で潜んでいると、どうしても不安が鎌首をもたげてくる。心が、覚悟が、揺らいでいる。

 しかし、そんな俺を知ってか知らずか、家の戸を蹴破って、エーリヒとクルトが突入した。

 行かなきゃいけない、俺も。

 立ち上がり、息を大きく吸い、槍を握り締め、覚悟を決めようとした瞬間。目の前に広がっていた光景は……。

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